リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『予兆 散歩する侵略者』を見た。

そうさ僕らはエイリアンズ

散歩する侵略者』のアナザーストリーとして制作され、wowowで放送された全5話のドラマを劇場版として再編集した作品。主演は夏帆染谷将太東出昌大ら。監督は本編と同じく黒沢清。脚本は黒沢監督とは久々のタッグとなる高橋洋


山際悦子(夏帆)は同僚のみゆき(岸井ゆきの)から、「家の中に幽霊がいる」という不思議な相談を受け、彼女の家へと向かった。しかしそこには実の父がいるだけで、おかしなことは何もないのだが、みゆきは父親を父親として認識せず、顔を見ると取り乱すばかりであった。心配した悦子は夫の辰雄(染谷将太)が務めている病院へと向かった。診断を待っている途中、悦子は廊下で真壁(東出昌大)という新任の医師と出会い、妙な違和感を抱くのであった・・・

冒頭、夏帆演じる悦子が帰宅するととそこは謎の柱が配置された相変わらずの家内空間が広がっており、薄いカーテンが風に揺れている。ふと顔を向けると、夫・辰雄が異常なまでに大きな窓から外を見ている。少しばかりの会話をした後、悦子がキッチンへ移動すると、ここでもリビングを見渡すには広すぎるほどの壁が開かれている。
このような黒沢清的空間が長回しによって映し出され、それだけで期待が膨らむのはファンとして仕方のないことであるが、しかしそれよりも注目すべきなのはおそらく、ファーストショットとなる玄関前の画面奥に、川と柵とが映し出されていることであろう。こちら→「黒沢清監督が答える!公開講座レポート「映画はいろんなものが嫌でも映ってしまうというところから出発している」|映画講演集『黒沢清、21世紀の映画を語る』刊行を記念してBibliothèqueで公開講座が開催された。 - 骰子の眼 - webDICE」のインタビューから引用するならば、黒沢清作品における「川」には「境界線」のイメージと、「街中に突如出現する」という感覚があるうようだ。そして実際本作にもそのイメージは引き継がれており、例えばこの冒頭の家の中だけでも、中心に太い柱を持つ大きな窓辺に佇む辰雄と、そんな夫の姿を見る悦子はそれぞれ動く方向が全く逆である。つまり辰雄が左に動けば悦子は右に、悦子が画面右側に配置されているキッチンへ向かえば辰雄は左側に、といった具合であって、ここで夫婦は、二人の間を分断する線なしに捉えられはしない。境界線が既に家の中にまで侵略してきていることが冒頭から示されている。



以降も分断のイメージは長い動線の中であろうと頻繁に夫婦を区切るのだが、区切りは夫婦だけではなく、多くの場面で幾度となく登場する。例えば「家の中に幽霊がいる」と相談を持ちかけてきたみゆきの家の中で、悦子とみゆきの父が会話するシーンでは、カーテンによって隠された窓の内と外で分断が生じている。カーテンを開けた際に、父親を認識できなくなったみゆきが取り乱して逃げるシーンでは、ぽつんと垂れ下がった電灯の光の揺れとその光の反射するテーブルが美しく、エドワード・ヤン、などと口走ってしまいそうになるのだが、それは置いておいておくとして彼女はその後、カーテンという仕切りなしに画面に登場することが出来ず、しかもそのカーテンとは、主人公夫婦の家の中で大袈裟に揺れていたものとは違いほとんど沈黙しており、「予兆」の過ぎ去った後は不穏に風が入り込む必要がないというかのごときものであって、だから後半、「自分より先に街が死んだみたいだ」と辰雄が語る際にはカーテンは沈黙しているものの、その直後に夫婦の間で愛が語られる瞬間、ふっと息を吹き返しているではないか。
ところで、「予兆」と題された本作は本編(『散歩する侵略者』)と違い、主役たる女性が最後まで侵略者たちの「奪う」という行為を目撃していない。彼女は具体的な行為を知らぬまま、危機が迫っていることをほとんど直感として理解するわけだが、何故理解できたのかという理由は、彼女が人知どころか宇宙人知を超えた存在であることと無関係ではない。ただし何故そんな存在なのかという理由も説明されないのだけれども、とはいえ宇宙人でも解明できないのだから、説明のしようがないのは当然である。さらにいえば、悦子は本編で長澤まさみが演じた鳴海と違い、「知らない」女性であるとも言えよう。鳴海は夫の不貞を「知って」いるが、悦子は辰雄が「実に人間らしい人間」と言われる所以を「知らない」。だからといって、この分断がすぐさま夫婦を否定するのかといえばそうではない。そもそも多くの黒沢清作品において理解とは安易に肯定されるものではなく、そこに衝突や暴力が生まれる事も多々あるのであり、悦子は辰雄の「疾しい」一面を理解はしないが、それが決定的な夫婦の分断とはなりえない。
むしろ彼女が理解するのは真壁である。悦子は一目見ただけでこの男が異物であると気付き、また真壁も悦子の特異性を見抜き、彼らはすれ違いつつ円の中心という二人だけの空間が用意されることとなる。この二人の関係においてこそ、理解=衝突は起こるのだ。確かに、悦子が辰雄に質問責めをする場面では平手打ちを食らうけれども悦子はそれ以降「理解」はしようとはせず、二人は愛を貫く。ただし対真壁に対しては理解してしまうがゆえに、そして真壁としては理解しようとするがゆえに、衝突は避けられないのだ。ちなみにその用意された円はまるでフリッツ・ラング的と言おうか、まさに映画らしい嘘くささであって、恐らく久しぶりのタッグとなった高橋洋による舞台立てではないのかと思うのだけれど、この場面ではそれ以上に、床の反射によって作り出される対称世界が素晴らしい。
その後、悦子は廃工場で真壁との対決を強いられる。ここでのビニールカーテンに映し出される影を駆使した撮影も素晴らしく、本作における光の重要性を再確認させてくれる。事実光は冒頭から不穏に外側を印象付けており、光差し込む大きな窓の外を眺めていたのは辰雄だけではなく、職場での悦子も同じだ。また、先に述べたようにみゆきの家で揺れる電灯、病院の廊下に反射する光など、幾つもの場面で光は外側から入り込もうとしている。光がSF的な装置としてではなく、恐怖の侵入としてここでは効力を発揮しているのだ。そう考えると、厚生労働省が用意した円の陣形が完全に反射して対称世界を作り出しているのは、もはや内と外の境目が曖昧になっているということなのかもしれない。ちなみに円は廃工場でも登場し、暗がりの中に円形に光が差し込む場所を通り過ぎた後、襲撃がやってくる。冒頭で川と光によって示された分断と日常への浸食は、数々のモチーフを通して全編で語られている。



