リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『悪魔を見た』を見た。

悪魔がきたりて

韓国映画といえばポン・ジュノパク・チャヌクら才能あふれる監督たちによってすっかり血と暴力にまみれた映画で有名になってる気がする。また、新人監督も『チェイサー』『息もできない』などの力強さにあふれた映画を送り出し、観客を喜ばせた。


そしてこの『悪魔を見た』はシンプルな復讐モノであるが、そこに描かれているのはそういった韓国映画の系譜にある、血と暴力のオンパレード。その恐怖・快感。


婚約者を殺された国家情報院の捜査員スヒョン(イ・ビョンホン)は犯人に復讐するため、独自に捜査を始める。怪しい男を片っ端から尋問していくスヒョン。やがてギョンチョル(チェ・ミンシク)という男に辿り着き、その男こそ婚約者を殺した男だとわかる。あっさりと見つけ、また同時に制裁を加えたスヒョンだったが、殺しはしなかった。スヒョンはギョンチョルの体内にGPSを飲ませ解放、そうしてスヒョンの狩りゲームが始まる・・・というストーリー。


この映画で印象的なのはどいつもこいつもなかなか死なないということ。冒頭、ぼこぼこに殴られたスヒョンの婚約者も、雪道をひきずった後に血の跡がべったりできるほどの暴力を加えたはずなのに死んではいない。ギョンチョルの拷問部屋で目覚める。ま、あそのあとあっさり殺されるのだが。
そのギョンチョルも異常なまでの生命力。はっきり言ってやりすぎだし、回復も早すぎるのだが、それにはこういう次のような意味があるのだろうなる。


ギョンチョルという男が何故若い女を捕まえ、犯し、殺すのか(殺すというよりは解体)その理由は明らかではない。それはギョンチョルを悪意そのものとして登場させようとしたからではないか。死の象徴のような存在だった『ノーカントリー』のシガーのような存在ともいえるが、彼に比べると何とも俗っぽい。そう、それこそ世の中に蔓延する悪意であり、誰にも無関係ではない部分であるのだ。だからしぶとく残り、なくならないのである。


悪意は増幅されるものであり、感染するものだ。それを受けたのがスヒョンである。スヒョンは超人的な力で容疑者を絞り込んでいく(拷問も辞さない)。そして見つけた元凶、ギョンチョルにも制裁を加えるが、逃がしては捕え逃がしては捕えと繰り返す。この男もとりつかれてしまったのである。これはもはや復讐ではなく悪魔の楽しみと化しているにもかかわらず彼は止めることができない。悪魔対決が行なわれるのがだんだんゲームのステージのように思われてきて、仕掛けも残虐度も大きくなっていく。そしてそれは新たな悪意の増幅になっていき・・・。

悪魔対決といってもスヒョンは圧倒的に有利で、しかも強い。逃がすときに「これからもっと残酷になる」と言い放つ姿は強烈だが、もちろんギョンチョルもやられてばっかりではない。彼もまた反撃として悪魔の行為を行う。悪魔が悪魔を呼び起こしそれがさらに深くなっていくのだ。まさに冒頭でも引用されたニーチェの言葉。『怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ』という事なのだろう。



もはやどちらも悪魔となり、その行いを続けていく彼らの最後に晴れ晴れとした風景はない。悪魔になってしまったら日常を楽しむことなど不可能なのである。そしてそれは特別な人間だけのものではない。普通の人間でも、その深淵に辿り着く事はあり得るのだ。なぜなら私たちのすぐそばにも、悪意は漂っているからである。



あり得ないところとか甘い部分も結構あるけど(個人的にはラストはもっとどうにかならんかと。主人公がもっと「悪」になっていたら、とか、ラストの泣くところがなければな、と思う)、面白のは間違いない映画だったので、韓流スターのかっこいい姿が見たいという人以外の韓国映画好きなら見に行って損はないと思います。



あと、出てくる女優さんがだいたいみんなおっぱいを出しているのも良かったと思いますよ。

善悪の彼岸 (岩波文庫)

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