リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『ヘレディタリー 継承』をワーストに選んだ理由について

去る12月、例年通り新作映画ベストテンについて更新したのだが

今年の映画、今年のうちに。2018年新作映画ランキング - リンゴ爆弾でさようなら)、そこでワースト5位に『ヘレディタリー 継承』を選んだところ、ワーストに選んだ理由を聞かせてほしいとのコメントをいただいた。このブログにコメントが付くことは珍しく、せっかくのリクエストならば応えようと思ったのだけれど、鑑賞から時間もたっていたためずるずると引き延ばしてしまっていた。しかしついにレンタルおよび配信開始となったため、とりあえず再見して、ようやく感想を書くことができた。

 

 

さてはじめに断っておくと、確かに『ヘレディタリー 継承』をワースト5に選びはしたものの、だからといって駄作だと吐き捨てているのではなく、むしろ精巧に作られた作品だと思っている。例えば、冒頭ドールハウスの内面にカメラが寄っていくと、そのまま現実の人間たちのドラマがその内部で始まるという入れ子的構造には異様な空気が漂っているし、セットによる邸宅の撮影は美術面だけでなく、極端に引いたり上に位置するカメラや壁を無視した横移動といった、通常では考えられない画面づくりという点でも一役買っているし、円や三角を取り入れた造形に加え、四角形を画面に定着させることでまるでドールハウスの断面から中を覗いているような錯覚をも感じさせてくれる。また、幾度か登場する全景のショットのうち、特に序盤のいくつかはレンズの選択であろうか、まるでミニチュアを見ているような違和感を覚えるのだけれど、終盤悪夢的展開が強まるとむしろ家は実在の重みをもって映し出されるという倒錯具合も面白い。その悪夢的終盤に至る用意も周到だ。ちなみに今回見返してみて気づいたのだが、ピーターらが参加するパーティー会場にて、数人がパソコンで何かをみているのだけれど、それはフェルディナン・ゼッカ監督『ある犯罪の物語』(1901)の最後、犯罪者がギロチン刑に処されるというシーンで、いくつかある暗示のうちの一つである(ちなみに『ある犯罪の物語』は現在とまるで表現方法が異なる回想や、唐突に画面が反転したりと相当困惑させられる面白い作品だ)。音の表現については喉を鳴らす音よりもむしろ画面外から聞こえてくる音、中でも時計の音は頻繁に聞こえているにも関わらず時計自体は映らないのであって、つまりこれは彼ら家族にとっての音ではないのではないか、と思わせるところが面白い。

 

 

これら諸々の要素が、精巧に組み立てられることによって成立している作品であるということについて異論はない。ではなぜワーストに選んだのかという理由だが、むしろだからこそ、ワーストに選んだのだ。つまり、精巧に組み立てられた世界の中、掌の上で踊らされるようにしてあらかじめ仕組まれていた結末へ向かっていくという巧みな計算術は確かに手つきとして素晴らしいのかもしれないけれど、しかしむしろすべてが駒のように見えててしまって、ドールハウス的構造が洗練されていればいるほど、要素同士の繋がりにより真相が明らかになればなるほど作為がはっきりとし、秩序だった物語が浮かび上がってくる。

もちろんすべての作品は作為の上に成り立っているのだが、本作が殊更そう感じさせるの理由には閉じた世界であるということがあげられる。これは物語の構造上仕方のないことだが、ある特定の家族の話で、しかも舞台がほとんど家の中に限定されているとなれば、外の世界、つまり観客たる我々の世界とは遠い話でしかなく、しかもどんどんトラウマ的に内側へこもってしまう。個人的に恐怖とは外側への意識に依るものであって、例えば金字塔『悪魔のいけにえ』でも、近年の傑作『ジェーン・ドウの解剖』でも、個人的に最も恐ろしい『CURE』でも、すべて外側=世界へと恐怖がはみ出してきているから怖いと思うのである。だが本作はあくまで巧みに内側へと収束させていく話であり、秩序だっていればいるほど外側へ波及していくことがないとわかり、自分とは切り離された物語として鑑賞者的態度を崩すさず安心して見終えることができるため、結果怖さという点で期待値からは相当落ちてしまったのである。

 

 

もちろん、そういった類のホラーは駄目だというのではない。トラウマ的に精神を蝕んでいく作品であろうと傑作はあるわけだし、そもそも本作についても、期待とは違うというだけでそれを抜きにして見たとすれば、何度も述べているようにそつがなくよくできている面が多い。それに駒でしかないというのは本編序盤、ギリシア悲劇についての授業でも似たようなことが述べられていたりするので意図的な作劇なのだから、これはもう、趣味が違ったとしか言いようがないことなのだ。ただもう一点、あまり好みではない部分があって、それは本作が、アクションではなくリアクションの映画だということである。リアクションとはつまり恐怖に面した人間のリアクションなのだけれど、本作の画面は人物の顔面による占有率が高く、恐ろしい出来事に面したときそのアクションよりもよほど、リアクションのほうに時間をとっているのだ。しかしリアクションとは納得であったり説明という効果を果たすように思え、観客を誘導するには有効な手なのかもしれないが、本作の場合アクションに対しリアクションの比率が大きすぎるため、恐怖の増幅というよりは顔面のくどさのほうが印象に残ってしまった。これは、何か禍々しいものを見てしまった、という恐怖をも打ち消しているように思う。アレックス・ウルフはまだ作品にあった顔つきを見せているけれども、トニ・コレットはリアクションの熱量が高すぎる。そんなリアクションが何かあるたびにきちんと挟まれることによって感情を整理する隙が生まれているし、何より鬱陶しい。ただし終盤ピーターの周囲で狂気が爆発するシークエンスはほとんどリアクションを取る間もなくガラス窓をぶち破るというアクションがきちんと撮られており好ましい展開だった。

 

 

以上が僕の本作に対する感想であり、ワーストとしたのは前評判の高さや宣伝などからさぞかし怖いものを見れるに違いないと期待していた落差によるものであるが、それを差し引いてもそんなに面白いとは思えなかった、というのが正直な気持ちである。

最後にこの作品で僕が最も評価している点について述べたいのだけれど、それは死体のデザインである。死体が写される映画は数多くあれど、死体をインテリア的にデザインするというのはそれほど多いわけではないように思うし、そのデザインにも美意識というよりは悪意がある。チャーリー首から下なんか若干チープなところも含めて最高じゃないか。この容赦のなさは登場人物を駒的に扱うからこそともいえるかもしれないが、祝祭ムードが漂っているなかで見せられるとあまりにもひどい姿であっても不思議な感動があり、ここがあるおかげで僕としては家族にまつわる厭な映画という感想も持たなかったのである。というわけで今回はアリ・アスター監督の意図に乗れない部分もあったけれど、次回作を期待させるには十分な作品ではあったから、いつか地獄の底に叩き落としてくれるような映画を見せてくれると信じて待っていようと思う。

 

 

『グリーンブック』を見た。

すてきなホリデイf:id:hige33:20190331004139j:plain

ジム・キャリーはMr.ダマー』『メリーに首ったけ』などで知られるファレリー兄弟の兄・ピーターが監督・制作・共同脚本を務めた作品。主演はヴィゴ・モーテンセンマハーシャラ・アリ。第91回アカデミー賞において作品賞、助演男優賞脚本賞を受賞した。

 

 

