リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『そして父になる』を見た。

子の心、親知らず。

子供の取り違えを題材に、親と子、そして家族について描いた作品。監督は『誰も知らない』『歩いても 歩いても』などで知られる是枝裕和。主演には初の父親役となる福山雅治。第66回カンヌ国際映画祭において審査員賞を受賞した。


野々宮良多(福山雅治)とみどり(尾野真千子)の夫婦は、もうすぐ6歳になる息子慶多(二宮慶多)と幸せな毎日を過ごしていたが、ある日、慶太を出産した病院から「重要なお知らせがある」と呼び出される。そこで聞かされたのは、出生時に子供の取り違えが起きており、慶太は実の息子ではないという事であった。困惑する野々宮夫妻は、同じく取り違えに遭ったもう一組の夫婦、斉木雄大(リリーフランキー)・ゆかり(真木よう子)と面会し、子供を交換するかどうか決めることになる。

一つ一つの要素が丁寧ないい映画だった。くどくど説明せず、抑えた演出や演技で語ることにより映画に適切な余白を作り、見ている側に映画的な豊かさを感じさせる。美術や衣装、小道具など画面に映るもので登場人物たちの背景を語るのだ。
画面を的確に切り取る撮影と、登場人物たちの心情を彩る照明もいい。例えば取り違えについて聞かされるときに、螺旋階段を上るショットを真上から捉えるのは不安を煽ると同時にDNAのらせん構造をも思わせる。また初めて2家族が出会った後、車で帰る姿を俯瞰で撮ったシーンがあるが、高そうな車に乗る野々宮家と、電気屋の仕事で使う車に乗る斉木家。この2つを同一フレーム内に収めているのもいい。また、尾野真知子演じるみどりが息子・慶太に電車内で<あること>を言うシーンがあるが、その<あること>を言った後、電車がトンネルへと入り暗い影が落ちる場面がある。あれは計算して撮ったのだろうか。非常に印象に残る場面である。



子供の取り違えという重い事件を扱いつつも、本作はそれをドラマチックに盛り上げたりはしない。基本的に日常を描写することに徹底し、血か愛した時間か、という葛藤を静かに問いかけ、さらに良多が様々な人との対峙を通して、一人の人間として成長し父になるという事を描いている。
エリートで、いわゆる勝ち組である良多は上昇志向を持ち、息子にもそうであれと強く思っている。また人を見下しがちでもあり、子供の取り違えが起きたとき、相手方の生活や育て方を見て嫌悪感を抱き、傲慢にも自分の方こそ子供を育てる権利があると考える。しかし、それは、全くの間違いだったと気付いていくのがこの映画の肝だ。良多は、映画をの中で自分の優位性をどんどん崩されていく。
はじめ、良多たち家族がエレベーターで昇っていく映像が何度か挿入される。まるで上昇志向や上からの態度を象徴させているようだ。だが、多くの人と対峙することによって良多が自分の至らなさを思い知らされていくのと同時に、映画は平行の運動が多くなっていく。そして最後に彼の目線は、子供より下の位置にまで下がってしまう。
自分と息子の、二つに別れていた道が一つになり、どちらが先に行くのでもなく共に歩いていくラストは、演技とロケーションの完璧さも相まってとてもいいシーンになっている。人は子を産んで親になるのではない。ピアノ、セミ、看護師、良多の過去と実家、そして子の残した気持ちなど、細かいエピソードはここに集約され、傲慢だった一人の男は、そして、父になるのだ。



2つの家族の描き方がステレオタイプではないか、と思うことはある。しかし、役者陣の好演がそれを自然に見せ、少なくとも、「いかにも」という安易さには陥っていないと思う。例えば、斉木家にもちょっとどうかなと思うところはある。あの父親に育てられた子がどうなるのかは確かに不安もある、野々宮家だって親子は冷血な関係なわけではなく、子供と幸せそうな生活を送っている。わかりやすい対立構造ではあったが、簡単に割り切れるというわけではない。静か且つ確かな演技が、登場人物に血を通わせているように感じた。



ところで、僕はまだまだ父になるなんて先の話だ。なので「共感」という事で言えば、やはり息子に共感してしまう。例えばピアノの発表会で良多が言うセリフは僕も父親によく言われていたことで、「あぁ嫌なんだよなこれ」などと嫌なことを思い出した。また父と母の力関係もどうも似ていて、そういう部分で思うことは多かったが、父になるという、テーマの核の部分では個人の感覚では離れていた。また、好みとしても『歩いても 歩いても』の方が「家族とはいえ理解できない他人」の冷たさが発露する瞬間を強く感じられて好きだ。
しかし、それでもこの映画には見ている人を浸らせ、感動させる力があると思う。それはつまり本作がいわゆる「いい映画」であることの証明にもなっていると思うのだ。今年を代表する邦画の一本であり、「何かいい映画ない?」と聞かれたときに幅広く奨めやすい作品だと思うので、ぜひ見てほしい。

ところで余談だが、本作の真木よう子はむちゃくちゃ魅力的。あんな弁当屋なら毎日通いたい。あと、これは非常に自然に演技を引き出しているという事でもあるが、ガキがスゲェウザかった。福山雅治に「なんで?」って何度も聞き返すところなんて「なんででもだよコノヤロウ!」とビンタしてやりたくなった。そんな最低な余談で、今日は締めようと思う。