リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『幕が上がる』を見た。

光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ
ももいろクローバーZ主演作品。監督は本広克行。脚本には『桐島、部活やめるってよ』で知られる喜安浩平。原作は劇作家・演出家の平田オリザ


先輩たちの代の終わり、演劇部最後の一年を迎えようとしていたさおり(百田夏菜子)は、同級生のユッコ(玉井詩織)、がるる(高城れに)、後輩の明美(佐々木彩夏)らとともに、地区大会予選突破を目指していた。しかし新入生歓迎のため行った講演は散々な結果で、さおりは壁にぶつかっていた。ある日、新任の美術教師である吉岡(黒木華)が、彼女たちに救いの手を差し伸べる。かつて高校演劇の女王という異名で呼ばれた彼女によって、さおりたちの演技はどんどん魅力的になっていった。さらに、強豪校から転校してきた中西(有安杏果)の入部も後押しとなり、夢の全国大会への道が開けたと思われたのだが・・・

うんざりさせられた。ひたすら動き回るカメラが、画面を無意味に振り回すからである。一体どういうつもりで、こんなにもカメラを横へ動かし、また登場人物の周りをぐるぐる回らせるというのか。当然のことだが、移動撮影を悪いというわけではない。むしろ、そういう撮影が効果を上げている映画もたくさんある。しかしこの映画においてそのことで文句を言うのは、カットを切るタイミングの悪さからである。この映画はいくら移動撮影をしてみようと、そのシーンが何かしらの機能を果たす前に次の画面へ切り替わってしまうため、映像的な快楽に全く繋がってこない。それどころか、むしろ不快感を強調させてしまっていると僕には感じられた。ももクロの輝きも、黒木華の演技も、この撮影と編集の前ではその魅力を完全に削がれている。もう少し落ち着いた画面にしていれば。カットを変えていなければ。そう考えると残念でならない。特に黒木華が演劇部の前で初めて演技を見せる場面などは、そこで起こっている出来事に全く説得力を持たせることができていなかったと思うどころか、映画として見せることを放棄しているとすら思った。
なぜそう思うかといえば、まず一つにはそのシーンをとにかく無駄に刻んでしまったがために、演技を見せなければいけない場面で演技を殺したこと。そしてもう一つは、台詞で説明してしまったという点である。
本作は百田夏菜子演じるさおりの独白が多く挿入される。問題なのはこの独白によって1から10まで全て説明してしまっている点で、それによって映画としての魅力を著しく低下させているということなのである。もちろんカメラワーク同様、これもまたナレーションを使っているからダメと言うわけではない。使い方によっては劇的に効果を上げることもあるが、本作は特に手法として工夫することもなく、ただ単に映画を台詞にゆだねてしまっている場合が多い。そして本作においてその最低の例が、黒木華演じる吉岡先生が演技をして見せるシーンなのである。この場面は映画全体を通して大きな意味を持つ場面であり、つまりこの場面が失敗している時点で、この映画は既に大成功することなどないと判断できてしまうくらいに、残念な結果となっているのだ。
映像面でうまくいったと思えるのは、美術室の奥に吉岡先生の居る部屋を設定し、机を窓に接するよう配置したことである。この場面設定に関しては、映画の画面として効果を上げているように感じられた。もう一つは、部員たちが個々の機能を果たし、合図によって連携し劇をスタートさせるという描写であって、機能の連携による美しい流れというのは、色々な映画で形は違えども登場し、それはどうも僕にとって、心惹かれる場面なのである。



