リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『リアル 〜完全なる首長竜の日〜』を見た。

完全なる黒沢清のムービー
黒沢清監督5年ぶりの長編映画です。5年ぶりという事に対する疑問と憤慨は置いておくとして、大好きな監督の新作が劇場で見られるのなら、それは見ないわけにはいきません。主演は佐藤健綾瀬はるか。原作は第9回「このミステリーがすごい!」で大賞を受賞した、乾緑郎による『完全なる首長竜の日』という小説です。


浩市(佐藤健)は1年前に自殺未遂を起こし、未だ昏睡状態のままの幼馴染で恋人の敦美(綾瀬はるか)を救うため、センシングという最新医療を受ける。センシングとは、直接脳内とコンタクトを取ることにより、一種の仮想現実内で相手と対話することが出るものだ。最初のセンシングで浩市は敦美から「昔書いてプレゼントした首長竜の絵を持ってきて」と頼まれる。漫画家である敦美は、その絵を見ればもう一度自分に自信を持つことができると説明する。言われた通りに首長竜の絵を探すが、センシングの副作用で幻覚が見えるようになり・・・

※それとなく展開に触れているので注意


映画の特性をうまく使っている映画であるなぁと思いました。カットが変われば時間も場所も変わる。映画ではごく自然なことですが、よくよく考えればリアルではありえない、おかしなことです。本作は、ほとんどが頭の中の出来事、心象風景の中で物語が展開します。ゆえに過去も現在も時も場所もごちゃまぜ。浩市は、道も分からないのに海に行けるし、警察署を出たと思ったら突然森の中にいる。歩いていて突然場所が変わることもある。でも、頭の中ではそれはおかしいことではない。なのでカットが変わっていきなり場所が変わっても全くおかしくない。これは面白いなと思いました。



さて、本編はというと、黒沢清だとしか言いようのないホラー映画でした。宣伝では少しSFチックなラブストーリーであるかのよう言われていますが、パッと見はまるで違う作品。いい意味で詐欺ですねこれは。特に前半が素晴らしく恐ろしい。光の当て方、影の使い方で画面に不吉な印象を持たせ、絶妙に空間を開く構図が恐怖を予感させる。センシング中に見る世界には、現実のようで現実ではない、悪夢のような歪さ、禍々しさがあり、ただの旗が、カーテンが、布が、そこにあるだけで恐ろしい何かに見えてくる。そして話が進むほどに現実と虚構は曖昧になり、気味の悪さから抜けられなくなってくる感じがします。



初めてのセンシングが終わった後、浩市が車で移動するという印象的なシーンがあります。それだけのシーンが何故印象的かというと、背景がすごく合成っぽいのですね。これは、浩市はすでに何か違う世界へ向かっているという事であり、「はい、もう戻れませんよー」と言っているようでした。この車やバスの使い方というのは、黒沢清の映画ではよく見られるものだと思います。
そうして導かれた先にある気味の悪い世界では、突如として現れる正体不明の少年や、「不気味の谷現象」のような居心地の悪さ(もしくは規則性のあるプログラムのような)があるフィロソフィカルゾンビなど、様々な手で不穏な感じを味あわさせてくれます。
中でも僕が嫌だったのは、壁に埋まっていたドアの先にある光景。ボロッと壁が崩れる音とともに、やたらノブの位置が高いドアが出現するところからしてまず不気味。中に広がる光景も、パッと見グロテスクだったり驚かせるようなものがあるわけではないのだけれど、何とも言えぬ不穏さがある。特にそう思わせるのは、沢山の鏡と、部屋の奥の方に掛けてある、白い布をかぶされた何か。鏡の意味は分かるけど、あの布は一体・・・?
そしてもう一つ。警察署のシーンも、何かが出てくるわけでもなく、何が恐ろしいのかうまく説明はできませんが、「いや、何・・・」という気持ちにさせられましたね。長回しで捉えられたその異様な光景は、ほんと、なんなんだよと。
浩市がマンションの外に出ようとするシーンも印象的でした。ドアの外には霧が立ち込めており、「この外に出ると怖いぞー」という感じがするんですね。外だけでなく、マンション入り口付近がやたら暗いのも印象的ですが、なにより一体いつ綾瀬はるかがドサッと落ちてくるのかとドキドキしましたよ。