1962年。ニューヨークのナイトクラブで用心棒をしているトニー・リップ(ヴィゴ・モーテンセン)は店舗改装のため一時閉店となることから、新たな職を探していた。そんな折、運転手の仕事を勧められ面接へと向かうと、彼を待っていたのは黒人ピアニストのドン・シャーリー(マハーシャラ・アリ)であった。ドンは2か月後のクリスマスまでに各地でコンサート開催する予定となっており、その運転手と身の回りの世話係を探していたのだ。トニーは身の回りの世話までしなければならないという条件に反発し交渉は決裂する。しかし、ドンとしては差別意識の強く残る南部でもコンサートを開催することから腕っぷしが強く口がうまいトニーをどうしても連れていく必要があるため、条件を変更。かくして二人は旅に出ることとなるのだが・・・

 

 

このグリーンのキャデラックが運ぶ心地よさを否定してはならない。確かにこの車には重い荷物が乗っている。けれども、そのことについて殊更強調したりはせず、立派なお題目を脇目に軽やかな走りを見せているからこそ、この作品は素晴らしいのである。この軽やかさは反復と差異を細やかかつ流暢に処理していることによって生み出されているのだが、その演出上の巧さを、生身によって画面に定着させたヴィゴ・モーテンセンマハーシャラ・アリという二人の俳優抜きにして語ることはできない。『グリーンブック』はまぎれもなく彼ら二人の振る舞いによって語られている作品なのだ。

 

 

例えばヴィゴ・モーテンセン演じるイタリア系の用心棒、トニー・リップは図体のでかさにもまして、冒頭から手を汚すこと、隠すことが強調されている。彼は用心棒として殴ることもいとわないし、有力者の信頼のためならば帽子を隠し平然と嘘をつく。消火栓を隠し、黒人が使ったコップを隠す。対してマハーシャラ・アリ演じる黒人のピアニスト、ドン・シャーリーは毅然とした態度を崩さない。他人に対し下手には出ず、自らの手はピアノのためにこそあるというかのごとき態度を保つ。旅に出てからも、トニーはまずサンドイッチを手づかみで貪り、妻がドンのために用意した分も食べてしまう。立ち寄ったスタンドで翡翠の石を盗む。しきりにタバコを吸う。警官を殴りつける。ドンはそれらの行動を咎め、正すが、自らの手を汚す羽目になることは嫌っている。

彼らの性質によって繰り返されるこれらの振る舞いは、しかし変化もしていくこととなる。例えばフライドチキンについて、はじめドンは「手が汚れるから」と嫌がっていたのにトニーに押し切られ、手づかみで食べて窓から骨を捨てまでする。ちなみにここではお互いに水平の動きで骨を捨てるも、紙コップまで捨てたトニーの行動を正すときには車をバックさせ縦の動きに変えており、他にもいくつかのシーンで縦は主従関係として活用されている。またトニーが妻に手紙を書くシーンでは、彼が背中を丸めることでその大きな体がますます強調されていて面白いのだけど、ドンはその時手をこそ使わないものの、言葉遣いを指示することでどこか共同作業のようになっていくのである。またアラバマ州での最後のコンサートにおいて、あれだけ冒頭から食べることにこだわってきたトニーは、食べることをやめて会場を後にする。そして小さなジャズバーへ移動し、こだわりのピアノ以外でドンは演奏をする。その後強盗目的で車の陰に隠れていた男をトニーは隠し持っていた銃で追い払う。長時間の運転で疲れたトニーに変わり、ドンが自ら運転をし、売り場に戻していたと思っていた翡翠の石を見つける。トニーの書いた手紙について彼の妻がドンに感謝をする。こういった手を汚すこと、隠すことに関するもろもろの変化はやや作為的すぎるきらいもあるが、二人の手の先から身体つきに、歩き方まで含めた振る舞いの見事さによってこともなげに要素を拾ってまとめ上げる上品さをこそ、僕は評価したいのである。

 

 

さてしかし、このような変化を通して友情が成立し、さぁ良かったね、という話では終わらない。というのも、このキャデラックが運んでいる荷物の重さには、人種問題と絡み合う形で、孤独な魂という視点も含まれているからだ。そのことはまず、エンジンの故障により立ち止まった場所で、農作業をする黒人たちを見つめるドンの視線に現れている。ここでも手を汚す黒人たちと運転をさせているドンという対比が生まれているわけだけれども、これは彼が黒人社会とも白人社会とも相容れぬ存在であるということであるのだ。またバーでの暴行やシャワー室の真相、雨の中の告白などはドンの隠し事として語られており、彼は差別的なことについては意見を述べるものの、自らの帰属意識についてはあまり語らず、孤独にカティサークを飲むばかりなのだ。トニーはその点、家族という根がしっかり張っている。そもそもトニーにとってこの旅は家に帰るための旅であるのに対し、ドンにとっては立ち向かうための旅であるという点で彼らには大きな差がある。最後にジャズバーで演奏して喝采を得た後に強盗に襲われそうになるのは、銃の登場、いい話で締めないという狙いとは別に、結局彼がここには馴染めない存在なのだと、再度語っているということでもあるのだ。

 

 

その点について決定的な解決はないまま家路へ向かう彼らに雪が降り注ぎ、警官からの温かい言葉と家族が待ち受けているという結末は、クリスマス映画であることを意識させるに十分なプレゼント的展開ではあるが、これは甘さとして批判されるようなものではない。むしろ一度質屋の老夫婦を挟んでからドンを招き入れ手紙についてオチをつけるという軽やかに全体を包み込む上品さこそ評価すべきなのであって、この上品さは、露出狂的に意見をさらけ出し押し付けるような作品よりも遥かに巧く、そして称賛されるべきものである。アカデミー作品賞を受賞した作品の中では久々の良作。

 

Green Book (Original Motion Picture Soundtrack)

Green Book (Original Motion Picture Soundtrack)

 

 ちなみにヴィゴ・モーテンセンは小学生の頃に『ロード・オブ・ザ・リング』を見て初めて好きになった俳優で、『イースタン・プロミス』以降あまり好きな作品はなかったのだけれど、本作は久々に良くて嬉しかった。

『女王陛下のお気に入り』を見た。

宮廷肉体労働

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ヨルゴス・ランティモス監督最新作。主演はオリヴィア・コールマン。共演にレイチェル・ワイズエマ・ストーンら。 第91回アカデミー賞において10部門にノミネートされ、主演女優賞を受賞した。

 

 

18世紀初頭、フランスとの戦争下にあるイギリスを統治するアン女王(オリヴィア・コールマン)は身心共に不安定な状態にあり、身の回りの世話だけでなく政治のほとんどを幼馴染で女官長のサラ(レイチェル・ワイズ)に委ねていた。ある日、サラの従姉妹で上流階級から没落したアビゲイルエマ・ストーン)が宮廷を訪ね、召使いとして雇われることとなる。アビゲイルは薬草の知識から痛風に苦しむ女王の足の痛みを和らげ、その功績から侍女に格上げとなるのだが・・・

 

 

ヨルゴス・ランティモスは登場人物が特異な状況下に押し込められる不条理劇を撮り続けており、それは普遍的な価値観、家庭や恋愛や、アリストテレスギリシア悲劇を持ち出して語られる正義といった事柄の中に潜むいびつさを浮き彫りにさせるがための手法なのだろうけれども、しかしそういった設定やテーマより注目すべきなのは、すべての作品に共通している肉体的な要素、それも不格好なダンスや抑圧された性行為、そして肉体の変容に代表される、ぎこちなさやままならなさ、もどかしさとでもいうべき要素なのではないか。

