リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『さよならくちびる』を見た

僕はこんな歌で あんな歌で

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『害虫』『カナリア』などで知られる塩田明彦監督最新作。主演は門脇麦小松菜奈成田凌。タイトルにもなっている主題歌を秦基博、挿入歌をあいみょんが手掛けたことも話題になっている。
 
 
全国7都市を回るツアーに出発するため、車に乗り込んだハル(門脇麦)とレオ(小松菜奈)の二人による音楽デュオ・ハルレオ。しかし二人の仲はお互い口を利かないほど険悪であり、このツアーを最後に解散する予定となっていた。ローディー兼マネージャーのシマ(成田凌)もそのことを再度確認し、最後のライブまではハルレオとしてちゃんと演奏するよう念押しする。しかし、最初の会場から別行動をとっていたレオがライブに遅刻するなど波乱続きのツアーとなり・・・

 

 

塩田明彦監督作品において道が常に印象的であるのは、そこがアクションの現場となるからである。例えばただ歩くということや走るということによって映画的活気を生み出すこともあれば、並んで歩いたり立ち止まったり、もしくは視線の位置や体勢によって人物たちの関係性を変化させることもあれば、時に唐突な出会いをももたらす。塩田明彦作品の人物たちは道を歩き、あるいは走り、そして時に唐突なアクションを起こすことによって、言葉以上の語りを得ている。だからやはり『さよならくちびる』においても、音楽デュオ解散に向け静岡から函館まで移動する車の風景、ロードムービー的な風景よりもむしろ、車を止めて歩き出す姿か、もしくは発進するため乗り込む姿にこそドラマがある。険悪な雰囲気のハル(門脇麦)とレオ(小松菜奈)の二人は決して車を降りても同じ速度で歩きはしないし、目的がなければ同じ方向に歩くこともない。二人一緒に車に乗るということもあり得ないだろう。

 

 

ただし、ハルレオの間にシマ(成田凌)という男がいることによってその険悪な道はただ二股に分かれているだけはなくなっており、彼ら3人の関係性は、異なる組み合わせで、それぞれ異なるシチュエーションにおいて、似た動作を幾度も繰り返すことによって浮かび上がらされている。例えば冒頭、ハルが画面外からドアの外へと荷物を放り投げシマへと渡す姿は、シマが画面外からハルへライターの火を差し出す動きとして変奏されている。同じようにレオへと火を差し出すシマの行為は退けられるものの、それはレオからのキスの拒絶へ導かれており、そしてキスの拒絶は彼らすべての関係性の中で再演されるだろう。関連して、ハルは2度不意に近づいてきた相手の体を避けるために体を翻している。また、喧嘩の果てに窓ガラスが割れたその直後に今度はドアが蹴破られるし、コップの水をかければやはりかけ返される。そしてもちろん、道を歩くという姿も同じように1対1、2対1という構図で繰り返されており、これら画面への出入りが激しいいくつもの不意な行動は、俳優たちの素振りと編集の見事さよってまず画面を見るということに対し心地よい驚きを与えてくれるのだが、その驚きは繰り返されることによって次第に3人の関係性とその変化へ踏み込んでいく。

 

 

おそらく、そのことが如実に現れているのがカレーを食べるという行為であろう。ハルとレオが出合い、ギターを教え、そして並んで食べた手作りのカレーは終盤レストランで繰り返されており、そこではシマを加えた3人となっているし並んで食べはしないものの、カレーを食べているのはハルとレオの2人であるうえに、涙を流すという行為まで反復されている。ここでは、彼女らの間でいつの間にか庇護者としての役割が逆転していたことが泣くという行動によって表されており、かつてレオを保護する存在だったハルはレオから多くを受け取っていることに気付いているわけだし、レオはホームレスと水商売の女のエピソードからわかるようにどこへでも行ける存在だが、ハルは特定の場所にしかいられないのだということに自分で気づいているから、ハルレオの解散後を問われ不意に涙を流したのであろう。ハルを除いた二人が(他人のとの関係性によって)ライブハウスに遅刻してくるという繰り返しも、ハルに音楽しか居場所がないということの表れといえるかもしれない。もちろん、それがレオにとっての、またはシマにとってのあこがれでもある。

 

 

さて、そうして迎えた解散は、しかし結局バラバラの方向へ向かったはずの足取りが再度車の中へ収束するという展開によって撤回される。そうして集まった車内では、今まで一度も3人が同じ方向を向くなどありえなかったはずなのに3人とも前を向いている。これは序盤、3人がチームを組んだ際それぞれ目標を叫びながら拳をあげたことの変奏であって、3人はまた再び、同じ方向を指し示している。彼女らは仲直りしたわけでもないし、ツアーを終えて新たな目標ができたわけでもなく、おそらくこれからも道は別々だろう。だからこれがハッピーエンドなのかは知る由もないけれど、しかしそれでも、1、1対1、1対2の関係性を経て再び3人でいることを選択し戻ってきた。そして彼女らはまた歌うだろう。なぜなら3人の視線が同じ方向を向くことが反復されるとしたら、それはステージ上に違いないのだから。

さよならくちびる

さよならくちびる