リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

最近見た新作の感想その14

アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン』
(ネタバレ)
ヒーローとして描かれてきた彼らは本作でついに神々の戦いの領域へと突入した。それは教会でのバトル、とくに「アッセンブル」のシーンの、まるで神々の戦いを描いた壁画かの如きシーンがそのことを如実に物語っているのだが、そのシーンは同時に極めて漫画的な表現でもあり、この漫画的なものを映像として処理する力というのは前作に比べ更に磨きがかかっている。特に驚かされたのは、新キャラクターであるヴィジョンの表現だ。赤塗の顔に全身タイツでマントを翻すその姿はどう考えても馬鹿馬鹿しい。おでこから光線を走らせるその姿は馬鹿馬鹿しいはずなのに、それを神々しいものとして成立させてしまっている。しかしヴィジョンが画面に初登場したとき、僕は素直にすごいと思うよりは、いきなり異質なものが画面にしたことによる戸惑いの方が大きかったように思う。それは画面上に急に「コミック」的な存在が現れたことへの戸惑いであり、ヴィジョンも含めた登場人物たちの戸惑いでもあろうが、その異質さをも取りこんで「アッセンブル」させたシーンは、やはり前作のそれとは違う段階へと踏み込んだことの証であろう。ところで違う段階というと、おそらく本作はMCU内で初めてヒーローが死んだ作品である。この死が意味するところというのが僕には、「つまりここから先はヒーローだって死にえますよ」という表明であるかのように思えた。しかもこの先ユニバースは、アメリカ史上最も戦死者の多かった「南北戦争」と「神々の黄昏」を迎えることとなると言うことなのでいやが追うにも期待は高まるし、そうでなくとももうそろそろマーベルのロゴが出てきただけで興奮する身体になってしまったのでやはり今後も目が離せないところである。ところで1作目の感想ではソー推しと書いていたものの『ウィンター・ソルジャー』を経てすっかりキャップ最高派へと転向した僕としては、彼が見せられる幻想に苦しくなってしまった。閉ざされた未来を見せつけられた彼は、一体どこへ帰ればよいというのか。作中ではとりえずの居場所が記されるものの、しかしそれはつまり、彼は戦場で死ななければいけないということではないのかとも思えるのだ。キャプテンとしてではなく、彼がスティーブとして生きられる日は来るのだろうかなどと、思えてきたのであった。



極道大戦争
三池崇史は悪ふざけのやり方を心得ているなぁと思わされる作品である。三池崇史フィルモグラフィーの中では、いや監督の全ての作品を見ているわけではないのだけれど、どうも『極道恐怖大劇場 GOZU』に近いような作品だ。とにかく何でもありで、いちいち観客を納得させるような意味付けなどありはしない。何故「狂犬」はアキバのオタク姿なのか。何故地下で編み物をしているのか。河童は何者なのか、そして何故臭いのか。何故ヤクザが吸血鬼となるなのか。カエルくんは何故ブルース・リーなのか。これらのことに対し監督の中には何かしらの意味があるのかもしれないが、それが作品内における意味として表出してはこない。それはただ、面白いからというだけで存在しているのだ。しかし一見悪ふざけとも思えるような内容であってもしっかりとした作品として見ることができるのは地の力、つまり演出に役者や美術、撮影の力があるからだろう。特に日活撮影所を活用した独自の世界観の構築力。単に「使った」というだけでなく、映画の中で世界を存在させたような美術の力が本作において重要な要素となっていたのではないか。そしてそれに応えた撮影は明暗の強度が強めな印象で、硬質な映像が特徴となっている。また本作はラストに壮大な世界の終末を迎えるわけだが、その手前に瓦礫の打ち捨てられた浜辺が登場する。この場面がいい。本作は悪ふざけにもメチャクチャにも見えるが、この浜辺のシーンのように決めるところはしっかり決めているため、見た目よりも受け入れられやすい作品なのではないかという気もする。ただしそれは裏を返せば破壊力不足ということでもあって、もっと納得や理解の向こう側へ放り投げられるような作品が見たかったな、とは思うのであった。ちなみに個人的には高島礼子が出ている場面でなぜか突然ホラーになるのが好きだった。襖の奥に、ビニールハウスの奥に高島礼子が佇む場面の謎の恐怖よ。

極道大戦争/ “MIIKE Japan” スカジャン XL

極道大戦争/ “MIIKE Japan” スカジャン XL