リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『桐島、部活やめるってよ』を見た。

桐島になれない僕たち。
各方面で話題の映画、『桐島、部活やめるってよ』をようやく見た。田舎に住んでいると皆が盛り上がっているときには盛り上がれず、ようやく見たとなるともうトレンドは移り変わっているということが多い。まあ、今それはいいけどさ。



『桐島〜』についてはもう色んなところで色んな方が感想述べていて、これ以上その映画としての完成度などについては書くことなんて無いという感じです。とにかく、構成、演技、演出など全てのピースがピタリとはまっており、素晴らしい完成度の作品になっていたと思います。
ただこの映画が大きな話題になっているのは、自分の経験と照らし合わせて考えられる映画になっているからこそだと思います。完成度の高さももちろん重要だけど、自分を反映させやすいから色々なことを語らせ、いろんな意見を生み、話題になっているのだろう。というわけで、僕も映画としてどう描いているかとかより、個人的にこう見たね!と言うのを書きます。単純化されてると思うけど、まあそう見ちゃったんだから仕方ない。



以下ネタバレ



僕はやっぱり、映画部の前田にどうしても感情移入してしまう。もうね、ほとんど自分を見てるような感じでしたよ。例えばさ、かすみとたまたま映画館で出会うシーン。あそこで前田はかすみが自分の好きなものに興味があると勘違いしちゃうんですね。しかもかすみがまたうっかり前田の好きそうな映画の話をしちゃうから余計に。この辺は、笑いながらもちょっと気まずい感じ。
ここで前田はかすみと話したそうなんだけどさ、映画のことしか話せないんだよね。他に話題がないの。これがもう、ああ、わかるわって感じ。それとかすみが去った後に前田は買った紅茶をぐびぐびと飲むんだけど、これ分かるなあ。なんだか気恥しくなって、何かせずにはいられなくなるんですよね。あとは彼の屁理屈を並べ立てるところとか、言葉の最初に「えっ」と付けるとことかもわかるなぁって思うんですよ。



それと彼のいる映画部、この感じは最高ですね。学校の隅にある、いかにもな男子だけのボンクラ部室なのね。あと、前田といつも一緒にいる武文。彼が素晴らしい。前田は念願のゾンビ映画を先生に秘密で撮っているんですが、それがバレて中止させられそうになるんですね。でもそこで武文はこんなこと言うんですよ。「ここでやめるなよ。俺こんなに楽しいの初めてだよ。だから最後まで撮ろう」
いやこれはもう素晴らしい関係ですよ。凄くうらやましい友人ですよね。僕は中学のころに一緒の高校に行ったら映画部を作ろうと言っていた友人がいまして、でも結局違う高校に入ったんです。高校でもいい友人はいたけど、映画について結局誰かと深く話す機会はなく、一人で映画秘宝を読んだりしてた。そんなことをこの二人を見て思い出しましましたね。あ、あと運動できる奴を見て「今のうちだけ調子にのっとけ」と思ったりしてるのもシンクロ。もちろん、これは僻みなんだけど。
ちなみに、この映画を見てて僕は「ブチ殺してやろうか!!」と思った野郎が数名います。まず一人目はやっぱり映画部の顧問ですよ。あの野郎は前田がゾンビ映画を撮りたいと言ったら「それはお前にとってのリアルなの?」とか諭すようにほざきやがる。それで代わりに撮れというのが、なにやら熱血スポコン恋愛映画のような代物だ。何言ってんだバーカ!高校時代に映画観賞を趣味としてるオタク感丸出しの奴にとって恋愛がリアルな訳ねぇだろ!そんなもんより「あのチャラチャラしてる奴ら全員ぶっ殺す」とか「世界が滅んでゾンビだらけになんねえかなあ」とか「いつか見返してやる」とかそんな方がリアルに決まってんじゃん。



で、やっぱり白眉はあのラストですよね。屋上でゾンビ映画の撮影をしている映画部の面々と、桐島を求めて走ってきた、所謂リア充たちが一堂に会するあの場面。そこでバレー部のキャプテン(通称ゴリラ)は、桐島がいないとわかると映画部の撮影用小道具を蹴ってしまうんですね。
それを見て僕はもう「てめぇ殺す!」とちょっと立ち上がりそうになっちゃいました。彼らの夢の欠片を踏みにじりやがって!と思ってね。ブチ殺したい奴2号です。
ここで、意外にも気弱なオタクである前田が「僕たちに謝れよ」と言うんです。「そうだ!」同意する映画部たち。ブチ切れるゴリラ。そしてゾンビメイクをした映画部たちとリア充共が入り乱れて乱闘に!8ミリカメラを通して覗く前田!そんな彼の眼には、なんとこの乱闘がリア充をゾンビが食い散らかす映画≫のように見えている!
ここで僕はもう爆笑ですけど、同時に泣けて泣けて。だってこれ学生時代に僕がしてた(今もしてる)妄想と同じじゃん!タクシードライバー』とか『狂い咲きサンダーロード』とか、それこそ『ゾンビ』とか、そういう映画を見ながら思ってたよ。「あのバカどもをブチ殺す!」ってね。だからさ、このシーンはその妄想がついに現実になった瞬間なんですよ!『ホット・ファズ』のおデブことダニーと同じですよ!号泣だよ!



