リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『ヘルタースケルター』を見た。

気をつけろ、へルタースケルターがやってくる。
蜷川実花監督と、5年ぶりのスクリーン復帰となる沢尻エリカが仕掛ける話題作。岡崎京子の同名漫画が原作で、蜷川監督にとっては7年越しとなる念願の企画だったようです。

雑誌、映画、テレビと、芸能界の頂点で活躍するりりこ(沢尻エリカ)。美しさと富と名声と愛。すべてを手に入れた彼女だが、ある秘密があった。それは彼女の体がほぼ全身整形によって作られたものであるということ。その作られた美しさは完璧に見えるが、手術の後遺症により美しさは崩壊しかけていた。さらに強力な後輩が現れたことにより、りりこの精神は追い詰められていく・・・。

何と言ってもエリカ様である。彼女の人形的なかわいさは本作の作られた美しさという設定と合っているように思うし、下世話なワイドショーの格好の標的であるという点においてもこれはぴったりの配役だったんじゃないだろうか。
そんなエリカ様はオープニングから自身のおっぱいを惜しげもなく見せつける。さらに極彩色の映像、エリカ様のコスプレ、オシャレというかもはや単に悪趣味な数々の造形など、本作は見世物的にそれらを楽しませてくれる作品だった。序盤は、であるが。



本作一番の問題点は上映時間が2時間以上という点なんじゃないか。確かに初めの方はキッチュな映像をそれなりに楽しく見ていられるが、どんどんそれがつらくなっていく。理由はこれが映画になっていないからだ。
本作はイメージや一枚の写真のつなぎわせでしかない。断片的でつながりを無視した場面が多く、映画としてはかなりちぐはぐだ。そんなんだから宣伝に使われている写真より面白いものがない。中身がなく、監督のセンスを切り貼りしただけなのでスカスカ。これを世にも奇妙な物語として30分くらいにしてくれればよいのだろうが、2時間はつらい。だんだんうんざりしてくるのだ。



うんざりさせるのはそれだけではない。何度か東京、渋谷の女子高生たちが早回しで映し出されるのだが、この描写がキツい。目まぐるしく動く都会と、ちょっと不自然に誇張された言葉を喋るギャル(これも死語だとは思うが、こう形容するほかない)の喧騒は本当にうるさくて不快だ。
またこのシーンは無責任に消費する側、無限に膨らむ欲望を表しているのだと思うけど、あまりに描写が陳腐で古くてむしろ驚く。スマホが登場するので時代設定は現代でいいと思うのだが、女子高生を表すアイテムがルーズソックスにプリクラ、そして浜崎あゆみなのは愕然とした。



ところで、そもそもこの映画にそういう美への無限の欲望に対する批判的目線などいるだろうか。
りりこというキャラクターは、とにかく美に執着し、女王であろうとする存在であり、本作では彼女をある程度共感的に描いていたように思う。それはいいのだが、問題はそれに対する批判をエピソードもなく、ただわかりやすいセリフでしゃべってしまうのみである、ということだ。「美しさと幸せは別」「若さとは美しさだが、美しさと若さは一致しない」とか、凝った映像に対しセリフの方は全体的にいちいちくどくど説明しなければ気が済まないようだ。そして個人的には、この映画にそんなモラリスティックな面などいらなかったのではないかと思う。



ちなみに、このような説明セリフをいちいちしゃべってくれるのは大森南朋演じる検事なのだが、劇中でも言われるようにこいつの言葉はすべてポエムのようで超気持ち悪い。しかし、だんだんそれが癖になってきて最終的に爆笑に変わるのは良かったと思う。「やっと会えたね、タイガーリリー」は本作屈指の名台詞だろう。



音楽の使い方もどうかなとは思うが、ベートーベンの第9や美しく青きドナウを使うあたり、もしかしたら蜷川監督はキューブリックが好きなのかもしれない。そうなると早回しが多用されているのは『時計じかけのオレンジ』か?なんて思えてくる。
そういえば昔『時計じかけのオレンジ』が好きだという女性と話をしたことがあるが、確かその女性は美術のセンスやら映像がどうだばかり言っていた。キューブリックは僕も好きで、そういう点ももちろん素晴らしく特筆すべきものではあるが、その時「この人とはなんか話が合わないなあ」と思ったことを、この映画を見て思い出した。



まぁ蜷川監督がキューブリック好きかどうかはわからないが、明らかに引用したであろう映画がある。『ブラック・スワン』だ。特に映画後半はどんどんらしくなってゆき、『ブラック・スワン』でいうところの「perfect・・・」とほぼ同じシーンまである。
全く関係なく何故か羽毛まで舞ったりするので苦笑いしてしまう場面ではあるが、ここで映画が終わっていれば「ちょっとダサイけど、まあいいかな」くらいで済んだ。最後に整形していない部分も捨て、完璧なドールとなり、誰の記憶にも残るような終わりを迎えるというのは、ラストにふさわしい締めとなっていただろう。しかし映画はこの後もしょーもない蛇足に蛇足を重ねていく。終わるタイミングのってやっぱり重要なのだなあと、これを見たら考えずにはいられないだろう。



しかし、なんだかんだ言ってエリカ様がおっぱいを出して、しかも濡れ場まであるなら見る価値もあるんじゃないかと思う人もいるだろう。僕もそれが目当てで見に行ったのだけど、なんでだろう、全然エロさを感じないのである。美しさ(監督の目線での)ばかりに気を使い、エロく撮ることができていない。映画全体のリアリティのなさからか、エリカ様がそうなのか、生々しさを感じない。生々しいのは寺島しのぶだけと、せっかく一人で見に来ているおっさんも多いのに・・・という感じである。



下品な話をしてしまったが、この映画にはあらゆる意味での下品さがもっと必要だったのではないか。中途半端な教訓やらを捨て、全力でトチ狂った映画にしていればおそらくもっと面白かったのではないかなと思う。もちろん最初に書いたように、まずは写真から脱却することが必要だろうけど。
このように長々と文句を書いたが、それでもまだ言いたいことは残っている。意欲作だとは思うし、ただ金儲けのためだけに作られるような作品に比べればまだ価値のある映画だとは思うが、個人的にはノレなかった。

The Beatles (The White Album)

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