 

 

というのもランティモス作品において、画面上もっとも目立つのは肉体によって生み出される奇妙な光景だからである。ダンスであろうと性行為であろうと、そこに開放感や官能はなく困惑や気まずさがその場には漂っており、例えば『籠の中の乙女』のぎこちないダンスと抑圧された性行為、『ロブスター』の身体的特徴の一致者探しと事務的性処理に謎のダンス、『聖なる鹿殺し』の不自由な脚と抱くのではなく見る夫婦の性、そして回転銃殺などがそれにあたり、これらは特異な状況下にあっても、さらに異質なものとして画面に登場している。つまりランティモス作品において肉体ははっきり異物として扱われているわけだけれども、しかし独立した器官として突き放しているわけではなく精神の現れという面もある上に、不格好さを罰したり恥じたりする様子も薄いから嫌悪感とは違っているように思う。肉体は、ひたすら扱いにスマートさが欠けてしまうことへのもどかしさ・ままならなさから、異物として画面に登場しているのだ。必ず登場する目隠しは、これらについて最もわかりやすい例といえるだろう。

 

 

さて、『女王陛下のお気に入り』では杖を使った不自由なダンス、感情を欠いた性、痛風による足と顔面の崩壊、そして顔面への傷といった肉体的要素があり、アン女王はいかにもランティモス的人物として肉体の扱いに苦慮しているわけだけれども、対してサラとアビゲイルは自らの肉体をそれなりに武器としているし、優雅なダンスまで踊ってみせる。彼女らは肉体を自らの意思によって権力闘争の武器として利用しているのだけれども、それはつまり物語の中に収まりよく組み込まれてしまっているということでもあって若干物足りなくも感じた。なぜなら本作は結局脚本の理屈に沿ったことしか起こらないし、露悪的に描くという意味ばかりが前景化しているのであって、それは宮廷劇というジャンルとしては悪くないのかもしれないが、やはり画面を見るというこについては美術や撮影技法ばかりが目立って、動くということ、つまり映画らしい面白さは後退してしまっているように思えたからだ。意味や理屈よりも画面/行為が前景となっている例としては、例えばアビゲイルは2回汚物まみれになるけれどもそれは着替えと立場の転換を促すためであって、(男にそれをさせられるということに意味はあるけど)後半では落ちる・着替えるがサラによって反復される。理屈や心理ではなくこのような行為によってつながっていくほうが面白いと僕は思うのである。

 

対して、意味や理屈の前景化の最たる例はウサギであろう。このウサギはいわゆるメタファーということになるのだろうけれども、単にメタファーでしかないため、心理や意味の読み取りとしての機能しかもたない。そこには画面同士を効果的につなぐということはなく、はっきり言って退屈なやり方である。『聖なる鹿殺し』もそういう面は強いけれども、肉体の機能不全っぷりが作品全体を支配していたため面白く見られたのだが、『女王陛下のお気に入り』の肉体はきちんと機能している箇所も多いため、脚本主導の映画であることが際立っていたのだと思う。

 

 

最近見た旧作の感想その37

『恐怖の報酬』(1977)

 

いかにもフリードキンらしいなと思ったのは、この作品が出口のない狂気にとらわれた者たちの映画だったからである。『真夜中のパーティー』、『フレンチ・コネクション』、『エクソシスト』、『L.A.大捜査線/狼たちの街』『ハンテッド』、『BUG/バグ』『キラー・スナイパー』・・・といった作品はすべていつの間にか狂気の世界に入り込んでは出口を見失って一線を越えてゆく人間を描いており、この『恐怖の報酬』もやはりその例にもれず、一縷の希望に望みをかけた男たちが、引き返すこともできずに狂気にとらわれていく様子が描かれている。しかも恐ろしいのは、そんな状況にあってもまだ正気を保っている気でいる人間は即刻排除されてしまうという点であって、だから「妻の時計」などという、いかにも平穏な社会に戻れそうな言葉を口にした瞬間に爆死という最後を迎えるのだ。それは例えば、『ハンテッド』に出てきた女性捜査官が、結局狂人二人の戦いに何も手出しができぬまま物語を終えてしまったかのような排除ぶりであって、狂気以外立ち入り禁止と書かれた看板がかかっているかのごとき世界こそ、フリードキンの世界なのである。

 

 

だからこの作品はサスペンスとして面白いということとは少しずれている。わずかな揺れで爆発してしまう薬品を運ぶという設定にしては説明が足りず描写も簡素で、物語を緊張感によって進めているにしてはやや弱いのだ。だが代わりに、密林の地獄で理不尽な暴力に巻き込まれる恐怖こそ肝としている。おそらくその恐怖が最も端的に表れているのが、凶暴なまでの雨風にさらされる中、ほとんど朽ち果てているかのような橋を渡らなければならない、というシーンであろう。ここではあまりにも大げさであるがゆえに揺れたら爆発するという仕掛けがほとんど無視され、代わりに気が狂うには十分なほどの理不尽さが強調されている。また流木が急に誘導役を襲うシーンはまるでホラーにおけるアタックであって、サスペンスの文脈とは違う、暴力の急襲となっている。

 

 

本作はそもそも暴力の匂いが立ち込めており、いつだって登場人物の周りには死があったし、写さなくてもいいようないいような死体まできちんと見せてくれる。しかもそれだけではなく、物語とは直接関係のない場面、例えば結婚式のシーンでは新婦の目の周りに大きく痣ができているなど、些細な仕掛けはむしろ暴力描写にこそ仕組まれているんどえあって、よくないことが起こるであろう予感が絶えないのである。また黒シャツに赤ネクタイをつけた男はどうだ。何をするでもなくスラリと立つその存在は特に意味はなくとも不気味に暴力的である。このように細部から暴力の雰囲気が漂っているからこそ、フリードキン版『恐怖の報酬』はサスペンスとしてではなく、暴力に流され狂気へ突入するという物語としての強度が保たれている。

 

 

その暴力と恐怖の下支えとなっているのが、風土である。心地よさなどは微塵も感じさせず、心身を摩耗させるのにうってつけの場所といった具合で映し出される密林に囲まれた南米の小国は、しかも一度入ったら出ることはほとんど不可能という緩慢な地獄であるということを、フリードキンはじっくりと描写している。だからこの作品は舞台さえ整えばあとは狂気への直進を構造を描くしかないのであるし、その途中で足止めを食らったとしてもそれはサスペンスではなく、充満する暴力と狂気が足をつかんで死まで引きずり込むための停止なのであって、それはやはり、フリードキン的世界なのだ。

 

SORCERER O/S/T

SORCERER O/S/T

 

 

