リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

最近見た旧作の感想その24〜上半期旧作ベスト〜

今年の1月から6月の終わりまでに見た旧作映画の中で特別面白いと思った作品について感想を書きつつ、ただ羅列したいと思います。ちなみに並び順には特に意味はありません。それではさっそくいってみましょう。



『父ありき』(1942)
小津安二郎監督作品は大学生のときに何本か見て「いやぁ、僕にはどうも、小津は合いませんなぁ」なんて思っていたのだけれど、久々に見てみたらこれが驚きで、無茶苦茶面白かった。そんなわけですっかり小津にハマってしまい、レンタルできるものは片っ端から見ているという次第であるが、中でもこの『父ありき』。これは凄かった。特に序盤が僕は好きで、笠智衆演じる先生が引率する修学旅行先で、生徒が事故に遭い死亡してしまうシーン。ここで事故の知らせを受けた生徒らは宿泊先の旅館から急いで現場に駆けよるのであるが、ここで生徒のものと思われる黒い傘が、一本だけポトっと倒れる。そこから画面は桟橋、お墓、ひっくり返ったボートときて、木魚の音から葬式のシーンへと移るわけだが、ここに僕は酷く衝撃を受けた。上手く表現できないが、画面に死が張り付いているように感じられたのだ。小津作品の特徴として「不在」があるとはいうが、本作はこの場面を契機にしラストショットまで全編に「不在」というよりもはや「死」が画面に漂い続けているかのようであった。それは例えば、『小早川家の秋』のラストにも見られるし、衝撃的という意味では『風の中の牝雞』の階段や『宗方姉妹』のビンタも衝撃的ではあるが、『父ありき』は中でも特別凄いなと思えたのである。ちなみに僕は父が教師であり、父の父も教師で、母の父と妹も教師であるという具合であって、それと本作の評価は関係ないとはいえ、父がこれを見たらなんというだろうかなぁ、とは考えたのであった。

あの頃映画 松竹DVDコレクション 「父ありき」

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こうのとり、たちずさんで(1992)
アンゲロプロス作品のレンタルが解禁になったから今年はたくさん見よう。と、去年の年間ベストテンに『エレニの帰郷』を入れた際書いたので、今年前半は何本かアンゲロプロス作品を見ていた。その中で一番好きなのがこれ。個人的にアンゲロプロスを見ていていいなと思うのはストーリーではなく(ギリシャの社会問題など難しくてよくわからん)記憶に残るようなシーンがいくつも出てくるからで、例えば本作であれば、酒場の場面で男を視線により追い続ける女であるとか、川を挟んでの結婚式。クレーン吊るされた男を捉えたカメラがゆっくり下がって、やがて奥から電車がやってくるとカメラは移動し主人公と共に列車へ乗り込み、そのまま乗り込んだのとは反対側のドアから出るシーン。そして柱に上り線をつなげる黄色い服を着た無数の男たちの姿などである。これらは主に、横と縦(奥)へ移動するような構図から成り立っているように思う。そして本作の風景が強烈に印象に残るのは映像として美しいからというだけでなく、この横と縦の移動が国境というテーマと関連しているからであろう。横の線で区切られ、橋や川を挟んで奥に見える国境を超えることの難しさを語っておきながら、最後に上昇する人々を写し、それでも国と国つなげようとするようとする希望を、本作は映像によって語っている。そこに人々の間での争いなど、国境は外的なものだけではないという話も出てくるが、個人的には何とも不思議で美しい映像のオンパレードに心奪われたのであった。

こうのとり、たちずさんで [DVD]

