リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』を見た。

星条旗よ永遠なれ
キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』の続編にして、マーベル・シネマティック・ユニバース9作目。監督は日本ではほぼ無名のルッソ兄弟。新キャストには、アンソニー・マッキーフランク・グリロ。そしてロバート・レッドフォード


アベンジャーズでの戦いから2年。キャプテン・アメリカことスティーブ・ロジャース(クリス・エヴァンス)とブラック・ウィドウ(スカーレット・ヨハンソン)はS.H.I.E.L.Dの一員として、ニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)の下で活動を続けていた。しかしある日、キャプテンはフューリーからある計画について聞かされる。それは航空母艦ヘリキャリアで国民を監視することにより、安全を実現するという計画であった。キャプテンは計画に反対するが、ある日、フューリーが何物かに襲撃され命を落とす。キャプテンはS.H.I.E.L.Dの理事であるアレクサンダー・ピアース(ロバート・レッドフォード)に呼び出され、「事件について何か知らないか」と聞かれるが、死の間際にフューリーから「誰も信頼するな」と言われたことから、フューリーにより託された物について知らないふりをした。疑問を持たれたキャプテンはS.H.I.E.L.Dから狙われることとなり、さらに最強の兵士、ウィンターソルジャーまでもが突然、彼らの前に現れるのだが・・・

※若干のネタバレあり


冒頭、キャプテン・アメリカことスティーブ・ロジャースがナショナル・モールをランニングする姿によって、この男がいかなる男かということが説明される。この男は、超人である。そしてその走る姿の背後には、アメリカを象徴するような建築物が、この男の信念を表しているようそびえ立っているのだ。つまりこの男は、アメリカの信念を体現する、超人なのである。もちろんそれは周知のとおりであるが、この冒頭が指し示すのはそれだけではない。ここでは、本作はヒーロー映画であり、アメリカという国について語る映画でもある事が暗示されているといえるだろう。
確かに、それはキャプテン・アメリカにはうってつけの題材と言えるかもしれない。しかし親子で見にくる超大ヒットシリーズの続き物であるにも関わらず、こういったことをさらっとやってのけ、しかも見事に成功させてしまう手腕、企画力、懐の深さは、流石アメリカ映画というところ。



ではこの映画で描かれるアメリカの姿とは何か。それは、困惑である。現実にも起こっているような様々な問題をキャプテン・アメリカはぶつけられ、かつての理想と反する国の姿に苦悩することとなる。一体どうなってしまったのかという苦悩が、この映画で描かれる国の姿なのだ。
しかしそれでも自らの心にある正義に従い、キャプテン・アメリカは戦う。それは自由への戦いであり、つまりアメリカの精神ではないか。アメリカは、その成立の歴史からして自由への戦いを行ってきた。現代においてもこの精神に則り正義の活躍する男の姿というのは、やはりキャプテン・アメリカという存在だからこそ説得力をもって描けたのではないかと思う。重いテーマを扱いつつ、その上で、ヒーローもののカタルシスをしっかり描くのがいい。キャプテンは、どこまでも真っ直ぐなのだ。
そんな誠実な男、キャプテン・アメリカの周囲にいる人物が皆、国の負の側面を背負っているというのも面白い。ロバート・レッドフォード演じるアレクサンダー・ピアースをはじめ、ニック・フューリーやブラック・ウィドウもそうだが、一番興味深いのはやはり、ウィンターソルジャーである。キャプテンが、アメリカのパワーと正義を体現する存在だとすれば、ウィンターソルジャーもまた、同じくパワーと正義の存在である。ただし、キャプテンがアメリカの戦争史における光とするならば、ウィンターソルジャーは、戦争犯罪行為を自ら告発する「冬の兵士集会」からその名を引用されたように、戦争史における闇を体現する存在になっている。そんな彼はまた、新キャラクターで退役軍人のファルコンとも共通点が見られるし、ブラック・ウィドウとは同業でもある。
物語の終りに、こんなシーンがある。燃え盛るビルが画面右奥に見え、湖を隔て、左手前には戦闘の果て意識を失ったキャプテンが横たわっている。そんな彼に背を向け、ウィンターソルジャーはどこかへ去っていく。このビルがウォーターゲートビルを模したものだというのであれば、このシーンには物語があり、テーマでもあるといえるのではないか。例えば、『ミュンヘン』のラストシーンのように。



