リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『マリグナント 狂暴な悪夢』を見た。

おれがあいつで

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『SAW』『インシディアス』『ワイルドスピード SKY MISSION』『アクアマン』などで知られるジェームズ・ワン監督最新作。アナベル・ウォーリス、マディー・ハッソン、ジョージ・ヤング、ミコレ・ブリアナ・ホワイトらが出演。

 

 
郊外の一軒家で暮らすマディソン(アナベル・ウォーリス)は、ある日何者かの襲撃により恋人と、さらにおなかの中にいる子供を失ってしまう。さらにその日を境に、殺人現場を目撃するという悪夢に苛まれはじめる。まるで実体験かのようにリアルなその夢は、しかし本当に現実でも起こってしまい・・・

 

 

英語に弱いので「malignat」という単語は初めて聞いたのだが、「きわめて有害な」「悪性の」「悪意のある」という意味があるらしい。どうやら医学の場面で使われることの多い言葉らしく、例えば「a malignant tumor」で「悪性腫瘍」となる。劇中では「cancer」を使っていたと記憶しているが、なるほど確かに、内容を踏まえると「malignant」のほうがタイトルにいはふさわしい。ところでこの言葉は「悪い、悪い、病気」などを意味するラテン語由来の「mal-」と「産む、生む」を意味するインド・ヨーロッパ祖語由来の「gene」からきている言葉であるようだ。ちなみに同じようなつくりを持つ言葉としては「pregnat」がある。

 

 

さて本題。絶壁にそびえたつ怪しげな病院、霧立ち込め周囲から隔離された家をみて、あ、これはクラシックか、はたまたマリオ・バーヴァの古城の雰囲気じゃないのかと無邪気に興奮した。まさかこれから異様な美術と照明に彩られた世界を見せてくれるのかなどと夢想したほどだが、実際のところ美しいアーチも大げさな階段もないし、迷路のような城下町も当然あるわけがない。怪奇はせいぜい地下への拘りくらいの、ほんの少しの雰囲気にとどまっている。

しかしだからといって普通の家かというとやはりそうではなく、極めて特異な、ジェームズ・ワンらしい場になっている。例えば風。古くから激しく怪しく、異界を誘って室内へと入り込んできた風に対し、ジェームズ・ワンはまるで『死霊館』に『アクアマン』を混ぜたかのようなアクティブな肉体とカメラの動きで対応しており、それによって空間を押し広げている。古城や屋敷のように一目見て広いだとか高いとはならない一軒家、すぐに風が循環しそうだからこそその流れを追うだけでは物足りなくなってしまうような部屋を、次々移動していくことでどんどんアクティブな場へと変貌させているのだ。

さてこういったカメラや人物の動きが激しい場面、最たる例として天井ぶち抜きの長回しがあるけれど、こういったギミックを成立させているのにはおそらく、編集カーク・モッリの力が大きい。実際ここでは始めと終わりが丁寧にアクションによって繋がれる、単に技術自慢やインパクトのみ突出したりせずきちんと流れに収まっている。ジェームズ・ワンとは『インシディアス』(2010)からのコンビで、撮影や美術あるいは脚本家が一貫していないことを踏まえても彼はジェームズ・ワン作品に欠かせない人物だと、ひとまず言えるのではないか。実際、白眉であり近年最高の驚きを提供してくれる"落下"も、そんな馬鹿なという出来事が、そうであろうと納得せざるを得ない繋ぎによって成立させられていた。

 

 

ところで、美術については怪奇じゃないなら面白みがないという話ではない。気になったのは図形の効果で、丸、三角、四角といった図形が繰り返し、意図的に利用されているように思えた。最も印象的なのは丸。例えば家の壁につけられた跡、バスルームの窓、大きな換気扇、あるいは洗濯機の蓋やバースデーケーキといったもので、これらはおおむね、マディソンとガブリエルの暴力的な繋がりを示すものといえる。あるいはこの二人の、電話や脳内での会話は四角、例えばトイレや尋問室に留置所など、非常に狭く四方を囲まれた場所が多く、それが囚われているような感覚を強くしている。

これら画面の一貫性はつまり、わかりやすさなのだ。奇妙奇天烈の大惨事でまったくおかしなことばかりが続くけれども、しかし画面上に一貫したモチーフ、というか一目見たときのわかりやすさがあって、そこに娯楽作品の気持ちよさというか、品格を感じた。それは規模こそ違えどいくつかのスピルバーグ作品にも通じる感覚で、切り貼りとはどこか違う蓄積の先、ジャーロだとか特定のジャンルの模倣を超えた、最良の娯楽に届いているとでもいえばいいか、とにかくそんな風に思えたのである。

 

 

しかしわかりやすさ故にか、少し物足りないという部分もある。色使いがそうだ。例えば赤なんかは非常事態のランプ、ネオンによって画面を染めるけれど、しかしそれは意味や理屈としてあまりにも当然すぎる。そうだろうね、という納得しか生まれない。これは『ラストナイト・イン・ソーホー』にも言えることだ。だから個人的にはそれよりも、催眠療法による回想シーンにおいて、ベッド脇に佇むマディソンの持つ包丁の影が壁にでかでかと映し出されているシーンに感動した。いったいどこに光源があってそんなことになるのかまったくわからないけれど、このハッタリこそ素晴らしいではないか。ちなみにハッタリというとジェームズ・ワンは『SAW』や『死霊館』の人形(『デッド・サイレンス』も含め『サスペリアPART2』なんだろうけど)、そして今回のガブリエルなど、アイコンとなるようなキャラクターを作るのがうまいのもいいところだと思う。

デッド・サイレンス (字幕版)

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