リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『英国王のスピーチ』を見た。

王なる証明

ご存じのようにアカデミー賞作品・監督賞を受賞。風格が漂う映画ですが、それでいて暖かくチャーミングな映画でした。誰もが応援したくなるようなそんな映画です。


ジョージ6世を演じたコリン・ファースは主演男優賞文句なしの名演。プライドが高く、癇癪持ちで気難しい。でも妻や娘には愛情をたっぷりに注ぐ良き夫・父親であり、愛らしい人間。そして幼い頃のトラウマから吃音症に悩まされるという難しい役に命を吹き込んでいた。


ジェフリー・ラッシュ演じる医者、ライオネル・ローグは、暖かく、ユーモアのある人間として描かれいるが、彼には彼の人生の浮き沈みがある。例えば彼はオジサンになっても俳優の道を諦めきれていないが、オーストラリア訛りである事などによりうまくいかない。そんな男を愛嬌たっぷりに、そして説得力を持って味わい深い演技を見せていた。
また、この2人は「王を演じたかった男」が「王になりたくない王」を王にしていく、という点でも興味深い。


夫の吃音を治してあげたいと願う妻にはヘレナ・ボナム=カーター。気品ある英国女王の、夫を優しく包み込むような愛を静かに表現。セリフ自体は多くないものの、重要なところでしっかり魅せていた。
また、彼女が最初にライオネルを訪ねるシーンでは、エレベーターの乗り方がわからないというのが面白い。3人で吃音を直すトレーニングをしているシーンも非常に笑える。
レーニングをするライオネルの診療室では、ジョージはすぐうしろには壁が迫っている。対してライオネルはゆったりした生活が後ろにはある。こういった構図も狙ってなのだろう。


ところでこの映画、実はジョージにしてもライオネルにしても偽物が本物になる瞬間、負け犬が立ち上がるという燃える映画でもあるのだ。


3人は奇抜な方法で吃音を直す治療をしていくが、進めていくうちにライオネルはジョージに必要な事が彼の心を強く縛っている物を取り除いていく事なのだとわかる。彼は幼い頃に身体の障害を厳しく矯正させられるといった強い抑圧からうまく喋れなくなり、それが周りからバカにされる要因になっていった。そしてそのせいで彼の吃音はどんどんひどくなっていった。

それを治療するために2人は友人にならなければいけなかったのだ。ただの先生ではなく、彼と心が通じ合わすことのできる大切な存在でなければうまくいかなかった。2人は衝突しながらも、王と市民、医者と患者、という関係ではなく、友情というものを獲得していく。心の中にあるものを吐き出せる関係になれたからこそ治療できたのだ。



「治療」と言うと誤解を招くかもしれない。つまり彼の吃音症は最後まで治らないのだ。

それは「だめなものはだめ」ということではなく、彼が恐れていた「話す」という事、周囲からバカにされ、いじめられて育ってきた彼自身の心の闇を打ち砕き、自分自身に立ち向うという事を描いている。それは一人ではできないが、彼は友人を得た。妻が支えてくれた。戦争に突入するという、最も王の言葉が必要とされていたときに、勇気を振り絞り国民に向けてスピーチをする(ヒトラーに対して)ラストは本当に感動的だ。伝えるべき言葉を伝えるという、そのことに大きな感動がある。


そして感動的であると同時に、最後までユーモアを忘れてないのも良かった。この映画は最初にも書いたように王室の堅苦しい話、とはならず人間の温かさ、ユーモア、そして勇気と友情、愛情に満ちた作品なのである。



しかし本当に『ソーシャル・ネットワーク』とは対照的と言えるのではないだろうか。『ソーシャル〜』は友人を、何か大切なものを失った男の悲劇、『英国王〜』は愛情や友人を得ることで自分自身の尊厳や勇気を取り戻す話だった。

しかし「うまくコミュニケーションが取れない」という点では共通しているのかもしれないと思う。さらにその陰には技術の発展というものが潜んでいるし、どちらも王になることを描いてる点も同じだ。
ということで、両者はコミュニケーションに対する問題を盛り込んだ作品だったともいえるのではないか。そして情勢が不安定な今の世の中で『英国王のスピーチ』のような勇気をくれる作品が賞をとったのは自然といえば自然なのかもしれない。


というわけで、特別予想外のことは起こらないけども、しっかりとドラマを積み重ねることで興奮と感動と勇気を与えてくれる映画でした。

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