リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

最近見た新作の感想その6

『ノア 約束の舟』ダーレン・アロノフスキー監督としては、「神からのお告げに憑りつかれておかしくなっちゃった人」というのを描きたかったのだろうなと思うし、面白いのもその部分ぐらいだった。基本的にビジュアルは凡庸であり、アクションシーンの見せ方も動物大移動も、まるで面白味がない。良かった点といえば、ノアが見る悪夢であるとか人間の野蛮な行動であったり、陸に取り残された人間たちの悲鳴が舟にこだまする場面。それに、神からのお告げによってノアの人間性がおかしくなっいく展開くらいで、つまりいつものダーレン・アロノフスキーと変わらない部分だけは楽しめる映画だったと思う。
特にその面白さが際立つのは舟が大海原を漂うあたりである。ここで映画のトーンは急激に変化し、閉じ込められた世界においてラッセル・クロウは人類の終末に向けオーバーヒートしだす。その様子にノアの一家は徐々に恐怖を感じるのだが、この狂気じみた二人の親(神とノア)への追従と反発は、『ブラック・スワン』で見た母子の関係と似ており、その解放がセックスだというのも同じである。
セックスは本作において非常に重要なテーマである。人類の存亡について語るのであれば避けては通れない問題なのだろうが、本作におけるセックス描写はどこか笑いを伴うようなものばかりだらけだ。例えば、ノアの息子・ハムは世界の危機が迫っているというのに「なんで周りの奴らは女とイチャイチャしてんのに俺には相手がいねーんだ!」と、童貞をこじらせたような発言をかます始末。しかしそれ以上にビックリな行動をとるのが、ノアの長男・セムとその恋人であるイラ(エマ・ワトソン)である。洪水がやってくるその日、ハムはこじらせすぎてついに家族の下から逃げ出してしまう。イラはハムを連れ戻すため森へ入るのだが、そこでノアの父親であるメトシェラ(アンソニー・ホプキンス)と出会う。挨拶もほどほどにメトシェラは不妊症を患うイラの腹へおもむろに手を当てると、不思議な力を込めた。するとイラは突如として走りだし、セムを見つけ出し出会い頭に強烈なキスをブチかますのであった。そんなこんなで一戦交えた彼らはすっかりハムのことなど忘れて、ノアの下へ戻ってくるのである。そりゃあ、ハムが童貞こじらせてしまうのも無理はない。
全ての作品を追っているわけではないが、いくつかのダーレン・アロノフスキー監督作においてセックスは重要なポイントとなっている気がする。『ブラック・スワン』はもちろんのこと、『レスラー』でもセックスのせいで結局ランディは家庭を取り戻すことができなかったし、『レクイエム・フォー・ドリーム』の地獄も忘れ難い。そしてこれらの作品も内容が重いためにどうも見過ごしがちだが、よくよく考えれば馬鹿馬鹿しさすれすれなセックスばかりではないか。
セックスの話ばかりしているのもどうかと思うので、聖書と現代的観点のバランスについて少し書いてみる。進化論を採用していることや、トバルカインのグレーな扱い方からも、この映画が単に啓蒙のための作品ではないとわかるし、色々腐心したのだろうとは分かる。おそらく本作が伝えているのは、人生の選択についての問題だと思う。人間は誰しも迷い、時として誘惑に負けるが、その後に、どう生きるかが問題なのだというのが本作のメッセージなのではないか。ノアの家系が受け継ぐ蛇の抜け殻は、その比喩であろう。
今はそんな分かった風のことも言えるが、実のところこの映画を見た直後は「これはどう受け取ればいいのだろう」と少し混乱していた。それは先ほど書いたような、聖書とも現代的感覚とも言えないおかしなバランスによってできた作品だと感じられたからだ。ただ一番困るのは、それがわかったところで特に斬新さがあるわけではなく、やはり面白くないところである。聖書を題材にするなら無理にそんな視点は持ち込まないで、見る側を圧倒させるようなビジュアルに特化させしまった方が面白くなるのではないだろうか。新しい観点というのは、映像として体験させる中でおのずと発見されるのではないかと、僕はこの映画を見ながら思った。



『300 帝国の進撃』思い返せば、『300』は凄かった。時代も価値観もまるで違うスパルタ人たちのとても共感できないような世界を描きつつ、ラストにはしっかり観客に涙を流させるのである。この不思議な体験こそ映画を見る面白さであると、『300』は分かっていたのだ。
その続編であるのが本作だが、結論から言うと前作ほどの面白さはなかった。アクションは相変わらずの見せ方だし、残酷度もレベルダウンしていない。また船上なのに馬を登場させしかもそれを長回しで追っていくシーンなどは、確かに興奮する。しかし、前作ほどの驚きはないのだ。
その理由が監督の力量なのか、それとも見る側の慣れの問題なのかを断定することはできない。ただ一つ、キャラクターの弱さははっきり指摘できるだろう。前作はやはりスパルタ人達の圧倒的存在感が素晴らしかった。敵を人と思わない潔さも映画としては問題なかったのだが、本作はそこが薄まってしまった。特に主役の存在感のなさが哀しい。
だがしかし、本作はある一点において素晴らしいと言わざるを得ない。それは、エヴァ・グリーンの存在である。冷酷にして聡明かつ体術に長け、更にエロい敵の女司令官とくればそれはもう、ロイヤルストレートフラッシュではないか。とにかくこの人が画面に出ていればそれだけでいいと思えるほどにいい。こんなキャラクターがいたらいいなーという妄想そのもののような姿である。
とはいえ欲を言えばきりはなく、「エヴァ・グリーン様にはこうしてほしかったリスト」を書いてみたらそれはおそらくフェチ系のアダルトビデオか何かになってしまうのでやめておくが、とにかくエヴァ・グリーンという女性の素晴らしさについて、改めて気づかされる一本であった。