年末年始旅行記

たまには志向を変えて単なる日記というもの、2018年の師走の30日から、年明けて1日の夜までの事情の少しばかりをこのブログでも書いてみようと思う。



12月30日(日)
欠航という最悪の事態こそ免れたものの、大雪のため出発が2時間遅れるという事態に見舞われた新千歳空港発羽田行きの便を待ちながら早めの年越しそば気分で天ざるそばを食べ、ふとその日の午前中に急ごしらえで更新した「2018年新作映画ベストテン」記事を読み返していると、「小松菜奈」と書いたはずの箇所が「小松奈々」となっていることに気づき、「ファンです」などと書いているのにもかかわらずこんな初歩的なミスをしていることが恥ずかしくなったためすぐさま訂正し事なきを得る。
手荷物検査を終え、搭乗時間まで椅子に腰かけ待っていようかと思っていた矢先、レアチーズシューなる文字を見つけてしまい、基本チーズと書かれている菓子類についてはパブロフの犬のようによだれを垂らす習性をもっているため、昼食後であろうと一切の迷いなく購入。うまい。ようやく機内に乗り込み席に着くとほどなく眠気に襲われたため、アイマスクをし素直に従う。さてだいぶ寝たかなという感覚とともに目を覚ますと、なんとまだ出発すらしていないというのだから驚きであるが、ならばともう一度眠りにつく。
次に目が覚めたときにはすっかり羽田付近となっており、ようやく東京に到着。もともと2時間早く到着し余裕をもって目的地まで向かう予定だったが、天候にはかなわないということでなるべく急ぎつつグーグルマップの指示通りに動くことで奇跡的に迷うことなくカプセルホテルへ。取り急ぎ無駄な荷物だけ放り投げ渋谷へ向かい、「ヘルス」「無料案内所」などと書かれたいかがわしい店の並ぶ通りを抜けシネマヴェーラに到着し、「蓮實重彦セレクション ハリウッド映画史講義」特集で上映される『危険な場所で』と『ショックプルーフ』を無事鑑賞。後者は先日更新した下半期旧作ベストテンに入れるくらい面白かった。しかし年末だというのにこんなに客がいるとは驚きである。ここはいつも混雑しているのだろうか。
映画終わりに友人と会う約束をしていたのだが、連絡をしてみると前の飲み会が想定外に長引いているとの返答。仕方ないからとりあえずタバコを吸える店に入ろうと思い選択したのが人生2度目のバーガーキング。期間限定メニューのスノーチーズワッパーをセットで購入し喫煙席へ向かうと大学生くらいの集団がなぜかその場を占拠し騒いでおり、あてが外れたこと以上の不快感を味わうTOKYO午後10時。あきらめて通常の席で食べていると、隣の席の食事を終えたカップルがキスをし始めたのでなんとなくアイフォンの音量を大きくしてみた。スノーチーズワッパーはおいしかった。
友人からの連絡を待ちつつ渋谷のTSUTAYAへ向かい、ひそかな目的でもあったエドワード・ヤンの『恋愛時代』と『カップルズ』を探してみたところどちらもレンタル中で、いつ行っても常にレンタル中なのは運が悪いのだろうけど、本当に置いてあるのかと疑いたくもなる。店内をぶらぶらしつつ郵便返却のできないVHSをうらやましく眺めていると、友人から「今日は無理」との連絡がきたのでテンションが下がりホテルのある恵比寿へと戻る。途中、若干酒が飲みたくなったため居酒屋へ入り軽く日本酒と食事を摂るのだけれど、シメ気分で頼んだうどんがいつまでたっても出てこない。さすがに遅すぎるなと店員に確認したところすっかり忘れていたらしく、お詫びとしてサービスで刺身を出してくれた。前日に家族で寿司屋に行っており海鮮はたらふく食べていたためそんなに嬉しくはなかったけれど、ありがとう。
そんなこんなでカプセルホテルへと戻りさあ寝るぞとなったときに気付いた。微妙に小さい。そんなに身長が高いわけでもないのに足を若干曲げなければ入りきらない。しかしもうここで寝るしかないので、とりあえず今日はおやすみなさい。



12月31日(月)
今回の旅行の最大の目的について書いていなかった。Perfumeのファンクラブ会員限定カウントダウンライブに参加するためである。ということは会場となる新横浜までの移動を考えても、午前10時のチェックアウトだとかなり時間がある。さてどうしたものかと近場のカフェでまったりしていたところ、昨日結局会えなかった友人から昼飯を食いに行こうという提案を受けたのでそれに乗っかり、何が食べたい?という問いに対しては迷わずカレーとレスポンスを返す。札幌といえばスープカレーが有名ではあるが、個人的にはルーカレーが大好きでよく食べに行くということもあって、やはり人は場所が変わろうが習性は変えられないものである。というわけで適当にカフェなどで時間をつぶした後新宿へ向かい、中村屋で待ち合わせ。友人から彼女も連れて行っていいかと聞かれ、まぁその彼女も友人ではあるし、若干嫌な予感はするけれどもいいよと言ってしまったため結局三人で昼食。純印度式カリーのランチセットとクラフトビールを楽しむ。やたら肉がとりづらい骨付きチキンの入ったカレーもいいけどスープが無茶苦茶うまかったこと、店内にクリスマスの飾り付けが残ったままだったこと、時折醸し出される恋人同士らしい親密な空気に対し微妙な疎外感を味わったことなどが特に記憶に残る、いい昼食だった。
さてそろそろライブ会場へ向かおうかと友人二人に別れを告げ一人新横浜へと移動。わりとすんなり会場へたどり着き事前受付を済ませ、しかし本番まではまだだいぶ時間があるので一旦宿泊先のホテルへと向かう。ここまでは計画通りなのだが、このホテルへの道のり、そんなに遠くないなと思って予約したはいいものの実際のところなんだか面倒な乗り換えが多く、結果的についに道がわからなくなるという田舎者丸出しの事態が発生する。いったいこの、ブルーラインというやつはどこから乗ればいいのだろうか。グーグルマップでは対応しきれなくなったので駅員さんに教えてもらうことでなんとか到着。ひと眠り。
少々の休憩を終えたところでライブ参戦体制を整える。シャワーを浴び、PerfumeのファッションプロジェクトであるPerfume Closetから出ているおしゃれだけどクソ高いシャツに着替え気合十分となったところで再度会場へ向かう。今度は迷わない。
さて会場に着き座席引換券を渡すと戻ってきたのはスタンド席のチケット。なんということでしょう。北海道からはるばる来たのになんともステージから遠い席。以前ライブに参加したときはびっくりするくらいいい席だったことから今回も期待していたのだけれど、こればっかりは運だから仕方がない。そういって自分を納得させたあとは始めてくる横浜アリーナ内をとりあえずうろつき、夜飯代わりとして量のわりに高いホットドッグとビールを頂いて20時30分の客席スタンバイより少々早く席に着く。会場では紅白歌合戦が中継されており、あいみょんの「マリーゴールド」が短すぎだろうなどとと文句を垂れていると突如中継が途絶え9nineの「SHINING STAR」が鳴り響き、なんとステージにあ〜ちゃん実妹であり9nineのメンバー・ちゃあぽんこと西脇彩華が登場。予想外の出来事にテンション爆上げ。そういえばかつてPerfume FES!!にて9nineと対バンをしたとき姉妹でメンバーを交換した曲がこれだったなぁと思い返しつつ、ちゃあぽんから紅白歌合戦生中継についての説明を受ける。その後Perfumeの3人もステージに登場。あ〜ちゃんがすでに泣いている。そしてまさかのリハーサルを見た後に紅白本番。2曲凝縮の短い時間ではあるものの既に満足気味の21時30分。ライブ開始は22時30分なので微妙に時間が空いてしまうが、長蛇の列となっていたトイレに並んでいるだけでそれなりの時間に。「良いお年を」と数少ない友人にラインを送ってライブ開始。
さてライブの内容、例えばどういうセットリストだったかというようなことについて詳細を書くつもりはない。また、3人の手の動きに合わせ発光する行燈のようなサイリウムや、個人の携帯を会場内のWi-Fiに接続して行うリアルタイム参加型PTAコーナーという特別な演出についても、これ以上長々と触れる気はない。それは決してもったいぶっているからではなく、単にライブ中はステージまでの距離など関係なくなってただひたすら楽しいとか嬉しいという感情だけで占められていたため、一つ一つの事柄に対して、例えば曲についてであろうがダンスについてであろうが何であれ、書き残したところでその感動を反芻できる気がしないからである。ただ一つ言えるのは、相変わらずいいことなどほとんどなかった2018年の最後かつ平成最後のカウントダウン、平成生まれにとっては元号が変わるという初めての体験を前にした最後の大盛り上がりをこの場で過ごせてよかった。正直、あまりに幸せで泣いたね。そしてあ〜ちゃんが最後のMCで泣き笑いしながらかしゆかとのっちの肩を抱き寄せたとき、これがおそらく世間でいう「尊い」というやつなのだろうと実感した。というわけで深夜1時過ぎ、ライブ終了。超満員の電車に乗ってホテルに到着。すぐ寝る。