真壁は、そんな境界線も光も関係なしに入り込む。勝手に開く自動ドアや黒いコートに突然表出する影など、彼は秩序なく登場する。この宇宙人・真壁を演じた東出昌大がおそらく本作最大の功労者であろう。まずはその巨大な体躯であって、決して小柄ではない染谷将太と並んでもその大きさが際立つほどである。加えて、本作では興味を示した際やや前傾姿勢となるのだが、その首から頭のラインの長さが異様であり、まるでエイリアンかのようだ。
エイリアンみたいだというのはそれだけではない。かの『エイリアン』はドラキュラをモチーフとして利用しているが、本作の真壁はまさしくドラキュラなのだ。人間を狙うドラキュラは女性の首筋を噛むことで印をつけ、自らの配下に置き行動の自由を奪うのだけれども、最後は夫が連れ去られた妻を助けだし、夫婦の愛の下でドラキュラは敗れ去る。これは全く本作における真壁と同様であって、愛を奪おうと奮闘する真壁は結局、愛の下に敗れ去っている。ここで本作がスタイルのみならず「愛」というテーマの下でも本編とは裏表の関係性になっていることがはっきりするだろう。また、真壁の黒いロングコートはマントそのものだし、何者かと問われた際にゆっくりと人差し指で上を指し示す場面では、指よりも先に奇妙に伸びた指の影が姿を現すのだけれども、その形からは『吸血鬼ノスフェラトゥ』を連想する。紛れもなく、真壁は吸血鬼として描かれているのだ。そして東出昌大は、しっかりと不気味に演じきったのではないか。



もちろん、近年の黒沢清作品の傾向でもある女優の映画として見ても、夏帆は本編における長澤まさみとは違う魅力によって作品を牽引しているし、またいちいち挙げてこなかったけれども黒沢清空間を楽しむのであれば、例えば悦子の勤め先である繊維工場の奥行きは、立ち尽くしコチラを見ているだけの同僚や、もしくは上司の妻という存在によって動線だけでなく、おなじみの「幽霊」的な存在を生み出す場として見ることもできるだろう。恐怖の概念を奪うシーンでの木々とスモーク、拡声器を持った大杉漣といった要素にも笑みを浮かべられる。また、恐怖の概念を奪うために死の恐怖を味あわせるというのは『蛇の道』の変形と捉えることもでき、高橋洋とのタッグに共通する要素を見出すこともできる。難点としては染谷将太演じる辰雄がやや説明的過ぎやしないかということであって、例えば黒沢清作品で「回想」があそこまではっきりと描かれたことはなかったように思うし、そもそも不必要ではないかとも思う。この「回想」に関しては特に引っかかる点であった。
とはいえ、ホラーとして振り切った画面は過去作の集積の上で強度を保っているし、また役者によって新しい地平が切り開かれているという魅力もある。僕は2010年代の黒沢清作品では『Seventh Code』がベストだと思っていて、それは前田敦子という役者の魅力があってこその評価なのだけれど、本作での東出昌大も大きなインパクトを残しており、その部分が何より素晴らしいと思うのである。

散歩する侵略者 (角川文庫)

散歩する侵略者 (角川文庫)


※『散歩する侵略者』の感想はコチラ→『散歩する侵略者』を見た。 - リンゴ爆弾でさようなら