リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『スノーピアサー』を見た。

雪を超え雪を超え雪を超え、線路は続くよ、どこまでも。
殺人の追憶』や『母なる証明』等で知られるポン・ジュノ待望の新作であり、ハリウッド進出第1作目。主演はクリス・エヴァンス。脇にはソン・ガンホエド・ハリスジョン・ハート、ティルド・スウィントンなど豪華キャストが集結。原作は1984年から3部に分けて発表されたフランスのコミック「LE TRANSPERCENEIGE」。


2014年。温暖化の進む地球を救うため、人工冷却物質CW-7が大気圏上層部に散布された。これで地球は救われる、はずだった。2031年。氷河期に突入した地球で、生き残った人間は皆「スノーピアサー」という列車に乗っていた。ウィルフォード産業によって製造されたこの走る方舟の中は富裕層と貧困層で区別されており、列車最後尾の貧困層が住む区画は。スラム街さながらの様子であった。カーティス(クリス・エヴァンス)という青年はこの状況を打破すべく、彼を慕うエドガー(ジェイミー・ベル)や最後尾のまとめ役ギリアム(ジョン・ハート)らと、革命の準備を着々と進めていた。そしてある日ついに、最後尾に住む者たちが先頭車両を目指す時がきた。そのためにまず彼らはセキリュリティの達人であるナムグン(ソン・ガンホ)の協力が必要だったが・・・

ポン・ジュノは世界的な巨匠であると言って差支えないだろう。2000年代に『殺人の追憶』『グエムル』『母なる証明』というド級の傑作を残し、その時点で既に世界レベルの鬼才であるとは知られていたが、本作でキム・ジウン、パクチャヌクに続きついにハリウッド進出したことで、名実ともに世界レベルとなったように思う。しかも、題材は近未来を舞台にしたディストピアもの。これは一体どんな作品になるのか。否応なしに期待は高まるというものである。
結論から言えば、今まで僕が見たポン・ジュノ作品と比べると平凡な出来だったと思う。ポン・ジュノ作品は、初めは明確ところからスタートするも、映画が進むうち色々な要素を含んでいっていつの間にか混沌としたところへ連れて行かれるという印象がある。そして映画の終わりには、その混沌の果てにある場所で放置されてしまう。そんな感じが、楽しいのだ。
だが本作は、割と明快な作品だったと思う。初めは混沌とした列車内部の様子をわくわくしながら見られる。しかし、だんだんこのお話全体が比喩なのだと分かると、なんだか窮屈に感じられた。なので後半になるほどに、物語としての魅力が損なわれているように感じたのだ。特に、終盤でダラダラと会話しだすのも“らしく”ないというか「もっとうまくできるんじゃ・・・」と思った。



