リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『アクト・オブ・キリング』を見た。

正常で健全な殺人者
イギリス・デンマークノルウェーで制作されたドキュメンタリー映画インドネシアスカルノ大統領がクーデターにより失脚した後行われた、共産党員狩りと称する虐殺に関わった人物たちを追ったドキュメンタリー映画。エンドクレジットには多くの「匿名希望」が並ぶ異色作。


1965年。軍事クーデターの起こったインドネシアを収めたスハルトは、事件の背後に共産党員がいたとし、200万とも言われる人々を共産党関係者として処刑した。虐殺の実行者たちは、今も国民的英雄として豊かに暮らしているという。そこで映画作家のジョシュア・オッペンハイマーは彼らに「殺人を再現してくれないか」と提案した。元殺人部隊のリーダーであるアンワルをはじめとした実行者は、その提案を受け入れ、楽しげに虐殺の様子を再現し始めるのだが・・・

いったいこの映画をどう受け取ればいいのだろう。困惑が未だ頭の中に残り続けている。スクリーンに映っている男は、虐殺の主導者だ。大量殺人の、実行者なのだ。そうわかってはいるものの、どうしてもそんな風には見えない。アンワルの、孫を大切にし、生き物を虐めてはいけないんだよと諭す姿はどこにでもいるただのおじいちゃんと何ら変わりはない。。しかも彼らが再現する虐殺の様子は、内容のあまりの非道さに反しなんともマヌケで、チープだ。恐ろしき行為の数々を語る言葉は、明朗で饒舌だ。こういった噛みあわなさが、提示される真実を真実として認識させ難くし、困惑を引き起こさせている。



だがそれは間違いない事実であり、その噛みあわなさこそ人間の本性であると観客に突きつけるのが、本作の狙いの一つではあるのだろう。人間の曖昧さ、もしくは善と悪の曖昧さ。そういったものを叩きつけてやろうというのが、この監督の狙いだったのだとは思う。
本作によって提示される歴史的事実と、それに関わった人間を見ていると、確かにその曖昧さについて考えずにはいられない。行為だけ取れば、同じ人間とは思えないことをしている者たちが、私たちと何も変わらぬ様子でそこに存在しているところを見ると、人間という存在の不可解さとおそろしさを実感させられる。恐るべき行為を引き起こさせる何かは、「普通」の中に存在していると、この映画は証明しているのだ。
おそろしいのは虐殺の際直接手を下した者だけではない。共産主義者狩りを盛り上げ取り上げるため、殺しを指示し記事を改ざんしたと悪びれる様子もなく語る新聞社経営者はどうだ。その新聞社で働き、社の中で虐殺が行われていたにもかかわらず、そのことを知らなかったなどと言いだす記者はどうだ。彼らの卑怯さ、子狡さ、弱さもまた、僕たちと全く変わらない姿ではないか。この映画は、「人間」の持つ多くの面を見せていくのである。



しかしどうも腑に落ちない事が一つある。それはこの映画が、先ほど書いたように監督の狙い通りに展開しすぎているという点だ。何故腑に落ちないかといえば、その狙いのせいで、結局普段見ている劇映画と変わらないところに落ち着いてしまっているからだと思う。実際に人を殺した男がスクリーンでその殺しを再現しているという点には異様さを感じるものの、伝えようとしているメッセージは、それほど驚きのあるものではない。場面設定の異様さに対して、映画の意図がコチラの理性をはみ出してこない事に対し、「身構えすぎていたのかな」と思っていたのだ。最後のシーンを、目撃するまでは。



この映画が素晴らしいのは、善と悪の境界だとか、我々も他人事でいられないと思わされるとか、そんなことではない。この映画がとてつもないパワーを持っているのは、一人の人間が崩壊するところを映してしまっているからである。ラストシーン。今までカメラを向けられ続けてきたアンワルは、「歴史」や「状況」といった意味から解放された、「殺人という行為」を認識することになる。
アンワルは度々、自分が犯したことと、それに伴う被害者の痛みについて言及していたが、本編の最後でついに、自分があまりに深い闇の中にいたことを自覚してしまう。そしてその時、彼の喉から出たのは、ただの嘔吐や嗚咽とは思えない、奇怪な音であった。それは、地獄の底から発せられる、死よりも深い業を背負った者の声にならない叫びなのではないかと僕には思えた。
理由は分からないのだが、何故かこのシーンで僕は、涙を流してしまった。その音があまりに恐ろしかったからかもしれない。その音があまりに悲痛だったからかもしれない。かろうじて残された人間性の光と言える部分に救われたからかもしれない。とにかくよくわからない。やはり、困惑なのだ。わからない。しかし、心を激しく揺さぶられたことだけは、確かなのだ。



「お前にとっては地獄だろうが、俺には天国だぜ」「殺してくれてありがとう。おかげで天国に行けます」。二つとも、劇中登場するセリフである。この映画には、天国も地獄も登場する。アンワルらの制作した映画の中にある、馬鹿馬鹿しいほど薄っぺらでチープな天国と、多くの人の心に生まれた、底なしの絶望が支配する地獄。そのどちらも、人間によって生み出されたものだ。人間というものの存在を揺さぶる、傑作であった。