リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『悪いやつら』を見た。

コネとゴマすりのマイウェイ
80年代から90年代かけての韓国を舞台に裏社会で活躍した2人の男を描いた韓国映画。主演は『オールド・ボーイ』や『悪魔を見た』で知られるチェ・ミンシクと、『チェイサー』『哀しき獣』で知られるハ・ジョンウ。監督は2005年に卒業制作として発表した『許されざる者』が高い評価を得たユン・ジョンピン。


1982年。税関の主任として働いていたイクヒョン(チェ・ミンシク)は、税関全体で行われていた物品の不正横領の責任を押し付けられ、退職させられることに。しかし、夜間巡回中にたまたま覚醒剤を見つけ、それを使って一儲けしようと考える。同僚の紹介により裏社会の若手実力者であるヒョンベ(ハ・ジョンウ)に会いに行ったインクヒョンは、ヒョンベが同じ家計の一員であることを知り、“大叔父”として組織の一員となる。力のヒョンベと頭脳のイクヒョン。二人は結束し、勢力を拡大させていくのだが・・・

一言で言えば、韓国版『グッドフェローズ』である。ギャング映画の特徴の一つに、「国」というものに対し、正しい人たちとは違う、もう一つの側面から光を当てることでむしろその「国」の特色を見せる、というものがあると思う。そして本作は、80年から90年代にかけての、韓国地元犯罪組織の栄枯や男たちの友情を、当時の風俗・音楽を交えて描き、最後には「ある価値観の終焉」をあぶり出して見せるのだ。その点において本作は『グッドフェローズ』的である(監督は『グッドフェローズ』を100回見たと言っているし、他にも『タクシードライバー』や『カジノ』のオマージュかと思わせるシーンもあるので、おそらくスコセッシが好きなのだろう)といえる。
しかし、あちらが展開をぎゅっと凝縮させ、それを怒涛の編集とテクニックをブチ込みまくったカメラと、そして皮肉なナレーションでもって切れ味鋭く見せたのに対し、本作には泥臭さがある。警察もヤクザもバットやビール瓶で相手をボコボコ殴る姿や、下卑たやり方でしつこく生き抜いていく人間の様など、泥臭い魅力が詰まっているのだ。ギターも哀愁を感じさせる音を奏でている。
そんな泥臭さは『仁義なき戦い』を思い出させたりもするが、本作はただ過去の作品の模倣になっているのではなく、独自の色も持っている。それを強く感じさせるのは、「顔」と「血縁」という要素であり、その2つこそこの映画最大の見どころでもある。



本作の登場人物はどいつもこいつも良い顔したおっさんだ。若者は登場せず、右を見ればおっさん。左を見てもおっさんという具合であるが、その脂ののった顔つきがいい。特に、敵対する組織に殴り込みをかけるときの、スーツに身を包んだ男たちがズラっと並んだ姿をスローで捉えたシーンのかっこよさなんて、もう最高じゃないか。
主役イクヒョンを演じるのはチェ・ミンシク。腹は出てるし腕っぷしも弱い。しかも税関で働きながら、袖の下を自然に受け取る、ただのセコい小役人である。そんなオヤジが、裏社会でどう活躍するのか。答えはコネとゴマすりである。時に陽気に、時に卑屈に、その場その場を口八丁手八丁で切り抜け、イクヒョンはどんどんのし上がっていく。『仁義なき戦い』の金子信雄をさらに情けなくしたような役だ。小心だが見栄っ張り。欲望には忠実で、時にボロボロになり情けない姿をさらしながらも、どっこい生きてる生命力。そんな彼の姿には呆れてしまうが、人好かれる性格と愛嬌の持ち主でもある。この男の面白さを全身で体現したチェ・ミンシクがホントに素晴らしい。この怪演を見るだけでも本作には十二分の価値がある。
そんなオヤジと手を組むのが、若き裏社会のボス・ヒョンベ。彼は様々な経験から人を信じることができなくなっていたが、そんな男の心すら開かせるのがイクヒョン。ヒョンベはイクヒョンを次第に「大叔父」と呼ぶようになり、2人は親子愛にも近い感情を寄せ合う。演じるのはハ・ジョンウ。30代なのでおっさんというにはまだ若干若いが、『チェイサー』とも『哀しき獣』とも違うセクシーさと哀しさを醸し出していた。



そんな2人をつないだのは「血縁」だった。初めイクヒョンがヒョンベの元へ覚醒剤の取引について訪れたとき、彼はボッコボコに殴られてしまうが、自分の方が家系図的に格上だと知るや、更に格上の親族を呼び出し、自分の方が優位であると無理矢理従わせてしまう。イクヒョンはピンチをこの血縁によって切り抜けていく。儒教社会における血縁関係は法すらも捻じ曲げてしまう、何よりも強い力を持つものとして描かれているのだ。
しかし、その風習が時代とともに消えていく姿をこの映画は描く。大統領の「犯罪との戦争」宣言を始めに、次第にイクヒョンの武器であるコネとゴマすりと血縁の結晶である<黒い手帳>が通じなくなってくるのだ。ここで、検察官の「お前は何者だ」という問いに「ただの普通の人です」イクヒョンが答える場面は印象的である。僕はこれを、血縁による決定が当然だった社会への批評であると思う。イクヒョンが特別なのではなく、当時の社会全体がそういうものだったということが、このセリフには込められているのではないか。
「血縁社会」は確かに悪だろう。しかし、「イクヒョン」はただの悪ではない。彼はどれだけ悪いことをしても家族への愛は惜しまなかった。親族が結婚する際にはなけなしの貯金も渡してしまうし、またヒョンベに対しても親子同前の愛情を持っていた。そしてヒョンベもまた、「誰も信頼できない」と人との繋がりを避けていたはずが、イクヒョンを親のように愛したのだ。そんな二人の関係が完全に断たれる場面は、切なく、ドラマチックに描かれる。血縁社会を悪としつつも、それにまみれ生きた人物までを単純に断罪するようなことはない。
ラスト、未だ生き続ける男の元に、ある「声」が響く。初め僕はこの声は愛憎入り混じった感情だと思ったが、見方を変えればある男の後悔とも取れる。監督は「父の世代を描きたかった」「父は尊敬と憐憫の対象である」と語っている。前時代的なものを憎みながら、しかし敬意も表す複雑さが、この映画にはあるのだろう。



というわけで、激動の時代の中、それぞれの方法で生き残ろうとした男たちの欲望と悲哀を描いた非常に面白い映画であった。主演二人以外の男たちも絶妙の存在感で、ほんと韓国は「いい顔」揃ってるなぁと思わせる。テーマも独特で面白いし、男たちのドラマも泣かせる。韓国映画ファン、やくざ映画ファンだけでなく、映画ファンなら絶対に見た方がいい一本であった。