リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』を見た。

時よ止まれ、お前は美しい。
2011年に放送され話題沸騰となったアニメーション『魔法少女まどか☆マギカ』の劇場版。テレビ版をまとめた総集編も昨年公開された(未見)が、こちらは完全新作。監督にはテレビ版でディレクターを務めていた宮本幸裕。テレビ版の監督である新房昭之は総監督を務める。脚本はテレビ版に続き虚淵玄


見滝原という町に住む少女、鹿目まどか(悠木碧)はひょんなことから魔法少女という、魔女なる存在と戦う女の子たちの存在を知り、友人の美樹さやか(喜多村英梨)とともにその戦いに巻き込まれていく。まどかは魔法少女になればどんな願いもかなえてくれるという使者・キュゥべえ(加藤英美里)の言葉に惹かれるが、次第に魔法少女である巴マミ(水橋かおり)や佐倉杏子(野中藍)の悲惨な運命を目にすることとなる。一人魔法少女の真実を知り、孤独に戦う暁美ほむら(斉藤千和)の苦しみを知ったまどかは、全ての魔法少女を救うため自ら犠牲となり、世界を魔女の存在しないものへとつくり変えた。ほむらはその後の世界でまどかの意志を受け継ぎ戦い続けるが・・・

とても面白かった。一本の映画としては、テレビ版の続編であるという事を抜きにしてもバランスが悪い部分があるし、文句を言いたくなる部分もある。しかし、それを補ってもなお余りのあるほどに「いい」と思える部分が沢山あったのだ。



まずはアニメーション。アクションがちゃんとカッコ良くて、中でもやはり、マミ対ほむらのシーンは気合と苦労の伝わるスゴいガンアクションだ。超かっこいい。この部分をはじめ、さやかと杏子の関係など、まるでジョン・ウーの映画ではないかと思わせる部分も多い。マミさんが超強いという事がわかるのも個人的には嬉しかった。
劇団イヌカレーによる、幻想的かつ象徴的で倒錯的な異界の表現はテレビ版を超えて頭がおかしい。ただ変わっているというだけではなく、悪夢というのが今回重要な要素となっているためにこの表現がとても良い効果を上げていた。例えば、永遠に目的地にたどり着かないバスなどは異界に来てしまったという感覚をビンビンに味あわせてくれるし、モブの表現もキモくて素晴らしい。さらに表現が加速していく後半はもうアヴァンギャルドな域に達しており、グイグイその空間に引きずられていく感じがあった。というか、ドラッグムービーともいえるほどの出来だ。
ドラッグ的表現の中で魔法少女5人が共闘する序盤は見ていて恥ずかしいと思うことも多い。皆が躍りながら変身したり、突然マジカルバナナ風ゲームで敵を封印したり、また悪夢としてその敵を生み出してしまったキャラの生首が落ちてくるといった展開にはかなり戸惑うだろう。もちろんこれは悪いことではない。というのも、明らかに戸惑わせようと思ってやっていることだからだ。



物語はどうか。テレビシリーズでこれ以上ないのではと思えるくらいしっかりと完結した本作は、どのような形で再び語られるのだろう。以下ネタバレ
本作には大きく4つの展開がある。一つ目は、5人の魔法少女がいかにも魔法少女チックに活躍する展開。二つ目は、異変に気づき探索そして明らかになるという謎解きの展開。三つ目は全ての終結に向かい攻防戦を繰り広げる展開。そして四つ目。これが叛逆である。
一つ目と二つ目に置かれている仕掛けに関しては、それほどの驚きがあるわけではない。前作までを見ていた人にとっては、どれだけかわいらしくのほほんとした世界を見せられていたとしても、その画面の中に違和感と不吉さを感じずにはいられないだろうし、冷静に考えてみればその違和感が誰によって作り出されたのかも見当がつくはずだ。
そして謎が解かれ、「キュゥ?」と可愛く鳴くだけのマスコットと化していたキュゥべえが本性を現す中、ほむらが魔女となってでもまどかを守ろうとする姿には泣いた。いやー、ほむらちゃん。テレビシリーズからホント大変な人だ。深い呪いを受けた魔法少女の中でも一番悲惨ではないだろうか。彼女がだんだん追い詰めら、自らに呪いを募らせていく描写はとてつもなく不気味で良い。
しかし、ここで実はまどか側にも仕掛けがあった事がわかる。これが三つ目の展開である。ほむらのため魔法少女が力を尽くす戦闘シーンは何が何やら怒涛の展開で、1回の鑑賞では理解は難しいが、とにかく勢いでグイグイ引っ張っていく。この辺は確かに楽しいのだが、色んな理屈や謎をすさまじく長いセリフで説明するのには参った。脚本家のクセなのだろうか。
計画は成功。ついにほむらは「円環の理」、つまりまどかに導かれていく。僕はもう「ほむらちゃん・・・よかったね(シミジミ)」なんて泣いていたのだが、ここで驚くべき展開が待っていた。