1月1日(火)
あけまして足が痛い。これは昨夜ライブではしゃぎすぎたからではなく、旅行のため新調した靴のサイズが微妙に合っていないからである。その証拠に、薬指の甲の部分に擦り傷ができている。しかし今更そんなことを言っても仕方がない。今日の目的は鶴岡八幡宮へ初詣をすることなのだ。というわけでカフェでコーヒーを飲んで午前11時ごろ、横浜から鎌倉まで出発。ところでこの旅行中何度もカフェへと入っているが、これはとにかくすぐまったりしたい、そしてタバコを吸いたいという怠惰で不健康な欲望ゆえであるし、北海道は関東圏ほど列車も多くないので待つのにちょうどいいという習慣もある。まぁコーヒーは好きだけれども。
八幡宮へ行く以外の予定は何も立てていなかったので、電車の中で鎌倉について調べていると興味のそそられるものを見つけたため北鎌倉で下車し、円覚寺にある小津安二郎の墓へ。「無」を確認する。境内では北海道だとまず見られない竹に目を奪われたのだが、竹林といえば報国寺が有名らしい。ちゃんと事前に調べておけばよかったと後悔する。
さてだいたい見終えたというところで寺を後にし、なぜか歩いて鎌倉まで行ってみようという気になったためとりあえず歩き始める。足が痛いと朝起きた時点から気付いていたのに何故そんなことをしてしまったのかといえば、きっと歩けば鎌倉らしい風景が見られるのではないかと期待していたからである。だがそもそも鎌倉らしい風景というものを知らないので、結果やみくもに歩いただけといって差支えない。間抜けである。ただ道を歩いていて思ったのは、断層が良く見えるというか、山に囲まれているからこその高低差が印象的ではあった。
案の定目的地に着く前に相当足が痛くなってきたため、休憩のためまたカフェに入る。コーヒーとケーキを注文し待っていると新年ということもあってくじを引かせてもらい、その景品として自家製ドレッシングが当たったのだが残念ながら自分はドレッシングを使わないので実家へのお土産とする。邪魔というと言葉が悪いから慎重に言うけど、微妙に荷物になるサイズだった。いやありがたいんですけどね。
ついに目的であった鶴岡八幡宮へ到着。ところでなぜここを目的にしたかというと、それは別に歴史的な経緯に興味があるわけでも信心深いわけでもなく、単に有名で名前を聞いたことがあるというだけの、イベント感覚での参拝のためである。しかしやはり有名というだけあって、とにかく混んでいる。まさしく人混み。どこくらい混んでいたかというと、並んでから実際に参拝するまで1時間30分はかかるくらい混んでいた。帰りの飛行機は夜8時羽田発なのだからとりあえずここは後回しにして他の観光地までいくらでも行けたろうに、従順に並んで待っていたのだから時間の使い方が下手としか言いようがない。しかも参拝し終えた後は人にうんざりしておみくじを買うための列に並ぶ気も起きなかったし、もちろん小町通も混んでいたため、特にどこにも寄りはせず鎌倉スイーツを楽しむこともなく時間だけかけてゆっくりと鎌倉駅へ。だがしかし、このままだとなんだかさすがにもったいない気がしたので、少しばかりネットで検索をして遅めの昼食にちょうどいい店を調べてみると良さそうな場所が何件か見つかったので再度小町通へ向かってみるものの、混んでいるか閉店しているかのどちらか。結局これ以上探すのも嫌になって、営業していた蕎麦屋へ入店。ここでまた断っておきたいのが、1日置いてまたそばだからと言ってそば好きというわけではない。そもそもそばの味の違いなどはよくわからないくらいのバカ舌で、好きなのは天ぷらなのである。というわけでシラスのかき揚げが入った天ざるそばを注文。おいしい。そしてまた混雑した小町通や鳩サブレーの本店、キネマ堂などを通り過ぎ、鎌倉駅から横浜、そして羽田空港へ。ひたすら疲れた鎌倉観光だけれども、それはそれで面白かった。電車内ではほぼ寝ていた。
さて出発時刻よりだいぶ早めに羽田へついてしまったのでゆっくりとお土産を見て回る、としたいところだけれどもすでに書いたようにとにかく疲れがたまっていたので、足の痛みと眠気にうんざりしながらとりあえずお土産購入。そしてやっぱりカフェに入って大しておいしくないコーヒーを飲みながらぼーっとする。しばらくしてガラガラに空いた飛行機に乗りながら考えたのは、疲れはしたけども2019年、このあとにこれ以上楽しいことなど起こりえるのだろうかということであり、年初めからクライマックスを迎えたのではという危惧はあるけれども、そう思えたのだからいい旅行だったのは間違いないのだろう。というところでこの日記は終わる。

最近見た旧作の感想その36〜2018年下半期旧作ベスト〜

皆さんあけましておめでとうございます。今年も当ブログをよろしくお願いいたします。

さて、先日の新作ベストテン記事にて予告したように、2018年下半期に見た旧作の中で特別面白いと思えた作品について、一言程度コメントを添えつつ紹介したいと思います。並び順は単に見た順というだけです。ちなみに、昨年の旧作鑑賞数は140本でした。なお、上半期ベストについては<こちら> をどうぞ。



文学賞殺人事件 大いなる助走』(1989)
筒井康隆原作の小説を鈴木則文監督が映画化。筒井康隆の作品を読んだことはないのでその個性はわからないが、同人会員も選考委員もキャラが立ちまくっていて、そのおちょくり方が鈴木則文らしく、アナーキーでしょうもない勢いが楽しいコメディ。しかし「ソクラテスの妻」と揶揄される宮下順子に「私はソクラテスの妻でいいわ。でもあなたはいつになったらソクラテスになってくれるの?」という強烈な一言を浴びせられる蟹江敬三の存在が、終盤になるにつれ文学愛好家としての悲哀を強めておりアクセントになっている。ラストはちょっと長い。



『空の大怪獣ラドン(1956)
本多猪四郎監督、特撮監督円谷英二という間違いない布陣。瓦屋根から車から、街中の大小ありとあらゆるものが風で破壊され、燃えたり吹っ飛んでゆく特撮はかなり見応えがある。阿蘇山での最後も落ち方が切なくて最高。そしてラドン以外にも、炭鉱町に現れるヤゴの怪獣・メガヌロンは生活圏で見たらぞっとする絶妙なサイズ感で抜群に気持ち悪い。しかもこれが破壊というよりは民家にいきなりぬるぬると侵入してくるのだから怖い。



