リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『真夏の方程式』を見た。

あの夏、いちばん綺麗な海
東野圭吾による「探偵ガリレオ」の映像化作品である、福山雅治主演のテレビシリーズ「ガリレオ」2度目の映画化となる作品です。吉高由里子北村一輝がドラマに引き続き共演。映画オリジナルのキャストには杏、前田吟風吹ジュンなど。監督は『アマルフィ』シリーズや『任侠ヘルパー』の西谷弘。


手つかずの美しい海が残る玻璃ヶ浦。この町で海底資源開発の計画が持ち上がり、湯川学(福山雅治)はアドバイザーとして地元住民への説明会へ招かれていた。説明会では環境保護グループと企業が激しく意見を対立させており、中でも川畑成実(杏)は開発反対を強く主張していた。湯川は緑岩荘という、成実の両親が経営する旅館に滞在する。そこで湯川は、柄崎恭平(山崎光)という一人の少年と出会う。子供嫌いの湯川だが、なぜか恭平には拒絶反応が出ず、そして恭平は自分を子ども扱いしない湯川に惹かれていく。そんな中、一人の男の死体が発見された。それは緑岩荘に宿泊していたもう一人の客で、元警察の塚原(塩見三省)だった。事件は事故かと思われたが、恭平は「事故はあり得ない」と言い・・・。

予想以上の良作でした。僕は『容疑者Xの献身』をあまり面白いと思えず、ドラマの2期に至ってはつまらなさすぎて途中で見るのをやめたくらいなのですが、これはホントに良かった。夏休みを描いた映画、もしくは夏の終わりを描いた映画として、その季節になると見返したくなるような作品になっていたと僕は思います。



オープニング。タイトルとは裏腹に、ある都会の、真冬の荒々しい映像からこの映画は始まります。一人の女性が歩道橋で刺され、女性の持っていた真っ赤な傘が路線に落ち、電車の風により飛ばされていく。そしてその後に出てくるのは、真夏の、田舎町に向かうローカル電車がトンネルを抜けるシーン。タイトルの出方はイマイチですが、ここの対比は面白いですね。この二重性は物語全体を覆うものを表しているのかもしれませんね。
この映画、冒頭の傘もそうですが全体に撮影がビシッと決まっているのが気持ちいいですね。夏の海辺の町が舞台という事で、海や風景が美しく撮れていないと致命的ですが、夏の晴れ晴れとした空から夕景まで(ちょっと色が過剰かも)、画面はなかなかにキマっていたと思います。海辺に佇む杏を捉えたロングショットなども美しく、「ああ、今映画を見ているのだ」という気分にさせられました。撮影は柳島克己という方で、北野武作品や西川美和の近作、アッバス・キアロスタミの『ライク・サムワン・イン・ラブ』などでその手腕を見ることができます。



この映画はトンネルを通って町にやってきて、そしてトンネルを通って町から出ていくところで終わるのですが、この展開は『任侠ヘルパー』でもそうでした。どこかへきて去っていくということで、ドラマの特別編としては設定しやすいのでしょうかね。また、ドラマの背景に都市や環境の開発計画があるという点も似ていました。
企業側の住民への説明会のシーンで、湯川は「全てを知ったうえで選択すべき」と言う。それは環境保護グループへの苦言であるが、ただ科学を礼賛するでもない。先に進むには、ただ事実をしっかり受けとめなければいけないと湯川は言うのです。この台詞は、物語に大きくかかわってきます。
例えば、本作の白眉であるペットボトルロケットの実験をするシーン。こんなに楽しい自由研究があるか、というほどわくわくさせるシーンですが、ここではカットバックで、同時に岸谷(吉高由里子)が殺人事件の調査をするシーンと、成実を筆頭とした環境保護グループが企業と対立しているシーンを描いています。これは「事実を知る」ことに対して各人がどうアプローチしているかを表しているのでしょう。隠し、目を背ける成実と、明らかにしていく湯川&恭平、そして岸谷、という感じですかね。ここは非常にテンポも良く、本作屈指の名シーンだったと思います。というかこのペットボトルロケットのシーンがしっかりとれてるからこそ、後々の展開がより良いものに感じられるですね。ただ唯一、音楽は全然似合わない感じでしたが。



