リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『海にかかる霧』を見た。

密航霧気分
2001年に実際に起こった「テチャン号」を元にした舞台の映画化。監督は『殺人の追憶』の脚本を務めたシム・ソンボで、本作が初監督作となる。脚本はシム・ソンボとポン・ジュノが共同で執筆。主演は『チェイサー』『哀しき獣』のキム・ユンソクに、元東方神起のパク・ユチョン。


不況にあえぐ漁村、麗水。カン船長(キム・ユンソク)は永年連れ添った廃船寸前の船を繰り出し5人の乗組員と共に漁へ繰り出すも、不漁続きの日々を送っていた。切羽詰まったカン船長は中国からの違法移民を運ぶ闇仕事を引き受けることを決意する。容易く思えた仕事であったが、予想外の出来事が彼らを襲う・・・

※ネタバレ



霧が立ち込めると思わず期待してしまう。世界を薄白く覆うその現象が画面に映し出されたとき、映画が、現実とは違う曖昧な世界へ連れて行ってくれるような予感がする。闇ほど濃くはない不透明さが、映画に何かしら運んでくる。そんな予感に心ときめき、期待してしまうのだと思う。



タイトルにもある通り、本作も当然霧が立ち込める作品である。その霧は、長年海と連れ添った船長にとっても予期せぬタイミングでやってくる。霧が立ち込めたとき、この映画もそれまでの現実とは違った領域を漂流することとなる。彼らが霧に導かれるのは、密航しようとする朝鮮族を不慮の事故で殺してしまってからである。魚艙の中に積まれた死体。霧が船を取り囲む。
映画が面白くなるのは事実、この事故が起こってからである。貧乏漁船。船を愛するがゆえ、時に暴力も厭わない船長。気弱な機関士。女に飢える乗組員。船員と朝鮮族の対立。間に入る若い一組の男女。こういったピースを散りばめる前半は、相変わらずの韓国俳優顔面力にしみったれた生活描写や暴力よってそれなりに楽しく見られ、また導入部として整理されているとも思うのだが特別フレッシュなわけではなく、韓国映画の中でそれほど際立っているわけではない。しかしこの事故が、それまでの空気感を一気に変える。集められたピースから想像される方向とはまるで違う方向へと、舵を切り始めるのだ。そしてその方向とは、ホラーである。



転換の引き金となるのは霧と死体である。霧の予感の後に死体が発見される。死体と共に霧が現れる。死体が切り刻まれる。狂気が醸成してゆく。死体が画面から居なくなる。残るのは霧と狂気と、死から引き上げられた死ぬべき女である。そして死が積み重ねられてゆく。ホラーとはいえ幽霊も怪物も直接的な形で本作に登場はしないし、そもそも怖がらせる映画ではないのだからホラーと言うには変則的かもしれない。だがしかし、この映画では死体によって、人間は本来持っていた性質に沿った怪物へと変貌さられせ、そこでは霧という現実を曖昧化させる装置が働いている。孤立した船、限られた登場人物、霧、死、欲望、狂気。こういったホラーの雰囲気が確かにここには存在しており、この舵取りに僕は大いに興奮したのである。もちろん最後は幽霊屋敷のごとく船が崩壊する。
ちなみに監督のシム・ソンボはポン・ジュノの『スノーピアサー』の脚本を担当しており、どちらも同じように狂気と暴力が渦巻く限定的な空間での寓話であると言えるように思うのだが、『スノーピアサー』は「運ぶ」ことを描いたアクションで、こちらは「停滞」を描いたホラーになっているのが面白い。



このように本作はホラーなのだと思えた僕としては「思わせぶり」なラストのシークエンスは別になくても良い展開であって、此岸としての浜辺で幕を閉じていても全く問題なかったであろうと思う。ただしこの感想に関しては、個人的に「本来の目的を放り出して女と仲良くなるキャラクター」が嫌いという事も関係していて、例えば『レ・ミゼラブル』で革命を放り出し女を取ったマリウスがそうであったように、女のために船の乗組員という役割を放置したキャラクターというのは狂人たちの中にあって「感情移入」とやらの対象として配置されたのだろうが、むしろ最も好ましくない人物にしか見えなかった。尤も、本作に関してはドンシクは密航を補助し死体遺棄に手を付けたうえドロップキックをかますためまだマシではあるが、本作のように逸脱した集団において、唯一社会的な善とか美徳とか希望などという形で恋愛が描かれているのは、はっきりいってつまらない。
なので本作において最も応援したくなるのは、船長を演じたキム・ユンソクである。船そのものであるとも言える彼は常に停滞した物事を進め、映画の推進力となってくれる。最後までこの船長が出ているシーンはテンションが落ちず、加速していく狂気の渦へきちんと引き込ませてくれるのだ。暴力の距離を一気に縮める殴打シーン(しかも散々殴った後海に落とす)も最高。また全く応援したくはならないが、恐るべき性欲をみせるイ・ヒュジョンのクズ人間っぷりも忘れ難いもがあった。これであと記憶に残るようなショットがあればさらに良かったのにと思うものの、それは次回作以降に期待することとし、とりあえずは第1回監督作品の舵取りを称賛したいと思う。