『絹の靴下』(1957)
ルーベン・マムーリアン監督、フレッド・アステアシド・チャリシー主演のミュージカル映画。足にはじまり足に終わる映画なのだけれども、中でも「ニノチカ」ことお堅いシド・チャリシーが絹の靴下を手にし、いままでの服を脱ぎ捨て華麗に変身していくダンスはセクシーというよりも素敵という言葉で表現したくなる、素晴らしいシーンとなっている。というかこの作品のシド・チャリシーは最高。ミュージカル部分は全体にカットやアイデアによる空間の見せ方も楽しいし、「Stereophonic Sound」で立体音響になるところは笑える。



『明日は来らず』(1937)
レオ・マッケリー監督。これは『東京物語』の元ネタになっているということで見て、確かに中盤まではそういった趣もあり、またそれ故にヤカンが妙に気になったのだけれども、しかしそんなこととは別にして傑作であった。この作品で何より素晴らしいのは後半、老夫婦がベンチに腰かけてから二人でデートをするという展開にあり、先々で車売りやホテルマンに指揮者などの第三者を介入させながら会話をさせていくシーンの一つ一つに、微笑みながら泣いてしまうのだ。視線のやり取りで笑えもするし、室内シーンは窓際の風景がいいのだけれど、これはおそらくその窓際に置かれた、うるさく音を立てきしむ古びた椅子が孤独を浮き彫りにもさせるからであろう。



月光の囁き(1999)
この作品に出てくる、道の良さに感動した。関係性が前後する川沿いの告白や、自転車で素晴らしい疾走をみせる曲がり角と直線。土手。病院の階段と呼応する二人が寄り添う曲り道。塩田明彦監督は『カナリア』でも男女を道で印象的に衝突させており、『風に濡れた女』もそうであったな、などと思い出しもした。また川、汗とキス、おしっこ、雨、汗、滝、ジュースという水の要素が繰り返されているのも面白い。

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『人間人形の逆襲』(1958)
バート・I・ゴードン監督。『マッドボンバー』も今年鑑賞し、チャック・コナーズの顔のあまりのマッドボンバーぶりに感動したのだけれども、この作品も忘れがたい魅力があった。特撮としてはミニチュアサイズされてしまった人間たちが見どころではあるけれども、ミニチュアサイズ人間の楽園を作ろうとする自己中心的な狂った人形師側のお話が良くて、妻に逃げられたこの人形師の孤独、すべてが水の泡となったときに放つ、「お願いだ、わたしを一人にしないでくれ」という言葉が染みるのだ。

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『モンキー・ビジネス』(1952)
ハワード・ホークス監督。猿が薬を調合するシーンの、猿の演技というか動きやカメラワークや最高すぎる。その後の騒動、例えば最後の二人同時退行は変化のシーンに最も顕著だが、一つのショットの中でやたらと動くのである。そしてこういったはじまりが良く出来ているからこそ、加速していく馬鹿馬鹿しさも大いに笑えるのだろい。またホテルでのやり取りに顕著だが、扉や照明が効果的に使われている。ちなみに扉については、目の悪さという設定も相まって次第に入り口と出口が無茶苦茶になるというギャグにもつながっていく。

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『雀』1926)
ウィリアム・ボーダイン監督のサイレント映画。全く聞いたことのなかった監督だったが、DMM動画で簡単に見られるのでなんとなく視聴をしたら大変面白かった。人里離れた沼地のある一軒家という舞台設定がまず最高。そこで貧困と搾取に苦しむ子供たちの描写もさることながら沼が何より凄くて、人形を握りつぶして捨てる冒頭からワニのいる湿地帯を潜り抜ける終盤の脱走劇に至るまで非常に印象的である。ちなみにその脱走劇は舞台設定をうまく生かした画面が素晴らしく、密林では板や木を使うアドベンチャー的面白さが、そしてその後はボートチェイスの迫力がと、まるでスリルの手本のように展開が転がってゆく。

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『ルーキー』(1990)
クリント・イーストウッド監督・主演。冒頭の面接から妙に影が強く空間も異様なのだけれども、こういった妙に不安をあおる演出はクリーニング屋で最も炸裂していて、ビニールに覆われた服の数々が醸し出す妙な不気味さだけで大好き。風に揺れていたり、突如機械仕掛けによって回りだすのがいいのだ。黒沢清はこの作品を好きに違いない。さてそんな影ばかりではなく光の非常に印象的であって、イーストウッドのみならずチャーリー・シーンも後半逆光で登場している。光というと、闇夜に火花をあげながらチェイスするシーンもよく、アクションは割と派手。そして見上げる視点とコンベアの流れで締めるラストも最高。

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『ショックプルーフ(1949)
ダグラス・サーク監督。とにかく早い。物語が早い。それだけでもうすごいというところではある。さて脚から登場する美女が服を着替え髪色を変え、殺人を犯した罪から保護観察局へと出向くという冒頭はノワール風なのかもしれないが、しかしその後の展開はメロドラマ要素もだいぶ強まっているように思えた。またこの作品は美術が非常に印象的で、例えばコーネル・ワイルドが演じる監察官のいる事務所の窓枠であるとか、鉱山での巨大な装置が丸見えになっている窓などは単純に視覚的に面白いし、何より監察局や彼の実家などは階段、というか高さが素晴らしく、だからこそ飛び降り自殺も映えるのだろう。ところでパトリシア・ナイトは美人ですねー。
ちなみにこの作品はシネマヴェーラ渋谷にて12月30日に見たのだけれども、なぜ北海道の田舎者が年末にそんな場所で映画を見ているのかということにつては後日ブログを書く予定。

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以上が2018年の下半期旧作ベストでした。他にも『マンクスマン』『次郎長三国志 次郎長初旅』『トロール・ハンター』は面白かったですね。今年はどうも心と体のバランスが例年以上にうまくとれていなかったのか、旧作の鑑賞数が昨年から60本以上減っていました。2019年は年明けからキアロスタミの『桜桃の味』などがレンタル開始にもなりますし、いろいろと今まで見られなかった作品も販売開始になったりしているので、たくさん見れるよう健康でいられたらいいなと思っております。

さて、ここ数年は本を読みたいということも目標している、というのは去年も書いたことなのですけれども、恐ろしいことにまったくそれは達成できていません。しかし2018年は念願だったソール・ライターの「Early Color」を入手できたのがうれしかったですね。今年もその目標は継続していきたいと思います。またブログの更新頻度についてはどうも改善できそうにないのですが、とはいえ新作だけでなく旧作も、短かろうがせめて月イチでは書いていけるようにしたいと思っています。それでは皆様、今年もよろしくお願いいたします。

今年の映画、今年のうちに。2018年新作映画ランキング

年の瀬でございます。というわけで今年もやります、2018年に見た新作映画ベストテンです。今年鑑賞した新作84本の中から、次点も含めて11本を選びたいと思います。尚、新作の基準としては基本今年劇場公開となったものとしますが、地方ではタイムラグがありますので、僕が利用している映画館で新作として公開されたもの、となります。ただし例えば『恐怖の報酬』(77)のようなリバイバルは除外。Netflixオリジナルについては今年初めて日本で見られるようになったもののみ入れることとします。さて、前置きが長くなりましたが、そろそとベストに移りましょう。一応、ベストテン内の作品で個別に記事を書いている作品はリンクを載せておきます。