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ホーホケキョ となりの山田くん(1999)
公開当時は「なんだかジブリにしては地味な映画だな」としか思っておらず、それを引きずっていたためテレビ放送されても見ることはなく、結局機会を逃し今に至るまで見ていなかったのだけれど、『かぐや姫の物語』があったわけだし見ないわけにもいかないかと思い見てみたら、これが何という勘違いか、とにかく無茶苦茶面白い作品でびっくりした。地味だなんてとんでもない。確かに物語に大きな起伏はないため緩いと思える部分もあるが、それに対抗してか映像的には全篇見所しかなく、例えば絵巻と花札を基本として展開されるオープニングからタイトルまでの流れが流麗でまず目を引くし、続くエピソードでは結婚式からなぜか突然ボブスレーへと画面は変容し、そのボブスレーすら次々と形を変えていく中で主人公家族の歩みを見せるという一連の狂ったアクションシーンなんてその異様な光景と画の快感に大興奮である。また白眉なのは暴走族の下りだ。この場面だけはそもそも絵が他の場面とはまるで違う。途中で「月光仮面」のオマージュが出てきてそこだけは明る雰囲気となるが、基本的には緊張感と、そして「月光仮面」に対比される形で現実に対する絶望と寂寥感が前面に出ているのだ。しかしそういった人間の情けなさも含みながら「ケ・セラ・セラ」、なるようになると、どこか悠長とも取れる結末に収束していくのがまたいいではないか。ちなみに話は緩いと書いたが冒頭と結末を結婚式で挟み、その間で日常的な騒動を描くことにより人の生と死の間を描くという構成は纏まりがいいし、巧いと思う。

ホーホケキョ となりの山田くん [DVD]

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座頭市あばれ凧』(1964)
座頭市7作目。オープニングのクレジット直後にある霧の雰囲気がたまらない。本作の見どころとして水の中での殺陣がある。水中に消えた市が一人、また一人と斬ってゆき、最後は全員斬り殺したかどうか仕込み杖を水面に叩きつけソナー代わりとする姿が見られる。かのように本作にはどことなく不気味な雰囲気が漂っており、最後の殴り込みにしても敵の屋敷に入る前は闇と影の使い方が絶品で、驚かせ演出もある。また屋敷に入ってからも、廊下に置いてある蝋燭を次々と斬り落とすことで闇を作り、さらに市が刀の先にその蝋燭を乗せ、炎の揺らめきによって人物の顔を照らすという演出が見事だ。こういった工夫の他にも斬り合いを真上からの移動ショットで見せるなど見せ場はまだまだ多いが、個人的に推したいのは斬り合いのシーンではなく、市が本作の敵である安五郎の家へ押しかけ、彼を罵る場面である。ここで安五郎は床の間に置いてある刀に手をかけようとするが、それを見越した市はその刀と植木の吊るされた釣瓶を一刀両断。刀は真っ二つになり、まるで獅子脅しのようにその斬られた半身が下へ傾くと、水ではなく鞘から刀身がストンと落ちる。この流れの美しさが素晴らしいと僕は思う。ちなみに、今年遂に座頭市シリーズ全26作品を見終えることができた。26作品全てに駄作はなく、どれを見てもそれぞれに見所があり退屈はしないが、その中で何を見ておくべきか個人的な考えを言うと、やはり三隅研次監督作品(6本)はマストで、とりあえずそれだけ見ておけば問題ない。次に勧めたいのは勝新太郎自身が監督した2本と、この『あばれ凧』など3本を立がけた池広一夫監督作品である。どれも独自の味わいがあって楽しい。あとは田中徳三監督作品も時間があれば是非。

座頭市あばれ凧 [DVD]

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『ファンキーハットの快男児(1961)
感想はこちら→http://d.hatena.ne.jp/hige33/20150329/1427594294 にも書いたのだけれど、とにかく深作欣二千葉真一の若さあふれる作品で驚かされた。ちなみにゴダールの『勝手にしやがれ』に似ていると書いたが、深作欣二自身は『勝手にしやがれ』について「わけがわからんけど、ポッポッポッとつながって、ああいう撮り方だけでコンチクショウとなってね」と語っており、影響とまではいかないかもしれないが、そのエッセンスは多少なりとも作品に反映されていたのかもしれない。

ファンキーハットの快男児 [DVD]

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『青空娘』(1957)
これはもうホント最高で、まず増村監督らしいテンポ感であるとか、人間でゴチャゴチャした画面の動かし方であるとか、エネルギッシュな人物たちによるシンデレラであるとかポイントは色々あるけれど、なにより重要なのは若尾文子の魅力が爆発しているという点である。彼女の突き抜けた爽やかさが映画全体を通り抜け、その勢いは一切止まることを知らぬまま青空でフィニッシュ。今までいくつかの作品で若尾文子という女優を見てきはしたけれど、魅力的という点に絞ればこれほどの作品は他にない。他の増村作品も溝口の『祇園囃子』も小津の『浮草』も、若尾文子の魅力にすっかりやられてしまうという点では、この『青空娘』には及ばないのではないか。

