リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『罪の手ざわり』を見た。

あなたに罪を定めない
中国で実際に起こった事件をもとに、4つの異なるエピソードから構築された作品監督は、今や中国を代表する映画監督である賈樟柯(ジャ・ジャンクー)。第66回カンヌ国際映画祭において、脚本賞を受賞している。


現代の中国。村で共同経営していた炭鉱に、利益を吸い上げられ続けてきた炭鉱夫・ダオシー(チァン・ウー)、出稼ぎと偽り強盗を繰り返す若き父・チョウ(ワン・バオチャン)、不倫と言う叶わぬ恋を続けてきた女・シャオユー(チャオ・タオ)、ある事故をきっかけにナイトクラブで働くようになり、そこで働くホステスと恋に落ちた青年・シャオホイ(ルオ・ランシャン)。4つの主人公たちの苦悩と、もがき苦しみながら生きる姿、そして暴力が描かれていく。

先日『長江哀歌』を見たのだけど、これが非常に面白い映画であった。家族を探しにきた男と女が消えつつある都市の中、何を得るでもなく彷徨うのだが、その瓦礫の積まれた、今まさに取り壊されている都市を見つめることで、普遍的に生きている人々を描きだそうという作品である。
僕が『長江哀歌』で感銘を受けたのは、物語よりも映像に対してである。例えば廃墟になりつつあるビルの崩れかけた壁や、崩れたことによりむき出しになったビル室内へ女たちがフレームインしてくる場面。またある女性が、夫のいた鉄工所へ向かうシーン。ロングショットで捉えられたその場面で、カメラは女性の歩みに合わせ、ゆっくりパンしていく。するとそこでは労働者たちがハンマーで太いパイプやら何やらをひたすら叩いている。このように、不思議だが、なぜだか惹かれてしまうショットがいくつか見られた。
全編を通してハンマーと、パンするカメラは印象的なのだが、最も印象的にカメラが振られているのはシーンは次の場面であった。狭い部屋の中。男が仲間との別れの席で1人1人に煙草を渡していく。しかし、男は途中でタバコをひとつ、画面の外へと投げ飛ばしてしまう。そしてそれから少し時間のたった後、カメラがそのたばこの投げ飛ばされたの方向へパンしていくと、そこにはたばこを吸う仲間の姿がある。この画面使い。狭さの中、生きている感じが良く伝わるシーンであった。



そんな画面の面白さを本作にも僕は期待していたのだが、結果から言えば、少し期待はずれな作品であった。冒頭、いきなり暴力が発動するところで映画は始まり、それとは無関係に倒れたトラックから、無数の果物らしき物体が散らばっている光景はとても魅力的である。しかし、その画を超える瞬間を見つけることはできなかった。
興味深い部分はある。僕が最も面白いと思ったのは、暴力までの手順だ。本作では暴力が発動されるまでに、いくつかの手順を踏んでいることが多いような気がする。例えば1話目の男。まず銃を構える。銃を突き付けられた男が映る。もう一度、銃を構えた男が映る。そして発砲。こういった具合に、ときにパンしながら、ときにはいくつかカットを割りながら手順を踏んで暴力を見せている。予期せぬところからいきなり暴力が飛んでくることは、なかったように思う。
これがギャング映画であれば、暴力に丁寧な手順などいらないだろう。例えば、本作はオフィス北野制作となっているが、北野映画などはそのいい例だと思う。しかし本作では「ため」を作ることによって、次に人が死ぬとわかる撮り方・見せ方をしている。
また、「ため」だけではなく、暴力の結果も本作では丁寧に見せてようとしているように感じた。つまり、暴力までの過程と結果が、じっくり描かれているだ。それは暴力の「重さ」を感じさせる。そんな暴力のまとわりつくような重苦しさこそ、本作の肝なのだろう。そしてそれが一層際立つのが、3話目の女である。彼女は、扉を隔てた先から理不尽な仕打ちを、いい加減笑ってしまうくらいの回数繰り返した後で、暴力を行使している。まとわりついて離れない、まるで蛇の如き暴力である。



女=蛇というように、暴力によって本作の主人公たちは、動物と結び付けられることにもなる。虎や馬、蛇に小鳥といったように、各エピソードはそれぞれを象徴させるような動物とリンクさせられている。
またここで恐ろしいのは、別々に見えるエピソードも微妙に関わりあっていることである。エピソードの関わり合いによって、動物へと身をやつした登場人物たちの、行き場の無さが強調されているからだ。広大に思われる中国ではあるが、どこに居ようと苦痛に逃げ道はなく、生活は困難で、抜け出すため獣に変貌したとしても、馬に代表される動物の崇高さを手に入れることもできない。宗教にしてもそうだ。キリストの生誕を祝う絵画。毛沢東の像。先祖の供養とたばこ。輪廻と仏像。そのどれを信じようとも皆同様に社会的暴力から逃れられはしない。こういった諸々の象徴と思われる事物はすべて、人間に対する皮肉として機能していたように、僕は思う。
だが映画は彼らを突き放すのではなく、庇い、そしてむしろ観客を挑発して終わる。劇を見守る群衆の姿は映画を見ている私たちそのものであり、登場人物多とを通して、罪とは一体何か、誰が罪びとで誰が裁けるのかについて、問いかけているのだと思う。



しかしこんな真面目な映画にも関わらず、どこか笑ってしまう場面が挿入されていたりもする。それは、1人目の男がついに銃を取り、ついに立ち上がることを決意する場面。そこで彼はトラの刺繍がはいった織物を手にするのだが、ここで一瞬、トラの鳴き声らしきSEが挿入されるのだ。この可笑しさは一体何だろう。
そういえば、『長江哀歌』でも突然謎の建築物がロケットのように飛び立つという超現実的なシーンがあった。中国の厳しい現実を描いているはずが、急にどこか変な方向に飛んだりもするバランスが、この監督の面白いところなのかもしれない。し、本作で描かれた平凡な暴力と煮詰まり感には、そこまで感銘を受けることができなかった。

長江哀歌 (ちょうこうエレジー) [DVD]

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