次点 A GHOST STORY / ア・ゴースト・ストーリー

個別記事では触れていませんでしたが、妻が家から外出する様を繰り返し同一ショット内で見るというシーンがあって、これは幽霊が通常の人間とは違う時間間隔へと移行し始めているということでもあり、同時に寂しさをも感じさせるいいシーンだと思います。このような寂しさとかわいらしさがショットの力によってほとんどあざとくなく表現されていることが素晴らしいし、愛を具体的な触覚によって「見せる」というのもまさに映画らしいといえるでしょう。完成度だけで言えばもっと上じゃないとおかしいと自分でも思いますが、ただそういった出来栄えよりも重視したい作品があるので、この順位というところ。
<感想>



10位 霊的ボリシェヴィキ

高橋洋監督が昨年脚本を担当した『予兆 散歩する侵略者』に続き、ラングを思い出す円による降霊術。語りの内容も怖いけれど、炎以降の終盤も怖い。それはミドルやアップにより顔と声/音で緊張を盛り上げているということもありますが、何より足・靴に杖といった足元への意識を序盤から強く印象付けているのが良いのだと思います。足音響く工場という場面設定、裸足で近づくこの世ならぬもの、靴を脱いでしまうということ、靴下で彷徨うこと。これら足元への意識が、物語に合わせて徐々にあの世とこの世とをのつなぎ目を露わにしていくからこそ、本作は怖いのでしょう。と、まぁ実際のところ1回見ただけではわからないことが多かったんですけどね。ただ面白かったからいいんです。大胆な光の演出も面白かった。



9位 アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル

白人貧乏地獄と災害級のバカ野郎事件簿かつ毒親モノで、しかも画面のテンポと遊び、例えば人物へのズームなどが実にスコセッシ流で、勿論そこまで効果的な使われ方ではないけれども、僕好みのラインではありました。どうしようもない「アメリカ生まれ」の円環により、本人はそうと気づかぬまま間違った方向へ猛進し自爆する狂騒の中にあって、スケートをはじめとして登場人物たちはイメージとの戦いを常に行っており、それゆえ言葉と画面にの間には多々裏切りもありますが、だからこそ、トリプルアクセルに泣いてしまうのでした。ボクシングと重ねるところは駄目だと思うけどね。ところで災害級のバカ代表、ショーンの実際の映像には驚かされた。



8位 グレイテスト・ショーマン

一つ(に見える)ショットの中でも時間と空間を無視し、動きや道具で場面を繋ぐのは画面全体の嘘っぽさも含め面白く見られましたし、その嘘っぽさは頻出する回転の動きや影絵の表現と合わさって偽物という物語にも繋がっている。ミュージカルシークエンスとしては「This is me」も素晴らしいけれど、バーでのスカウトとロープを使ったロマンスがそれぞれ空間や小道具と動作に凝っていて視覚的に特に冴えていましたね。ただ物語としてはそういうダンスシーンの流れが殺されないよう相当な、これはもう本当に駆け足になっていて、それゆえドラマ全体が、画面の良さに対して大きく見劣りするというのが弱点ではありますね。ところでこれ、キング・ヴィダーの『群衆』にちょっと似てないですかね。



7位 恋は雨上がりのように

陸上競技が題材として登場するものの、走りはほとんど抑えられむしろリハビリの話としており、だから小松菜奈は立ち尽くしたり、止まっていることが多いのだけれども、撮影や編集により空間と距離が関係がうまく描かれているため位置関係のドラマが映えいたのだと思いますし、そもそも基本的に撮影や照明がいい。また画面内のフレームという要素を積極的に取り入れられており、それも扉を開ける人としての大泉洋を効果的に見せていると思います。つまり、画面や人物の動きをまず基本として映画を作り画面を充実させているようなのですが、戸次重幸との会話はセリフも相まって心理に偏っているように思えましたね。とはいえ、最後の朝練の素晴らしさによって帳消しです。そして僕は小松菜奈のファンです。



6位 フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法

愛おしく思っているふりをしながら子供を大人の道具のように扱う下品さなどは微塵も感じさせず、物語的な事柄とは別の、歩き、笑い、暴力、遊び、食事といった素晴らしい動きの数々が子供と大人、それぞれの目線により捉えられており、それ故に子供も家族も土地も貧困も、生き生きと画面上に浮かび上がっていたと思います。また大人は限界を迎えつつある一家の生き方について境界線から見守る存在となっていて、そんな役を体現したウィレム・デフォーは間違いなく名演といえるでしょう。停電におけるロングショット内での人の動き、ベランダでタバコを吸う姿と電灯といった、ロケーションを生かしたショットもいちいち最高。



5位 来る

子供のまま大人となった者たちが、自らの生き方ごと蟲毒と見立てられたマンションへと投げ込まれては呪いを充満させていくかのような儀式的作品で、それゆえに準備段階としての前半はわかりきったことを延々と誇張されているようであざとく長く感じるものの、しかし中盤以降はなにもかも誇張されて出鱈目だからこそ面白く見えるようになっていました。映画にとって出鱈目であることは時に深刻ぶるよりよっぽどまともで、理屈よりも今目の前にある地獄を描くという選択も、出鱈目の極致へと達する最終対決も、怖くはないけど娯楽としては正しいと思います。そして後半は、出鱈目かつ軽薄でばかげているからこその意外な切実さまで伴う。子供のまま大人となった個性の強すぎるキャラクターを演じる役者陣が素晴らしく、特に妻夫木聡松たか子、そして柴田理恵は使い方が見事。また走ってくる足や、ベランダに飛び出してからの血、そして殴ることなど、いいアクションもありました。そして僕は小松菜奈のファンです。



4位 きみの鳥はうたえる

豊かに引き延ばされた時間を贅沢に楽しむことはできるけれども、しかし時間は決して後戻りはできないのだし、いつまでもモラトリアムを享受することもやはりできなのであって、それゆえに夜の美しさが印象に残る作品にあって白日の下で走り出すというラストが訪れるこの作品については、見た直後よりもむしろ後になってから思い返すことが多かったのですが、そのこと自体この作品において指摘された甘さのような気もします。それにしても石橋静河は魅力的だった。これは彼女について理屈を並べ立てるのではなく、ただひたすら行動させることによる魅力なのでしょうが、こういった人物の動きが照明や色彩設計と相まって忘れ難いシーンをいくつも生み出していましたね。
<感想>



3位 ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書

この作品を上位に選ぶのは決して報道の自由だとか、女性の強さだとか、政府への不信とかいった政治的もしくは現代的というような不埒な理由からではなく、ひとえにスピルバーグの演出によるものであって、それは時代の潮流などとは関係なく映画として見事だと思うからこそ僕は高く評価していますし、いつ見返しても面白いと思えるはずです。実際、同年公開の『レディ・プレイヤー1』なんかほとんど寝ながら撮ったんじゃないかと思わせるほど、本作のほうがよほど大胆で、活劇的で、素晴らしいアクションとダイナミズムにあふれているのですから。というわけで相変わらず精力的な2010年代のスピルバーグ作品においても、最も好きな作品です。
<感想>