ここだけでも相当感動していますが、実はその後にあるシーンこそ真に僕は心を打たれたんです。それは本作の真の主人公であるヒロキが、前田と少しばかり言葉を交わすシーン。「将来は監督に?」と聞くヒロキに対し前田は「それはない」と答える。ヒロキは思う。じゃあなぜ映画を?
前田はそこで自分の映画に対する思いを恥ずかしがりながら吐露する。その瞬間、彼はこの映画の中で誰よりも輝いて見える。何故か。桐島に、周囲に振り回されない彼の心には、しっかりと大切で譲れないものが、確かにあるからだ。その何と尊いことか。いくら容姿が良くて人気者でも、そんなもの、前田や吹奏楽部の娘や野球部のキャプテンが持っている輝きには到底及ばない。



僕は、昔から時間があれば映画を見ていた。映画の本もたまに読んだりとか、稚拙ながらこうやって感想なんかも書いている。これが将来役に立つようなことは、まずないだろうし、みんなに理解されるような意味や結果なんかないだろう。第一、自分だってなんでこんなことをしているのか合理的には説明できない。
でも、だからといってそれは価値がないということではないのかもしれない。だって僕は映画が好きだし、だから見るものこうやって書くのも好きだ。そしてそれは、ぼくにとって大切なものなんだ。この気持ちは、それはそれでまた素晴らしいものじゃないか。このシーンはそんなことを言ってくれる。最近進路のことなどもあって、色々自分がやってきたことは間違いだったのかと不安だったり疑問に思ったり、自分は無価値なんだと思ったりしていましたが、これでものすごく背中を押された気がしたんですね。



ではこれは映画オタクのための映画かというと、それだけではない。桐島に振り回された側もまた、普段からどこか日常に息苦しさを感じていた。しかし、この残酷で息苦しい世界の中で僕たちは生きていくしかない。その世界で生きていく力になるのは、何か自分にって大切なものを、情熱を持ち続けることだ。そしてそれに気付きかけるのは、ヒロキなのだ。



さて、このように前田のことばかり言ってきた僕ですが、別に彼以外にも「あぁあるある」と思ってしまう人はたくさんいる。例えば桐島がいなくなったことでレギュラーになるバレー部の風助とかバトミントン部の娘。彼らの「頑張ってもこの程度なんだよ」と言うのはよくわかるなあ。まぁ僕は早々にそちらは諦めたというか、一応3年間部活続けたけど彼ほど頑張れなかった。それの気付きはつらいもんだ。あと帰宅部の友弘。最後まで一人でバスケしてる彼。あれも色々思い当たるというか≪こうなっていたかもしれない自分≫を見ているようでしたね。



ここでかすみについても触れておきたい。彼女は結局前田のことをどう思っていたのだろう。もちろん男子として意識していたわけではない。彼氏もいるし(それがわかるシーンは地獄だったね。ミサンガとか、僕も中高の時周りのカップルが付けあったりしてるのを見て殺意を覚えたね)。
ただ、人としてはかすみは前田に好意を抱いていたんだろうと僕は思う。おそらくかすみはヒロキと同じで、自分のいる世界への違和感にうすうす気づいている。桐島や、桐島の彼女、その取り巻きが作る世界の中で、がんじがらめになって生きている彼女はそれとは違う自由な前田を見て、どこか憧れがあったのかもしれない。だから彼女は他の人とは違い、前田を馬鹿にしたりしない。ちなみに、ブチ殺してやりたい奴3人目は取り巻き軍団の一人であるヒロキの彼女ですね。まあ映画内で制裁を受けたので一応許すけど。



というわけで、高校時代のあれやこれやみじめだったり最低なことを思い出させる一方で、それでもいいんだよと勇気づけられる映画でもありました。ホントに、何度も見て何度も勇気づけられたい、かなりのレベルで忘れ難い映画になっていくかもしれませんね。
最後に、この映画で桐島が出てこないのは、桐島は現実には実在しないからだと思います(映画内にはもちろん存在しているけど)。頭脳明晰、スポーツ万能で学年1の美女と付き合う桐島は、誰もが憧れる理想の存在。でもそんな完璧な人実際にはいないし、なれもしないんですよ。この映画はそんなすべての桐島になれない人のための映画でした。傑作。

桐島、部活やめるってよ

桐島、部活やめるってよ