リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『夢売るふたり』を見た。

他人の不幸で明日の飯がまずい

『ゆれる』『ディア・ドクター』で知られる西川美和監督の最新作。夫婦で結婚詐欺をするお話です。夫婦を演じるのは阿部サダヲ松たか子。オリジナル脚本にこだわる西川監督は、今回も原作・脚本を自分で担当しています。R15。


貫也(阿部サダヲ)は妻、里子(松たか子)と営む居酒屋が火事にあってから何もやる気がせず、再び店を持つため懸命に頑張る妻と対称的に、パチンコなどをして過ごしていた。しかし、ある日かつての常連客で、愛人に死なれ自暴自棄になっていた女性、玲子と出会い、介抱、関係を持ってしまう。その際、貫也の身に起こった不幸を聞いた玲子は、愛人の親族から受け取ったを手切れ金を貫也に渡す。帰宅した貫也は里子に「かつての仲間から金をもらった」と嘘をつく。しかし、里子はすぐに女から得た金であると気付く。そして里子は思いつく、この世には、この男を欲する女がたくさんいるのだと。そして二人は結婚詐欺を始めるのだった・・・。

※若干ネタバレ。


かつてブルーハーツはこう歌った。「たてまえでも本音でも 本気でもうそっぱちでも 限られた時間の中で 借り物の時間の中で 本物の夢を見るんだ 本物の夢を見るんだ」と。映画の主人公である夫婦は夢を見た。「また店を建ててやり直そう」そんな夢を。そしてそのために思いついたのが、他人に夢を売るということだった。



夫婦が手を組み女性たちを騙していく過程はまるでコメディみたいだ。阿部サダヲの気弱真面目演技もそうだけど、例えば最初の被害者である咲月(田中麗奈)からお金を借りるため、電話越しに即興の演技をする場面などは爆笑ものである。お金の入っていた封筒を飾り、「ありがとうございます。必ず返します」などと礼をするのも笑える。


しかし、笑えるとはいってもそこには常に恐怖も併存している。それは裏に松たか子演じる里子の存在があるからだ。
本作最大の勝因は松たか子の演技にあると思う。『告白』を見て監督はキャスティングしたと言っているが、本作で見せる演技はそのときより何倍も恐ろしい。まず貫也が玲子から貰ったお金を持ってくるところからして凄いもんね。貫也の行方が心配で夜中駆けずり回っていた里子の顔が、他の女と寝たのだとわかるとまるで能面のように変わっていく。そして熱湯尋問・・・。
自らの考案から始めた詐欺で、お金が入れば入るほど積もっていく嫉妬、怒り、そして悦び。歪んだ愛憎が、里子の顔から笑顔を消し、闇を大きくしていく。そしてそれが映画全体に不穏当な空気をもたらす。

「あれもほしい これもほしい もっとほしい もっともっとほしい



この二人が結婚詐欺を働くと決めた時点で、この二人が行きつく先は見えている。中盤、夫婦で幼児虐待をしていたというニュースを聞きながらこんなことを言うシーンがある。「2人ともおかしい」「普通、どっちか止めるだろう」
もちろんこれはブーメランで、自分たちに跳ね返っている。夢を追っていくにつれ、徐々にすれ違いが生じていくふたり。ため込んだ思いは、いずれ決壊する。タイトルの夢売るふたりとは、詐欺によって一時の夢を与えるということだけでなく、おそらく地道に働けばかなえられたであろう夢を、自ら売り払ってしまうということも含む。

それと、この映画ではおそらくだが、坂を意識的に使っているんじゃないかな。店が燃えた後でも、里子と貫也は自転車で坂道を上っていた。その後ろ姿にはどこか幸せが見えた。しかし、詐欺を始めて以降、彼らは下ることしかない。狂い始めた歯車は治ることなく。最後には転げ落ち、引きずりおろされるのだ。


ふたりの計画がついに崩壊するのは、木村多江演じる滝子に仕掛けたときだ。彼女に接触するとき、貫也は他の女性と違い、いきいきとしている。貫也を一瞬引き留めようとして、でも見送る里子。連れ違いが決定的になる。
なぜこの詐欺で決壊したのか。この滝子は他の女性と違い子供がいた。温かい家庭があった。すれ違いが重なった結果、貫也はここに安らぎを覚えたのだ。火事から救った唯一の道具である包丁を放り出すほどに。そうして今までかろうじて保っていたものが崩れ落ちる。

本作を見ていて気になったのは、そこそこ長く連れ添っているらしい里子と貫也の間に子供がないということだ。そしてそれだけではなく、セックスレスのようでもある。夫婦の営みを映すシーンはないが、里子がオナニーをするシーンはある。これは単に計画で忙しいなどと言うことではないし、すれ違っているのだ、ということだけでもないような気がした。
里子が不妊症である、と言うようなセリフはないし、明確に提示されるわけでもない。しかし、どうもそうなんじゃないか?と思わせる。子供を作っていないのはおかしなことではないけれど、貫也が安らぎを求めたもの、里子が真に嫉妬心を燃やしたのが子供の待つ家庭だった、というのはなんとなく、そんなことを思わせるのです。



貫也が仕掛ける女性は‘結婚できないと言われることに疲れた女性’‘引退のタイミングを失ったウェイトリフティング選手’‘男運のせいで夢をかなえられない女性’などである。そして里子はこう言う。「私は貫也の人生に乗っかってるだけ。自分で道を作らない人生は卑怯なの」
この映画は結婚に空虚な幻想を見ることに対して冷たい視線を持つが、しかしラストに見える(僕にはそう見えた)一縷の光は、恋愛と言うか夫婦の、かすかな希望を感じさせる。西川監督は恋愛の成れの果てを本作で描こうとしたと言っているが、その地平の先にあるのは空虚さだけではないよ、ということなのではないかと思う。
「家から遠く離れても なんとかやっていける 暗い夜に一人でも 夢見心地でいるよ」




というわけで、言葉ではあまり語らず細かい演出で物事を表現したり、象徴的にしようとしていたり、またはっきりとした結末というものもないので、見た後色々考えてしまう映画でした。ただ個人的にはその演出がちょっとあざといかなと思う部分がいくつかあったり、風俗嬢のエピソードはちょっと無駄に長くなっちゃったなと思いました。それに香川照之はまだいいとしても、笑福亭鶴瓶はさすがに画面にいると異質で、終盤の子供を使った展開もあまり乗れなかったこともあって絶賛とは言い難いですけど、ある夫婦の寓話として、あれこれ思う良い映画であると思います。


ちなみに、この映画以降、ヤマザキ春のパンまつりCMを見るたびに思い出すであろう名シーンもあるので、見逃さないように。

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