物語については興味深い点もある。まずこの映画が、青春映画であるという部分について。青春映画のテーマの一つとして、「未だ何物でもない自分」という感覚があると思う。例えば高校生であれば、否応なしに進路の選択を迫られる。しかし、自分がどういう人物で、何に向って歩き出せばいいのかわからない。未来は無限に広がっているかもしれないが、その未来にどう向かっていけばいいのかわからないので、何処にも行けないという感覚である。青春映画とは、そんな不安を持ちつつも、最後には未来へ向かった自分なりの一歩を踏み出す物語であるとも言える。本作においてもそれは同様で、冒頭で確固たる意志を持っていなかったさおりは、吉岡先生との出会いや、大袈裟ではない日々、そして自分が演出した「銀河鉄道の夜」を通して、舞台という世界の中でどこまでも行ける切符を手に入れる。この点において、本作もやはり青春を描いた作品である。
次に、劇中出てくる宮沢賢治の詩、「告別」との関係性についてである。「告別」は吉岡先生がさおりに送る手紙の中に書き添えられたものとして出てくるが、この手紙は、懺悔であり、叱咤激励でもあり、そして「誘い」である。
吉岡先生は県大会を目前にさおりら演劇部員と突然別れを告げ、自らの諦めきれない夢であった演劇の世界へと戻った。吉岡先生はかつて演劇部に対し、将来の保証は何一つできないが、それでも高校3年の時間のすべてを費やし、高校演劇の世界で全国へ行こうと誘っている。おそらくその時彼女の頭には、一度は夢をあきらめた自分自身の人生のことも、無意識にか、頭にあったはずだ。
さおりは先生の指導の下、演出家としての力を身に着けてゆく。その過程において、吉岡先生の中にはっきりと湧き上がってく感情があったのだろう。演劇の世界に戻りたいという感情である。そして結局、吉岡先生はすべてを捨てて演劇へ戻った。故に彼女が全国大会へと誘うのは恐ろしい。単純に未来が不確定だからではない。彼女は、その世界に1度飛び込んでしまったら取り返しはつかないのだと自らで証明してしまった世界へと、「告別」を併せ2度も誘い込んでいるのだ。しかも、その世界の厳しさについても把握したうえで。
さおりも結局その不確かな世界に飛び込むことになる。そして吉岡先生のいない場所で、演劇部の部員たちは最高の輝きを(おそらく)見せることとなる。誘われた先の世界にあるその輝きは永遠ではなく、限られた時間の中で、舞台を上演しているときのみ許された輝きである。その先がどうなるかはわからない。しかし、今、私たちはその輝きの中へ飛び込みたいのだ。恐ろしさを超えてでもその世界に飛び出していくのだ。彼女たちの幕が、上がる。
ここで面白いのは、高校演劇という舞台とアイドルとをリンクさせているという点だ。アイドルも、多くの場合青春という時間を費やしながら、全く先の見えない世界に飛び込んでいくことによって存在している。そして重要なのが、アイドルは、自分の立つ舞台に応じて役柄を演じるという要素が間違いなく存在するということであり、それはつまり、演出を加える、または「物語」の中へ自分を組み込んでいくという事なのである。そしてアイドルは、自らの輝きを魅力的にみせようとするが、もちろんそこには無数の影と光の像があり、光を得たとしてもその輝きは永遠ではなく、いつまで続くかはわからない。全ては現在。今見えている世界の中で全力の輝きを掴もうとするのが、アイドルであろう。青春・演劇という設定に、アイドルをはめ込むという面白さ。そのすべてを、幕が上がるという瞬間に託したラスト。この点については、非常に興味深く見られた。



先に述べたカメラワークや独白は、後半に行くにつれ徐々に主張が弱くなり、テーマが浮かび上がると同時に、百田夏菜子の演技も見事になってゆく。結果としては、映画序盤で予想したよりもいい映画になっているとは確かに思った。しかしである、やはり最後まで肩を落とさせる場面をしっかり用意してあるのが本広監督の油断ならないところで、しかもそれが、ももクロの映画であるが故の場面であるというのが余計に哀しい。
なにより酷いのが、ももクロ主演という事で映画のバランスを壊してまで挿入されたカメオ出演の方々である。振付師のゆみ先生や演出家佐々木敦規であれば分かる人には分かるくらいで済むが、有名芸能人の方々についてはいくら関係性があろうと無駄でしかない。全く持って面白くないギャグは随所に挿入されているが、その中でも特に、最後の最後にとっておきのネタ持ってきましたと笑顔でプレゼントされた品に関しては、渡す側だけが自分のセンスにウケている最低の品である。
悪行はそれだけでは終わらず、エンドクレジットで流れる「走れ!」を、まさかの一番いいところでカットしてしまった件についても最悪の暴挙としか言いようがない。これに関しては一体何を考えていたのかさっぱりわからない。もしもこのシーンが素晴らしく決まっていればそれだけでもある程度の価値が出てくるのは間違いないし、ももクロにとってTIF2010級の「走れ!」になっていたっておかしくなかった。しかしそれはすべて夢に終わった。ももクロ主演ということで無駄な部分だけ強調され、その強みをほとんど活かしきれていないのだ。
ももクロ主演という事を意識して見た場合にかろうじてうまくいってると思えるのは、『幕が上がる』という物語にアイドルという文化だけでなく、ももクロの実際のエピソード、早見あかり脱退や杏果とメンバーの壁などを重ねて見ることができることで、その点に関してはそれなりに成功したとはいえる。だがこれに関しても、実際のエピソードを重ねたところで、ここで描かれた物語は2012年の紅白歌合戦で見せた物語と感動に遠く及ばないのである。



ももクロ主演で真面目な青春映画と聞いたときに不安がよぎったのは、ももクロのメンバーとその題材はイマイチ合致していないのではないかと思ったからである。例えば、ミュージカルなんかどうだろう。この題材で主演に据えていれば、おそらくは大駄作か奇跡的な傑作のどちらかに振れるような気がして非常に面白そうなのだけれど、いくら色んな無茶をやるももクロとはいえそういう冒険は流石に映画ではしなかったし、メンバーの今後を考えれば、本作の存在は猛烈に妥当なところではあるが、主に演出面によって中途半端な面白さの映画に留まってしまったことを、僕は非常に残念に思うのである。
ただし、本作に異性を登場させず同性の世界にしたこと、そしてふんわりと百合描写を入れたこと、そしてその百合描写が、「夏菜子総受け」だったことに関しては、褒めざるを得ないところではあった。あとはパンフレットが高額ではあるものの非常に充実しているのでファンにはお勧め。

幕が上がる (講談社文庫)

幕が上がる (講談社文庫)