ほむらは長い時の中でまどかへの愛を歪に深化させており、「希望より熱く、絶望より深い愛」によって人間としてのまどかを奪還する。そしてほむらは悪魔となり、正しさを超えた欲望で世界を書き換えてしまった。まどかが希望によって世界を書き換えたのとは全く逆の力によってだ。ここで、テレビシリーズの結末は否定される。人間の深い欲望の前には、神も理論も通じない。まさに叛逆である。
ほむらの言う愛は独善的だ。まどかを引き裂いた上に(象徴的である)、ほむらが望む「まどか」を自分の世界に閉じ込めてしまっているのだからそれは否定しようがない。だが、例え醜くともこれもまたどうしようもない愛の形であることも確かだと思う。程度の差はあれ、欲のない愛など存在するのだろうか。一貫してまどかのためだけに行動してきたほむらは、永遠とも思える時によってそれを爆発させたのだ。そして今回「皆と離れ離れになるのは耐えられない」というまどかの本心(本当にそうかは微妙なのだが)に答えたのだから、これは良い結末だったかもしれない。たとえそれが、神であり、秩序の象徴たるまどかと対立せざるを得なくなったとしても。もう誰とも踊れない、より孤独な存在になってしまったとしても。
ほむらの孤独という点において僕は『ソーシャル・ネットワーク』を思い出した。欲により世界を創造してしまうほどの力を持った主人公は、全てを手に入れたように見えた。しかし、最も大切な動機の部分は結局自分と切り離されたままだった。欲していたもの自体は、自分が作り出した世界の中にいるというのに。



ほむらの行動を蛇足だの自分勝手だの考えなしだのと言って馬鹿にすることは簡単だが、それは僕にはできない。いや、初めは僕もそう思いながら見ていた。事実、この展開のせいで明らかにバランスの悪い作品にはなっているとも思う。だが収まりのいい物語を破壊し、そこからはみ出した部分。つまりは、一見強い人でありそうなほむらの、あまりに人間的な弱さと欲望の強さとその結末の何とも切なく悲しい姿にこそ、僕は心を動かされた。
これは多分、共感ではない。最も個人的である愛という感情など、理解はできても共感するのは難しい。とはいえ、否定もしない。劇中で「ソウルジェムが呪いよりも濁っている」と語られるように、傍から見れば、愛など美しいものではないかもしれない。だが、狂おしいほどの愛に満ちている人に「あなたは間違っている」などと言っても無意味なのである。そんな愛という、客観を寄せ付けない感情が生みだした、正しさも間違いもない答え。つまり、「正しさよりも明るい場所」。それが心に迫るのである。
物語は、常に自分の見たい方向へと連れて行ってくれるとは限らない。しかし実はそういうときこそ、観客に深い余韻を与えてくれるのが物語なのだ。



というわけで「余計なことしやがって!」と思いながらも「でも、そりゃそうなるよなぁ」と納得もするような作品で、矛盾しますが、これは必然的な蛇足であると僕は思いました。ぶっちゃけもうほむらのことを考えるだけで切なくて泣けるね。アニメーションの頭おかしいっぷりだけではなく、恐ろしく、しかし、切なく哀しい人間の欲を描いた恋愛映画として、僕はこの映画を評価したい。あと悪魔となったほむら様を崇め、跪きたいと思ったことは内緒だ。



【追記】
Kalafinaによるエンディングテーマ「君の銀の庭」の凄まじい涙腺破壊力に触れておきたい。歌詞はもちろん、線画で描かれたあの世界はおそらく、ほむらの最も純粋な願いを歌っている。それは二人で手を繋いで一緒にいたい、という事だ。しかし、それがもう叶わないであろうということは、あの映像を見るときには既にわかっている。
「静かに寄り添って 何処にも行かないで 窓辺で囀って 何処にも行かないで」
まどかは、何処へも行かないだろう。ただし、ほむらが彼女の手を取り一緒に駆けていくこともない。あの映像は、誰もが見たかったほむらの結末であり、誰も見ることは叶わなくなったほむらの願いなのである。

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