青空娘 [DVD]

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死霊館(2014)
カメラワークや編集、照明、小道具など一つ一つのことに丁寧さ、端整さが宿っており、その結果新鮮味に欠けるようなネタでもしっかりと面白がることができる。館の説明は簡潔で、アクションの見せ方は整理されており、しかしワンカットの中で複数のアタックを見せたり、所々でぐいっとカメラを動かしたり、またいいところでは引いて見せるなど、面白いことを随分やっている。キャラクターにしても「幽霊なんて信じない」とゴネるやつを登場させ無駄に話を停滞させたりはしない。盛り上げた雰囲気とドラマをだらだらと伸ばすことなく、一定のスピード感を保ったまま全てをアクションへ転換させて、最後に家族愛でまとめ上げる手腕が見事だ。田舎というのはどうしてもこういう有名俳優が出ていないホラーの公開をスルーさせてしまう傾向にあるが、このくらいの面白さのホラー映画こそ定期的に劇場でかかっていてほしいものだと、切に願うのであった。



『荒野のストレンジャー(1973)
昨年『ジャージー・ボーイズ』の感想を書いた際に「不気味」という表現を使ったと思うのだが、『アメリカン・スナイパー』の公開に備えてその不気味が一体なんだったのかが気になってしまったため、未見だったイーストウッド作品のいくつかを見た。結局その不気味の正体について明確な答えは得られぬままであったが、それは置いておいてもこの『荒野のストレンジャー』は面白かった。『ペイルライダー』の原型といえるであろうが、コチラの方が個人的には好み。何度も画面から消えて現れてを繰り返し、敵からは「見えない」イーストウッドの姿が、その幽霊的造形をより強めている。湖に面した町、真っ赤に塗り上げられた地獄、黒と炎の夜とビジュアルも最高。『牛泥棒』を思わせる物語はその後何度もイーストウッドが取り上げているもので、本作を見て改めてその影響力の強さをうかがい知ることができた。ちなみにその他に見たイーストウッド作品では『ブロンコ・ビリー』の楽しさと苦みも心に残る。



子猫をお願い(2001)
この映画が持つみずみずしさ、脆さ、そしてその美しさというのはおそらく監督にとっても役者にとってもある限られた時期にのみ撮ることができた、いわば奇跡の一本であるように思う。そしてその奇跡はペ・ドゥナをはじめとした主人公達に、どこに行くともなく作中で歩かせ、移動させたことによって起こったものであろう。ただただ歩道を歩く姿に、強い風が吹く中で身を縮めながら歩く姿に、地下道をフラフラと歩く少女の姿に、何故だか強く心を惹かれる。歩くだけではなく、彼女らは乗り物にもよく乗る。例えばソウルに向かうバスのシーンは、そのなんともいえない感覚に胸を締め付けられる。またふとプレゼントを交換し合う夜も、なんとも魅力的だ。しかし物語自体は、孤独で過酷である。彼女たちの未来はまったくもって前途洋々などというものではなく、なりゆきのまま猫を預けて、それぞれ確信もなく道を進んでゆくしかない。本作はその物語の辛さと対比するような形で少女たちを輝かしく描いている・・・のではない。それは『サニー 永遠の仲間たち』だ。そういった対比とはまた別にして、この作品の少女たちは魅力的なのだ。それがつまり、この作品が限られた時間の中でしかできない奇跡だと、僕が思う理由なのである。

子猫をお願い [DVD]

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さて、以上が今年上半期に見た中で特にお気に入りの作品でした。他にもスタローンの『パラダイス・アレイ』や中川信夫の『女吸血鬼』、フリッツ・ラングの『ビッグ・ヒート/復讐は俺に任せろ』、溝口健二の『噂の女』なども大変すばらしいと思いましたが、あまりダラダラと作品を挙げてもしょうがないのでこのくらいにしておこうと思いました。新作に関してはすっかり更新が滞っていて、見たのに感想を書いていない作品がたまりにたまっているのだけれど下半期は何とか時間を作って昇華していきたいと思っております。それではまた。