リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『アウトレイジ ビヨンド』を見た。

やくざ映画のその先へ

2010年に公開された『アウトレイジ』の続編です。僕は前作をその年のベスト2位に選んだくらい好きでして(1位は『第9地区』3位は『トイ・ストーリー3』)、なので本作もかなり期待して見に行きましたよ。

関東の巨大暴力団、山王会は加藤(三浦友和)に代替わりし、大友組を裏切った石原(加瀬亮)が若頭となってから勢力は更に拡大していた。しかし、石原の利益を出す者を重宝するという実力主義に、株などわからぬ古参のやくざは不満を募らせていた。そんな古参の幹部の一人、富田(中尾彬)に目を付けたのがマル暴の刑事、片岡(小日向文世)である。彼は富田をたきつけ、関東の巨大暴力団である花菱会と手を組ませようとしたのだ。さらに彼は切り札として山王会に恨みを持つ元村瀬組若頭の木村(中野英雄)、そして刑務所の中にいる大友(ビートたけし)にも密かに近づいていたのだった・・・と言うストーリー。

『ビヨンド』のオープニングは黒塗りの車をバックに赤文字でタイトルという、前作を意識させるものになっている。しかし、前作では黒塗りの車が列になって疾走していくところにタイトルを被せていたが、本作は海に沈められた車をゆっくり引き上げるところにタイトルを被せている。
この違いは前作と本作のスタイルの違いを表しているようだ。喧騒とバリエーション豊かな殺しのエンターテイメントだった前作に代わり、本作では静かな、しかしやはり緊張感と多くの死に満ちた世界を見せてくれる。さらにこれは、大友のスタンスもあわらしている。前作で大友は上にも下にも挟まれ暴力で突っ走るしかなかったが、今回は色んな人間の力により引き上げられ、仕方なしに暴力世界へ復帰するのだ。



前作との違いはオープニング直後の幹部会のシーンにも表れていた。利益を出す金融に詳しいインテリを重宝する石原のやり方は、古参のやくざたちにとって不満が残るものだった。「ついていけない」「幹部会なのに飯も出ねえ」と彼らは口々にこぼす。そういえば前作は幹部会で飯を食っている姿から映画は始まっていた。無駄は排除し、効率よく金を稼ぐ。それは長年組織のために尽くしてきた人間より重んじられるということなのだろう。
山王会の事務所にもそれは表れている。前作では日本屋敷といった感じで広大な庭などもあったようだが、本作ではそういうところをあまり映さず、幹部が集まる部屋も無機質でシャープな印象だ。ジャージ君たちも見えない。



かつてあった繋がりやら何やらを無視し、どいつもこいつも成績重視、実力主義で進んでいくというのは政治経済など、社会の様々な場面を連想してしまう。暴力団、警察、政治家のように本作に登場する組織だけでなく、現実には企業、そして末端の個人まで裏切り合い、牽制し合う。いつ誰と誰の立場が逆転するのか、誰が生き残るのかわからない構図は日本社会の縮図のようだ。嘘のつき合い、もみけしあい、権力の暗躍、警察の腐敗、出世争い、そして死屍累々、何も変わらない。いや、見えづらい分、現実の方が最悪かもしれない。



ところで大友だが、出所した彼は木村や片岡にせっつかれるも本人はやくざ世界に戻るつもりなどさらさらなかった。しかし、あることをきっかけにその世界へ戻らざるを得なくなる。裏切りと暴力のやくざの世界を倦むも、仁義やケジメにより動かざるを得なくなる大友の姿は高倉健鶴田浩二などの任侠映画、また『仁義なき戦い』の菅原文太を思わせる。



仁義なき戦い』は権力に振り回され、みっともなくあがきまわり敗北する若者の姿を描いてきた。しかし、今やその権力すらどこにあるのか。若者から年寄りまで、ひたすら蹂躙されるのだ。金を前にポンポン死体は積み重なり、利用されては捨てられる。どこを見渡しても安全はない。誰もが駒として扱われるのみだ。仁義なんてものはハナから期待できない。



ラスト、一応本作中最大の悪人である男は制裁を受ける。最もグレイゾーンで動いていた、現実のそこら辺にいるであろう男だ。そいつに対し、それまで狂言回し的に動いていた男が、唯一心から殺してやりたいと思っての一撃を食らわす。まさに『仁義なき戦い』のラストのように。ただし、そこで「弾は残ってる」なんてことにはならない。「弾なんか残してるからろくなことにならねえんだバカヤロー。全員ぶち殺すんだよコノヤロー」



前作とこの『ビヨンド』で北野武やくざ映画の歴史を更新したのではないかと僕は思った。任侠から実録路線という流れがあるが、今はこのジャンルは停滞している。北野武はやくざの映画を撮っていたが、それはやくざ映画というジャンルではなく、北野武の映画という感じであった。しかし、本作は明らかにそれらへの目配りがあり、そして現代に合うようにアップデートした。怒号というアクション、仁義皆無のマネーゲーム・・・本作は新しいやくざ映画の到達点だ。
また北野武映画としてもこれは新しい。諦観や厭世観はキタノ映画における重要な要素だと思うが、本作はかつての自殺願望とは違うところにいる。「もうやめよう、疲れた」これが本作での北野武、そしてビートたけしなのだ。



というわけでキタノ映画として、そしてやくざ映画として新しいステージへ行った凄い作品でした。相変わらず役者の演技は皆素晴らしく、特に加瀬亮小日向文世、そして花菱会の塩見三省がほんとに最高で、花菱会に木村と大友が訪ねるシーンは本作でも最高の見せ場の一つでしたね。
また、減らしたとはいえ暴力描写の楽しさもやっぱりある。例えば桐谷健太がバッティングセンターで執拗に平手打ちを食らわせるのは、北野映画で前にも見たので「おっ、来たな」と言う感じだし、電動ドリルというそもそも暴力的な物からピッチングマシーンまでイヤーな感じがビンビン。また片岡が無実のヤクザに供述を強要させるシーン、前作での木村の愉快な指つめを思わせる展開など、とにかく見どころは満載です。前作とともに、日本暴力映画の新しい歴史として、絶対に見るべき映画だと思います。超オススメ。