リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『インサイド・ヘッド』を見た。

ヨロコビがありあまる
ピクサーアニメーションスタジオ15本目となる長編作品。監督は『モンスターズ・インク』『カールじいさんの空飛ぶ家』を手がけたピート・ドクター。日本語吹き映え版では竹内結子大竹しのぶ佐藤二朗らが声優を務めた。

11歳の少女・ライリーの頭の中では今日も5つの感情たち、ヨロコビ、ムカムカ、イカリ、ビビリ、カナシミが、ライリーを幸せにするためせわしなく働いていた。いつものようにたくさんのヨロコビを作ろうとしていたある日、ライリーは住み慣れた町を離れることになってしまう。見知らぬ土地で感情たちはうまく機能することが出来ず、さらにヨロコビとカナシミが感情をつかさどるコントロールルームから弾き飛ばされてしまう。ライリーの危機を救うため、喜びと悲しみはコントロールルームへと向かうのだが・・・

良くできた映画だとは思う。複雑な設定でありながら画面の力によって簡単にわからせ、かつ冒険譚として仕上げることでエンターテイメントとする技量。ビジュアルデザイン。「共感」できる人の分母が恐ろしく多くなるように設計された物語。それらについていちいち取り上げればきりがなくなってしまう程であろう。なので中でも僕が好きだったシーンを挙げると、一つはやはりイマジナリーフレンドの下りである。『トイ・ストーリー』が含んでいた葛藤をと類似するようなビンボンというキャラクターが本作には登場する。彼の役割として面白いのは、彼を存在させたままでは未来へ飛び立てないが、彼の力がないと飛び立つこともできなかったというところだと思う。こういった目線の確かさ、そしてドラマをアクションで乗り切る感覚は流石だ。またギャグでいうと「抽象概念」は最高すぎて冗談抜きで腹がよじれるほど笑った。また実際の人間パートも良い。特にライリーが家出をしバスに乗る辺りのシークエンスは脳内の色彩が豊かなだけに暗い画面の調子が一層際立っており、ピクサーのカメラ、照明の良さというのが改めて確認できる。



しかし初めに、「よくできた映画だと<は>思う」と書いたように、この映画を素直に褒めることが僕にはできない。その理由は、ヨロコビというキャラクターにある。このキャラクターは常に神経を逆なでしてくる。一言でいえばウザい。というか不快だ。もちろんこのキャラクターの性格は意図的に設計されたものなのだろうし、唯一自らの示す感情のみならず、己の特性からは最も遠いと思われる感情の色を髪の毛に持ち合わせていることからも、あえてこうしたのだということは分かる。しかしそれでも、ヨロコビというキャラクターの圧倒的なウザさ、不快さ、狂気に僕はついていけない。論理云々を超えて拒絶したくなる。



何故ヨロコビはここまでウザくて不快なのだろうか。それを考えてみたのだが、どうもそれは、自己肯定感と関係しているのではないかと思う。ヨロコビは、自分が世界(ライリー)にとって必要不可欠であると認識しており、他(本作で言えばその他の感情)からもそう思われている。これはいわば、自分が世界の中心にいるような状態だ。僕にはどうしてもそれが受け入れられない。ポジティブの権かのような存在に価値観。世界から否定されることがない自分を愛しているという、自信満々で嬉々としたその様子が気に食わない。そして自分が世界に必要とされていると感じる者は、その世界において不要なものに対して時に悪辣になりはしないか。少なくともヨロコビというキャラクターには明らかにそういう面があって、カナシミに対して邪魔者扱い以下の振る舞いを見せる。なのでそもそもカナシミの役割を知っている側からすれば、ヨロコビの行動は不快以外の何物でもない。それがひとえにライリーの幸福のための行動であったとしても、そしてそれに正しい面があったとしても他に自分の考えを押し付けるというのは暴力でしかない。正しいことやポジティブさとは、時に非常に暴力的でもある。



ところでこのヨロコビの自己肯定感というものはライリーの人生とも関係しているはずである。おそらくライリーは周囲の人間に愛される人物で、これまでの人生は肯定感にあふれていたのだろう。ユーモアもあるらしいので友人に愛され必要とされ、所属しているスポーツチームでも中心人物として活躍していたようである。そんな彼女の人生が現在のヨロコビを醸成したともいえるだろう。おそらく、大体ライリーの年代と同じころ、様々な経験によって人は世界との距離感を掴みかけてゆくのではないか。なのでライリーもヨロコビもこの冒険を通し葛藤し成長する。このキャラクターはやはり極めて真っ当であって、ヨロコビの「危うさ」についてもちゃんと織り込み済みなのだ。だから僕が書いた不満は、物語上はすべて解決されている。つまり僕の言い分などは、言いがかりのようなものでしかない。しかしわかっていてもヨロコビに対しての敵対心が消えないというのもまた僕の確かな気持ちであり、良く出来ているがゆえに滅茶苦茶に貶すことも嫌いになることもできないため、奥歯に物が挟まるような感情だけが残ってしまうのであった。

ムービンムービン  M-14  カナシミ(インサイド・ヘッド)

ムービンムービン M-14 カナシミ(インサイド・ヘッド)