「人の頭の中を見るなんて恐怖でしかない」。この映画を見ているとそんなことを思います。人は何を考えているのか、何を見ているのか。分かり合ってる恋人同士だと言っても、実際は?そんなモチーフが黒沢清らしい気がします。冷めきった人間関係や、何を考えているのかわからない他人、人と人とは結局分かり合えないのでは?という事を黒沢清は度々描いていますが、本作もそれと通じるものを感じました。特に小泉今日子演じる浩市の母親との会話はそのものズバリという感じです。
しかし、それでも愛する人を救うために相手の意識へ入り込み、色々な障害を乗り越えて(終盤、文字通り凄い物を乗り越える)いく姿を見ていると、なるほどこれは宣伝通り、確かにラブストーリーなんじゃないかと思います。
黒沢清の映画では、恐怖や殺意・復讐というものははいつの間にか増幅され、広がっていき、そして最後には個人を、世界を覆い尽くす物となっていくように思います。本作も知らず知らずのうちに罪悪感が意識の中を埋め尽くしていきます(センシング内に出てくるもの、場所はほとんど罪悪感の表象だった)。それは一度は意識内の世界を溶かしますが、最後は愛によって救われていく。そう考えると本作は、ホラーやSFなど色々姿を変えながらも、やはり率直なラブストーリーだったのだと、僕は思います。



ラスト近くの展開に関しては賛否色々あるところだと思います。確かに綾瀬はるかに主役が交代してからの展開は、前半に比べれば「これから何が起こるんだ?」という感覚が薄く残念に思いましたし、「え、その状態でセンシングできるの?」と思ったりもします。また、後の場面での佐藤健にも「お前そんな簡単にその船降りられんのかい!」と思います。ただ、僕は「その状態」にある人の頭の中に入っていくのは非常に面白いと思います。これは面白いアイデアだなと。ただ、センシングできるなら、ビジュアルでもっと恐ろしいものを見せてほしかったと思ったりはします。
最後の見せ場である、今までの空気感をぶち壊すようなアクション展開も好みが分かれると思います。ただ、この展開に関しても、僕は「なんだ日本映画もここまでできんじゃん」と思えました。水の表現と、重さと、そして「目」ですね。あの目がどうも怖いのです。
また、「ああ、黒沢清はこれがやりたかったんだなぁ」とも思いました。「高橋洋と共同で進めていたという、幻の怪獣映画『水虎』か!」とか、「お!『ジュラシック・パーク』だ!やっぱりスピルバーグ好きなんだなぁ」という風に、やりたいことやったんだ、という感じがして面白いんですね。
ただ、首長竜が罪悪感の象徴であるなら、あの解決方法もおかしいと思います。しかし、『叫』のように「思い出すこと自体が重要」というように考えれば、まぁ、有りなのかなぁとも思います。あちらで出てくる幽霊は、忘れていた、気づかないふりをしていたことに対して攻撃してくる。それに思い出すという事は、苦しみが意識下から表出してくるという事でもありますしね。




ストーリーの他にも、セリフ回しやいくつかの場面での大仰な音楽について不満は残ります。また、疑問も多く残っています。特にセンシング中の服の色について。浩市がセンシングしている間、彼は灰色か赤い服しか着ず、敦美は灰色のみです。しかし、5回目のセンシングで、初めて敦美は赤い服を着て登場します。そしてその時、敦美は首長竜について知らないようなそぶりを見せる。これはどういう事なのだろうかと。3回目のセンシングの後だけスカッシュがないことも気になりますね。スカッシュは四方を囲まれていることから、囚われていることの表れであると思いますが。もちろん、一人で壁に向かって打つスポーツである、というところにも意味はあるのでしょう。



とまぁ、色々小難しいことを考えたり疑問も残ったりしましたが、一言で感想を言えば「なんかよくわからんけど不気味で怖かった!最後は怪獣が出てきてドーン!って感じで面白かった!綾瀬はるかの胸が強調されるような服も最高だね!ワッショイ!」って感じです。分かったようなわからんような感想や、小難しい理論の話なんか無しにして、これで十分ですよ。ええ。綾瀬はるかについては、ハマっているかどうかは別として(特に前半は)もちゃんと体を使わせているのが素晴らしい。ストッキングの種類が豊富なのも良い。佐藤健は驚き顔から何考えてるのかわからないボヤっとした感じまで凄くこの世界にハマっていたと思います。賛否色々あると思いますが、実験的な面白い作品だと僕は思います。ヒットもしてるみたいですので、黒沢清監督にはこれからもバンバン映画を撮ってほしいところです。

【映画化】完全なる首長竜の日 (『このミステリーがすごい! 』大賞シリーズ)

【映画化】完全なる首長竜の日 (『このミステリーがすごい! 』大賞シリーズ)