リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『哭声/コクソン』を見た。

あなたにとって私 ただの

『チェイサー』や『哀しき獣』で知られるナ・ホンジン監督最新作。青龍映画賞にて監督賞・助演男優賞を受賞した。主演はクァク・ドウォン、ファン・ジョンミン、チョン・ウヒ、國村準ら。

森に囲まれた静かな村で、自らの親族を虐殺するという事件が多発していた。殺人犯は皆一様に肌に湿疹があり、焦点は定まらず、異様な雰囲気を湛えている。警官のジョンウ(クァク・ドウォン)は捜査を進めてゆく中で、奇妙な日本人(國村準)のうわさを聞く。その荒唐無稽な内容に初めは聞く耳を持たなかったが、自らの娘の身体にも湿疹ができ、またその娘が日本人と接触していたことを知り、その正体を突き止めようとするのだが・・・

※ネタバレ



真実かと思われる事柄が幾度も転倒しては立ち上がり、結局狐につままれたような印象を残すが、それはこの作品が疑心暗鬼と、その結論として「自分の信じたいものこそ真実である」ということを描いているからだろう。例えば村人が異人である國村準を敵視し罪人と断定するのも、それは彼らがそう信じたいからであって、そこに論理的な合理性は必要ない。信憑性の低い噂話だけで理由としては十分なのだ。國村準もそのことをわきまえているからこそ、警官の尋問に対し「言っても信じないだろう?」と答えているのであるし、神父の問いかけにもはっきりとは答えず、「あなたの心に疑いが生じるのは何故だ 私の手と足を見なさい。まさしく私だ」と聖書の引用をする。しかしその言葉を受け取る側が既に自分の中でこしらえた真実に従って物事を判断しているがために、登場人物は混乱し、その視点で見る側も混乱するのである。



異人、ということと関連してこの作品は外部の使い方が面白く、そこに意識が向くように仕掛けられている。それは雨や雷といった天候であり、森であり、そして異人たちであって、災厄は常にそんな外側からやってくるのであるが、このような内と外を巡る対立はいつの間にか逆転し、災厄は内側に留まるものへと変貌を遂げる。それは主に娘を通してそうなっており(その点において『エクソシスト』的である)、内側に災厄をおびき寄せるのは結局、村人たちの「自分の信じたいものこそ真実である」とする性向と、疑心暗鬼によってなのだ。場面としては、村人たちが災厄の原因となる森へ押しかけ、そしてそこで殺人を犯してしまう部分が決定打となっており、最後には、警官は「家に帰ってはいけない」と忠告される。忌避すべき外側がいつの間にか内側に逆転しているのだ。そういう意味でこれは、内面的な問題についての映画であると言えよう。



もちろん、その外と内を表出させた美術と、撮影が本作においては多大なる力を持っていたことは言うまでもあるまいが、例えば石垣に囲まれた道や連なる家々の風景といったロケーションに、凄惨な事件の起こった家々や國村準の住まいを露悪的になりすぎないバランスで汚らしく存在させており、見事な空間が画面上に出来上がっているし、それを横に広く捉え黒を生かしたカメラもしっかりと捉えている。家の門の外に走る斜めの道や、首つり死体を遠くから捉えたショットも良い。また所々で馬鹿馬鹿しいほどオカルトであったり、雷が人体に直撃するなどのあっけらかんとしたハッタリが良い味を醸し出している。つまり画面には風格があれども内容としては妙に陳腐な瞬間に満ちていて、ただ真面目であったり頑なに難解ぶるだけではないところに好感を持つ。



ところで、そういった空間のすべてを見通している人物が一人だけ登場している。それは白い服を着た少女であり、時折、村人や異人たちの行動を遠くで眺めているようなロングショットが挿入されるが、それは全て、白い服の少女の視点なのではないか。そのことは、村人たちが死体を投げ捨てるシーンの背後に彼女が見えることからも推察できる。ならばこの作品において全てを見通していたのは紛れもなく彼女なのだから、そのことを中心に見ればこの作品の輪郭も浮かび上がってくるというところではある。しかし僕としては、そんなことよりも殺戮!呪い!キチガイ!森!悪魔!というハッタリの連続で大いに楽しませてくれたことの方が遥かに重要なのであり、またしても、森と人殺しの相性の良さが証明されたのである。やはり、森を見たら人を殺せ、ということなのだ。