リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

最近見た旧作の感想その34

悲しみは空の彼方に(1959)



公開から59年も経つこの作品が未だ色あせぬ傑作として存在していられるのは、現代にも通じる黒人差別問題をはらんでいる、つまりは今日的な要素を含んでいるから・・・などという理由によってではない。もしそうであるとするならば、仮にその今日的要素が解決した暁にこの作品は過去のものとしてなってしまうのだろうか。断じてそんなことはない。では2組の母娘によって語られる物語が、時代を超えた普遍性を持っているからだろうか。確かに、母娘のすれ違いや、夢と愛の狭間で揺れる物語は時代を超えて胸を打つだろう。しかしこの作品がもたらす感動は、そんなストーリーだけで片付けられるほど狭い範囲に留まりはしない。では一体何が素晴らしいというのか。それは歴史や言語や知識より広く開かれている感性、つまり、単純かつ強固な、美しさこそが、この作品を永遠に色あせぬ傑作たらしめているのである。




一体何がそんなに美しいのかというのは、冒頭のビーチにおけるカラー設計から既に感じ取ることができるだろう。色とりどりの風景が広がり、娘を探すラナ・ターナーの不安げな足取りをカメラが捉える。彼女はここで写真を撮っているジャン・ギャビンにぶつかり、娘を連れたファムタ・ニーアとすれ違う。この手さばきがまた心地よいのだが、しかしこの場面ではもう一つ注目したい要素があって、それは主要人物たちとの出会や物語の進行とは無関係に、画面の前後横を多くの人物が通り過ぎているということである。彼らは、画面に色を与えるというにしてはあまりに縦横無尽に動き回り、ラナ・ターナーらとすれ違い続ける。このすれ違いというのはその後も多くの場面で描かれており、直後に舞台となる狭いアパートの中でも、扉や廊下を駆使しつつ繰り返されている。この狭いアパート内での空間の広げ方や色使いに加えて照明による黒の出し方も非常に見応えがあり、ダグラス・サーク監督、ラッセル・メティ撮影によるカラー作品を見る喜びを存分に味わえるわけだが、ここではすれ違いという要素に注目したい。なぜならばこの作品は人物同士が、彼らの思いがすれ違うメロドラマをこそ描いているからである。



さて、はじめに観客がそのすれ違いをはっきりと目撃するのはファムタ・ニーア演じる母親が娘の忘れ物を学校に届けに来る場面であろう。黒い肌のファムタ・ニーアと白人との間に生まれた、白い肌の娘は母のことを知られたくなかったのに、教室へと訪ねてこられる。衝動的に学校を飛び出すと、画面左下には赤いポストが置かれている。雪降りしきる学校の外に置かれたこの赤が、あまりにもその色を主張しているなと思うと次の母娘のショットでは、またもや画面左下側に今度は赤い看板が設置されている。しかも母は、手に赤い靴を持っているではないか。
他のシーンも見てみよう。続く、ジャン・ギャビンがラナ・ターナーにアパートの狭い廊下で求婚するシーンでは、一旦は互いの思いが通じ合いかけるも、女の下へ急に舞い降りた女優の仕事に対し、男が反対することで結局は離れ離れになってしまう。このシーンでの二人の顔にかかる照明の変化も見所ではあるが、狭い廊下で会話する二人の間をすり抜ける男が、赤い荷物を持っていることにも注目すべきであって、ここでまたもや、思いのすれ違う二人の間に、赤が差し込まれているのだ。
時は過ぎ、二人の娘が大人の女性へと向かう年頃になっても赤はたびたび登場する。家を飛び出したファムタ・ニーアの娘(スーザン・コーナー)がキャバレーで働いていることを母に知られる場面では、赤い蝋燭が画面手前に配置されているし、さらに母が黒人であることを理由に路地で彼氏から暴力を振るわれるシーンでは、「FOR RENT」という看板の他に血によって赤が見せられる。この突然かつ相手を非情に突き放すような暴力シーンはジャズも相まって衝撃的であるが、もう一つ見逃せない要素として、鏡がある。この場合、ショーウィンドウの反射が鏡の役割を果たしているわけだけれども、この鏡というのはそれまでも、そしてそれ以降も、ほとんどの場合登場人物が隠し事をしているときに画面に登場しているのだ。特にスーザン・コーナーが「あなたの娘じゃない。私は白人よ、白い、白いの。」と鏡に向かって言いながら泣き崩れる母娘最後の会話シーンは、そういった画面の見せ方によって言葉や状況以上の感動をもたらしているし、やはりここでも赤で縁どられたカバンが登場するのである。



このように、物語を画面によって牽引してきたファムタ・ニーアの葬式で、この映画は幕を閉じる。ここでは、白い花の彩られた棺が出棺されるその時、喪服に身を包んだスーザン・コ−ナーが走り寄ってくる。このシーンが感動的なのは、何よりその色によってなのだ。根底に悲劇を持ちつつも美しく捉えられてきたすれ違いのドラマは、この色の変化によって結末を迎えるのである。だからこそ本作は問題意識や言語で説明できる範囲を超えて感動的な映画だと言えるのだ。勿論、今まであまり述べはしなかったがラナ・ターナー側が持つ成功物語の代償としての母娘の葛藤や女優を美しく見せようとする執念にも感嘆するし、また『天が許し給うすべて』に代表されるような窓と雪の美しさも忘れるわけにはいかないが、本作で僕が最も感動したのは何よりその色の物語である。というわけで紛れもない傑作、と述べて終わりたいところではあるものの、最後にひとつだけ付け加えたい。私生活で8度結婚したというラナ・ターナーは、この作品の前年に愛人を殺されている。犯人は実の娘であった。その事実が、そもそもリメイクであるこの作品に対してどこまで影響を与えたのかはわからない。しかし、ヒロインの職業を女優に変えたのは意図的であろうから、それを踏まえるとこの作品に対して新たな角度を見出せるのかもしれない。

ダグラス・サーク コレクション 2 (初回限定生産) [DVD]

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