2位 寝ても覚めても

いったいこの不思議な映画は何なのだろうかということについてはいくら考えてもいまだに答えを見いだせずにいて、記事を書きはしたものの自分自身その内容に納得した気にはなれず、ただ不意に、水辺と高低差と移動などといったシーンを思い出しては、「あぁ、あれはよかったね」とつぶやくばかりです。しかし、そんな混乱する映画に出会えたのが実際のところ何よりも嬉しく、これが恋愛映画だろうと、ノワールだろうと怪談だろうとサスペンスだろうともうそんなことは知ったことではい、という気持ちですね。ちなみに本作は今年僕が観賞した作品の中で、最もジャンルとしてのホラー的な怖さを感じた映画でもあります。
<感想>



1位 リズと青い鳥

見た直後から、あぁ今年はこの映画を超えるものはまず現れないだろうと思っていたけれども、やはりそのような結果となりました。しかしなぜこの作品が好きなのか、ということについては正直自分でもよくわかっていないところがあって、これが昨年の一位である『ジェーン・ドウの解剖』や、その前年の『キャロル』ならば自分でも説明できる気がするのですが、本作はそれらとはやや違った形で好きな気がします。もちろん、アバンタイトルから画面と音により提示される主題に対してのアプローチは素晴らしいし、願いがかなわないというのは個人的に好きな物語ではある。しかしどうもあれこれと言葉を並べるより、フルートの反射した光で戯れる2人の、残酷かもしれないけど美しい瞬間に抱いた感動を何よりも優先させて、今年はこの作品を1位としたいと思います。
<感想>



<まとめ>
というわけで以上が僕の2018年新作映画ベストテン&次点でした。見られなかった作品で特に気になっているのは『苦い銭』『ミスミソウ』『パンとバスと2度目のハツコイ』『SPL 狼たちの処刑台』『ゾンからのメッセージ』『ROMA/ローマ』『バスターのバラード』あたりですかね。やはり上映回数が少なかったり期間の短い作品はみずらいですし、netflixは後回しになりがちですね。
年々面白いと思う映画が少なくなっている、と最近は毎年書いているのですが今年は特にそれがひどく、新作の鑑賞本数こそ例年と同程度ではあるものの、正直ベストテンを選ぶほどもなかったかなとも思っています。ただ上位4位までの作品に関してはどの年度であろうとベストテンに入るような作品ではあって、まぁ4、5本そういう作品を映画館で見られるのであれば御の字、といったところですかね。これは「最近の映画はつまらない」ということではなく、単に僕の感度の低下が問題なんだと思います悲しい。
今年はブログを書く回数がかなり減ってしまったので、何とか来年はベストテンに入れる作品だけでも、とは思っていますけれどもしかしやはり面白いと思う作品が減ってきていることともこれは関連もしておりますので、旧作の更新を増やせたらなと思っております。言うは易しとならないようにしたいですね。
さて、今年も見る作品はある程度厳選したため、本気でこれは酷いと思うような作品はほとんどありませんでした。ただ「ほとんど」ですので、期待値より下でがっかりしたというような落胆もあれば、それを超えてひどいと思った作品も多少はあるということなんですよね。というわけで以下、例年通り今年見た新作の全ランキングと簡単なコメントを載せておきます・・・と言いたいところですが、今年は時間がないのでベスト20までと、つまらないという気持ちのほうが上回るワースト5を書きたいと思います。年始に時間ができたら書き直すかもしれませんけどね。



<2018年新作映画ランキング>
1 リズと青い鳥
2 寝ても覚めても
3 ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書
4 君の鳥はうたえる
5 来る
6 フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法
7 恋は雨上がりのように
8 グレイテスト・ショーマン
9 アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル
10 霊的ボリシェヴィキ
11 A GHOST STORY / ア・ゴースト・ストーリー
12 バトル・オブ・ザ・セクシーズ
13 15時17分、パリ行き
14 それから
15 万引き家族
16 オンリー・ザ・ブレイブ
17 素敵なダイナマイトスキャンダル 
18 ファントム・スレッド
19 ジオストーム
20 ミッション:インポッシブル/フォールアウト

変な話ですがベストテン&次点の中で、もし12位から20位までの作品と何か入れ替えるとすると、それは9位の『アイ、トーニャ』と何か、になります。これは個人的な気分というか感覚なのですけれども、いずれにしても12位から20位までの作品は気分によっては9位と入れ替わるような作品が並んでいます。『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』は70年代を再現した画面のルックや男性側に当たる暗めの照明やクローズアップによる親密さが面白く、ボビー・リッグスの哀しさも泣ける上に三角関係のメロドラマも見応えがあって順位付けはかなり迷いましたね。イーストウッドにしては凡作に思えた『15時17分、パリ行き』は、しかし気をそらさせられるような妙な場面の多い、変な映画でしたね。『それから』のキム・ミニが車の窓を開け雪を見るシーンは美しすぎる。『万引き家族』については10位以内に入れる気はなかったけど、とはいえあまり下にすることもできなかったという感じです。『オンリー・ザ・ブレイブ』は俯瞰ショットが非常に効果的で、森林火災のスピードと状況の繋ぎもうまくいつのまにかという恐怖と絶望があり、さらにチーム物と再起のドラマも丁寧で大変満足。『素敵なダイナマイトスキャンダル』で一番驚くのはいつでもどこでもたばこの煙が充満しているという時代感だった。『ファントム・スレッド』は撮影が美しいとかそういうことよりも最後、キノコを食べてキスするシーンの光で笑わせてくれるのでオッケーですし、幽霊屋敷モノとしても推したい。というか今年は直接じゃなくても幽霊屋敷モノ多かったような気がする。『ジオストーム』の、海が凍り人が凍り、鳥が凍って落ちてきたかと思うと次は飛行機が、というのを直線と高低差で見せるシーンはよく、カーチェイスでも高低差は印象的だった。『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』は前作の出来の良さと比べると分が悪かったけれども、トム・クルーズは超越してる。



<ワースト5>
80 ヘレディタリー継承
81 ゲティ家の身代金
82 未来のミライ
83 ゴースト・ストーリーズ 英国幽霊奇談
84 ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生

80位から82位までの作品は期待値からの下げ幅が大きすぎた。『ヘレディタリー継承』は確かに精巧に作られた、特に音のバランスが良い作品だとは思いますが、まじめでかったるいというところがあり、動きの魅力に乏しく評価できない。リドリー・スコットは好きな監督ですが『ゲティ家の身代金』はダメ。サスペンス不足で表面的な物語だけが過ぎ去っていく。そもそも被害者よりもステーキとか医者の動きの方が生き生きとしてて、母子の話なんて本当は興味ないんじゃないか。『未来のミライ』における奇怪建築の階段は期待ほど動きや視線を見せずにフェチ的生態描写に留まるからつまらないし、3つの時間旅行と導かれる閉じた家族観は理に落ちているから退屈だ。『ゴースト・ストーリーズ 英国幽霊奇談』は夜間警備員のところはわりと面白く見れたけれど基本大したアイデアもなく、最終的に本当にどうでもよくなるような畳み方で、ジャンルとして不誠実に思えた。そして最下位の『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』はどのシーンも映画を見せようという気が感じられず、ただ見せ場らしき何かと断片的な要素を適当に並べただけで、アクションも物語も存在しない。あるのは後への布石と目配せと、役者頼みの映像程度。文句なしでワーストです。



というわけで以上で2018年新作映画ランキングは終了です。ちなみに旧作に関しては、いつも通り年明けに「下半期に見た旧作映画ベスト」という形でブログに書こうと思っておりますので、そちらもぜひ見てやってください。それではみなさん、良いお年を。