リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『グランド・ブダペスト・ホテル』を見た。

むかしむかしあるところに
ウェス・アンダーソン監督によるオールスターキャスト映画。レイフ・ファインズトニー・レヴォロリシアーシャ・ローナンティルダ・スウィントンジュード・ロウエイドリアン・ブロディウィレム・デフォージェフ・ゴールドブラムエドワード・ノートンマチュー・アマルリックなどなど豪華キャストが集結。撮影には『天才マックスの世界』からコンビを組むロバート・D・イェーマン。


1930年代。グランド・ブダペスト・ホテルコンシェルジュであるグスタヴ・H(レイフ・ファインズ)とロビーボーイのゼロ(トニー・レヴォロリ)は最高級のもてなしで大勢の客を得ていた。しかしある日、常連であったマダムD(ティルダ・スウィントン)が死去。親族とグスタヴは富豪であった彼女の遺産を巡り騒動に巻き込まれていく。

鮮やかな色彩と拘りぬかれた小道具・美術が、徹底的にデザインされた画面の中で生き生きとしている。それは絵画的というよりむしろ絵本的なかわいらしさと温かみを映画にもたらし、絵本的世界は、移動によってより幸福な広がりを見せる。カメラは、横に縦に移動する。多種多様の乗り物によって移動する。派手な映画というわけではないが、移動が映画に躍動と興奮をもたらしているのだ。脱獄シーンでのカメラの上下。グスタヴとゼロが話している後ろでバスを襲撃する脱獄囚。ボブスレーにスキー。唐突な銃撃戦。中でも素晴らしいのは、カメラの横移動と共に登場人物が斜めに動くことによって奥への意識が画面に加わるシーンだろう。



非常にミニマムでありながらそういった映像の興奮により映画のダイナミズムを感じさせる本作は、自然と顔がほころぶ感覚に満ちた愛おしい作品である。ミニチュア撮影やスクリーンサイズの変更といった遊び心も単に遊んでいるだけではなく、意味を含めた仕掛けになっていて楽しい。しかもそんな絵本的空間の中にアクションアドベンチャー的な要素や、「鍵の協会」たちが電話をつなぐシーンに代表される素直な興奮、サスペンス・バイオレンスすらも(適度なバランスで)含ませているのだからウェス・アンダーソンという監督はやはり、凄いのだろう。キャストも豪華だが必要以上にそれを押し出したりはせず、品のある適材適所を保つ。僕個人としてツボだったのはハーヴェイ・カイテル演じる『ケープ・フィアー』風刺青男。どの絵もマヌケに下手すぎて笑える。レア・セドゥも短い登場だっけどいい。ウィレム・デフォーは「悪役」という枠組だけのような役で輝いていた。



さて、そんな作品でありながらどうしてもその絵本的空間からはみだしてしまったものもある。それが、歴史だ。歴史の歩みだけは、どうしても隠すことができなかった。だが、それこそが本作の最も心に迫る部分なのである。
既に終わっていたような状態にも関わらず、ホテルは戦争の影が迫る中でも輝きを放ち、その最期の幻想を永らえさせることに成功した。冒頭のシーンからわかるように、この映画はそんな幻の輝きを保とうとした男たちに捧げられている。今や過去となったものの、かつて確かにそこに存在していた世界への感傷が、この映画の中心なのだろう。
レイフ・ファインズ演じるグスタヴというコンシェルジュは、語り部であり後に大富豪となるゼロの師であるが、「彼のことは何一つ知らなかった」とゼロは語り、また物語上においても上っ面の魅力に長けた人間であるとしか描かれていない。それが何故かと言えば、おそらくは先ほど書いたような「輝きを保ち続ける」ことと対応しているのだろう。グスタヴはホテルの価値そのものだ。彼は見事に幻を維持させたが(実はこの点で僕は冗談ではなく『シャイニング』を思い出したのだけど)、我々はその幻がいかなるものか、実像を知ることはできない。ゼロの恋人アガサにしても、我々は誰かの思い出を通してしか、彼女を知ることはできない。全てはかつてあった幻。過去の過去の回想、つまりは「むかしむかし」の、おとぎ話なのだ。



個人的に、絵本的空間には途中で食傷気味になってしまったために「素敵だが好きではない」くらいのテンションだったのだけど、唐突に終わりを告げた世界への悲しみと優しさには少し涙がこぼれた。輝きと思い出は、たとえ色あせたとしても、たとえそれが上っ面のものであったとしても、美しい限りこの世から消させやしない。そうであってほしいし、そうしていきたい。だからおとぎ話を語るのだ。そんな思いが伝わってくる作品だった。

ムーンライズ・キングダム [Blu-ray]

ムーンライズ・キングダム [Blu-ray]