事件の真相、隠されていた真実は中盤ですべて明らかになります。三者三様に隠したいことがあり、守りたいものがあった。そのための自己犠牲を犯人はするわけですが、これは『容疑者Xの献身』でも同じだったと思います。
謎が全て解かれるシーンは、一応のクライマックスでありながら、見た目は取調室での会話という非常に地味なものです。しかし、切り返し方や回想の入れ方、そして役者の表情で語る演技によって非常に見応えのあるシーンになっていたと思います。毎回違う意味を持たせる花火の回想も巧い。ただまぁ、「犯行動機が薄いのでは?」とは思いますし、特にある人物の行動に関しては「いや、それはやっちゃダメだろ・・・」と思います。警察は遅かれ早かれトリックに気づくでしょうしね。シリーズ故仕方ないとはいえ、あのメインテーマ(一応バージョン違いではありますが)が入ってくるのも残念。



ただそんな文句も僕にとっては割とどうでもよくて、それはやっぱりこの映画の主眼が「少年のひと夏の体験」にあるからです。この映画が素晴らしいのは、事件がすべて解決した後に待ち構えている展開故なのです。
映画は少年が町へときて、そして町から去っていく姿で終わります。終盤、人生を捻じ曲げかねない事実を知るやもしれぬ少年に、湯川がかける「楽しかったな」という一言。この一言ですよ。
夏休み。自分を子ども扱いしない特別な大人との触れ合い。ちょっとした冒険。初めて触れる科学の素晴らしさ。花火。その全てが、きっと特別な夏の、大切な思い出として少年の心に刻まれるでしょう。これは誰もが体験したかった特別な夏の情景であり、同時に、誰の心にもある夏そのものを、過ぎゆく夏への寂しさを、切り取っているのです。だからこそこの映画は心に響くのだと思います。なんたって夏嫌いの僕ですら、夏に思いをはせ、泣いてしまうのですからね。
少年に与えられた、いつ解が出るかは知れぬ“真夏の方程式”。「全てを知ったうえで選択すべき」。夏の終わり。全てを知った湯川が見つめるのは、海に浮かぶ調査船。自然資源の開発も、湯川も、少年も、抱えた問題に対して、試行錯誤しながらゆっくり進んでいく。夏休みのドキドキとそして郷愁を、ただのノスタルジーだけではなく。未来への視線を含めてこの映画は語るのです。このラストは『任侠ヘルパー』の「おばあちゃんがゆっくり歩いていく」ラストと同じテイストのように思いました。監督の好みなのかな。



というわけで、テレビドラマ映画とかそういう評価は抜きにして、非常に良い映画だったと思います。テレビでおなじみのセリフもありますが、非常にうまい使われ方をしていますし、過剰なキャラ付けも、大仰な演出も、「ネオジウム磁石」みたいな馬鹿馬鹿しいシーンもありません。これは「映画」なのです。ちょっとした演出やセリフでサラッと見せてくれるのです。湯川も血の通った人間らしい科学者として描かれており、非常に魅力的な人物になっています。福山雅治の演技も申し分ない。杏の健康的で美しい肢体も素晴らしいですね。どストライクでした。
やや説明過剰な部分もありますし、物語の倫理性自体に乗れない人もいるとは思います。しかし、これは日本映画が陥った安易な映画のテレビドラマ化に対し、一つの転換となる作品になる、というかなってほしい作品なのです。「ガリレオ」だからと敬遠せず、映画ファンこそ見に行ってほしいですね。

真夏の方程式

真夏の方程式