さて、こんな内容でありながら実はマーベルヒーローものの中でも実は一番、アクション映画しているというところが良い。ボーン・シリ―ズなどに代表される近距離格闘に、ガツガツぶつかり合うカーチェイス。『ヒート』のような真昼、高速道路から市街地での銃撃戦。爽快感のある飛行。また何より凄いのは盾を使ったアクションで、対人から対戦闘機まで、盾にこんな使い方があるのか!カッコいい!と、思わず声を上げてしまうほどのものである。
そうした盾アクションを支えるのが、キャプテン・アメリカは超人であり、普通の人間とパワーも速さも違うという設定だが、その設定の説得を最初のアクションシーンでてっとり早くやってしまう。しかもそれが、例えば体が衝突して壁が壊れるなどといった細かいところまでしっかり見せているため、より納得しやすいのである。そして最初にそれがあるからこそ、その後も違和感なく彼の活躍と、重みと速さを感じさせる数々のアクションシーンを、観客はすんなり受け入れることができるのだと思う。先に書いたランニングと併せ、一目でキャプテン・アメリカの強さがわかるこの見せ方。いやぁ、うまいなぁ。色々と小難しそうなことも書いたが、何よりアクションシーンが優れているからこそ、この映画は面白いのである。



ところで、最初のアクションシーンは海賊に乗っ取られた船が舞台だが、僕はどうしても、「メタルギア・ソリッド2」というゲームを思い出してしまった。舞台や、敵に見つからないよう殲滅しつつ進んでいくところ。それに音楽まで似ているのだが、実はそれだけでは終わらない。この映画全体が、MGSシリーズと似ている部分が多いと僕は思ったのである。
例えば、キャプテン・アメリカは国の危機を救う任務のため敵地に送り込まれる。しかしニック・フューリーから作戦の全貌は知らされておらず、任務の中で嘘は暴かれ、真相を知っていく。これは「メタルギア・ソリッド」におけるスネークと大佐の関係性とほぼ同じだ。またキャプテンは超人血清により力を得た人為的な超人だが、スネークも「恐るべき子供たち計画」によって人為的に作られた最強の兵士である。そしてウィンターソルジャーはといえば、それはやはり、グレイ・フォックスではないだろうか。
また今回敵として登場するシールドやヒドラは、だいたい「愛国者たち」を分割したような感じである。影で政府や国民など、国を統括しようとするヒドラは分かり易く「愛国者たち」だとして、シールドと「愛国者たち」が似ているというのは、シールド創立メンバーとキャプテンの関係が、スネーク(ビッグ・ボス)とMGS3に出てきたキャラクターの関係に似ていると感じたからである。だんだんこじつけ臭くなってきたような気もするが、どうもいろいろな点で、僕には似ていると感じられたのである。「もしやルッソ兄弟メタルギアファンなのか?」とも思ったが、これは両作品とも70年代アクションや政治サスペンスを目指していたという事なのだろう。



メタルギア的といえば、敵のハッタリ感も共通している。特に「6万メートルの男」は最高じゃないか。こういうハッタリが僕は好きだ。もしガッチガチにリアルなサスペンスをやろうとしたら、それは娯楽ではないかもしれない。だが、映画は娯楽だ。こういうハッタリや、所々のユーモア、それにスカーレット・ヨハンソンエミリー・ヴァンキャンプなどの美女が必要だし、例えばかつてのユニフォームを着るなどの(必然性があるのがまたいい)、燃える展開があるのもまた、素晴らしいのである。というわけで、『キャプテン・アメリカ ウィンターソルジャー』とても面白い映画だったと思います。素晴らしい。

最後にひとつ。これは未確認なんだけど、ランニングなど映画の中ではじめキャプテンは、左→右に動いていたはずはず。しかし、S.H.I.E.L.Dに追われ、本部を飛び出した時は右→左だったと思う。左→右が自然な動き、と聞いたことがあるが、他のシーンでは確認していないので何とも言えないところ。