ではこの作品はつまらないのか。実は、そうではない。これが面白いのだ。先ほど平凡といったのはこの監督の他の作品と比べると、という意味であり、つまり傑作だらけのフィルモグラフィーの中で、普通に面白いくらいの作品を撮っちゃった、というだけのことである。特に良かったのは、ちゃんと映画が躍動する瞬間があるという事。
まずは革命決行の瞬間。自分たちの計画がバレるかもしれない。しかし、今が我慢の限界、最後のチャンス。皆の士気も高まっている。敵兵たちは銃を持っている。危険だ。いや、あの中に弾は入っていない。本当か?多分。間違ってたら、無駄死にだ。やるか、やらないか。カーティスが走り出し、敵兵の持つ銃を自分に額に押し当てる。そして・・・!この瞬間、一気に映画は弾ける。この高揚感がいい。
残念なことに、せっかくの状況設定の割に奥行きの構図をあまり楽しめないのがもったいないが、一か所、長い列車であるという事を意識させる面白い銃撃戦があるのは良かった。大回りのカーブに差し掛かったところ、列車中心部が折り返しとなり、車両前歩と後方が並列になるところで、お互いの間に長い距離があるにもかかわらず銃を撃ち合うシーン。これはあまり見たことのないものだった。ちなみに、奥に進むと場面が代わり、そこに新たな敵が現れるというのは『死亡遊戯』を思い出させる。さらにちなみに、小学校車両で急に悪趣味全開ミュージカルになるのはテリー・ギリアム監督『Dr.パルナサスの鏡』における警官ダンスが浮かんだ。また管理社会ということでは同監督の『未来世紀ブラジル』があるし、もしかしたらジョン・ハート演じるギリアムという役名はここからとったのでは?などとも考えた。
細かいところでいちいち「変」なのも面白い。腕を凍らせてからハンマーで砕くという拷問。1年に1度、新年になるたび通過する橋で突然休戦する馬鹿馬鹿しさ。『ソイレントグリーン』を思わせる嫌がらせ・・・。そして中でも特徴的なのが、ソン・ガンホ演じるナムグンと、その娘だ。彼らはセキュリティ開発者だが麻薬中毒で、次の扉を開けるたびに麻薬を要求してくる。そのしょうもなさすぎる姿に「お前ら・・・どこに行ってもダメ人間かよ・・・」と笑ってしまうのだ。
ストーリーの方では、世界そのものに見立てられた列車の中における弱肉強食や生存関係のバランス・生態系についての話が重要な要素となっているが、当の映画自体は普通の映画が持つバランスを突然飛び越えてくる瞬間がいくつもある。先ほどの細かいヘンテコポイントに加え、「そこ、そんな描写して意味ある?」という事をしっかり見せる割に「あ、そこは省略するんだ」みたいなところがあったりもする。この辺は流石ポン・ジュノだろうか。理路整然としていると言ったところで、とはいえ歪でおかしな映画であることは間違いないのだ。



数ある面白シーンの中でも最高なのが、何車両か進んだ先に待ち受けている武装集団との凄惨な戦いだ。扉を開くと、覆面をした屈強な男たちの集団。彼らは不敵な笑みを浮かべた後、大きな魚を取り出してその腹を切り裂く。お前ら、こうなるぜ。鈍い刃物を主にした痛々しい殺し合いが開始される。
ここがなぜ最高か。あまりに強力な敵に対し、どんどん押し返される革命志士。絶体絶命のピンチ・・・ということろで、彼らは反撃に出る。後方車両から運ばれた火を武器に、たいまつで反撃に出るのだ。少年が火を運ぶ姿が、とにかくカッコいい。あれは聖火ランナーだ。
ここは、カッコいいから素晴らしいだけではない。実はこの映画は、「火を運ぶ」というのがとても重要な要素なのだ。後方車両に住む者たちは、前方に比べてくすんだ色の服で厚着をしている。彼らは、火の恩恵に与れていない。つまり、文明がないのだ。神のごとくあがめられるエンジンのある先頭車両を目指すカーティスは、神から火を盗み人に与えたプロメテウスであろうか。そもそもこの列車自体、命の灯を絶やさないために、エンジンという火を運ぶ乗り物である。そしてナムグンもまた、彼なりの火を持っていた。やはりこれは、火を運ぶ物語なのだ。その結果、火は誰に託されたのか。どんな温度が待ち受けていたか。



ナムグンは白熊の話をする。bearには熊の他にもさまざま意味を持つが、その中には「運ぶ」ということもある。そのことからも、これが火を運ぶ物語であるというのは、間違いではないように思う。火とは、希望だ。絶望の淵から世界を進み、希望を勝ち取る。さまざまな比喩の用いられた寓話的な物語だが、中心にあるのは、のことであろう。初め、ポン・ジュノにしては凡作と書いたが、やはりそれでも十分に楽しめる作品で、そのヘンテコなバランスに、僕は心地よく乗車できた。次はどこで撮るのかわからないが、現代最高の作家のひとりであるポン・ジュノ。次回作にも期待である。

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