リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『百円の恋』を見た。

百円を笑う者、百円に泣く。
松田優作賞と名付けられた脚本賞で第一回グランプリを受賞した作品が待望の映画化。主演は安藤サクラ新井浩文。監督は武正晴


実家にてひきこもり生活を送っている一子(安藤サクラ)はある日、離婚して実家へ戻ってきた妹の二三子(早織)と口論になり、仕方なく初めて家から出て一人暮らしを始めることとなった。普段より通っていた百円ショップの夜勤でなんとか生活を始めてみた一子は、あるとき帰り道にあるボクシングジムで練習する男・狩野(新井浩文)のことが気になりはじめていた。後に狩野は百円ショップへ客として頻繁に訪れてることも分かり、二人の距離は縮まっていくのだが・・・

たるんだ尻と、油断などという表現では済まされない腹、汚らしい部屋。32歳になっても実家に寄生する一子の人生は言葉で語られることはないが、画面の端々からその理由は画面から漂ってくる。実家での弛みきった生活を捨てた後も、例えば彼女が狩野に作ってあげる料理における色の無さなんかは、あれだけ見れば、一子の実家が弁当屋であるとは想像できず、それからもどういう人生を送っていたのか想像できる。
彼女の様子を一言でいうならば「負け犬」、という事になるのだろうが、負け様は人によって様々なのであって、一子の人生は敗北の人生と言うより、ろくに勝負をしてこないまま惨めさだけが積もった人生だったのかもしれないと、家庭での内弁慶ぶりからも、そう思わされる。
彼女の周囲にいる人間も、順風満帆とは言い難い人生を送っている。妹は離婚しシングルマザーとなり、異常に影の薄い父親は、母と妹の会話からもメンタルの問題を抱えているのではないかと思わせる。一子が出会い恋のような気持ちを抱く狩野についても多くは語られないが、特に女性関係での問題点は台詞だけでなくショットでも強調されている。そんな狩野が作った、料理と言うにはあまりに乱暴な肉を差し出され、感情が決壊したかのように言葉もなく一子が泣き出す場面は、本作の中でも特に「痛み」が描かれた、忘れ難い場面だった。



一子がボクシングを始める理由についても多くは語られないが、彼女がボクシングに魅せられた理由の一つには、殴りあった者同士が肩を抱くという行為に興味を引かれたからということがある。一子は、自らの肉体を酷使し傷つけるボクシングで戦い抜くことによって、自分自身の肩ですら抱かれることができると思ったのかもしれない。しかしその後、彼女の中で生まれたいくつかの淡い思いはなすがまま裏切られ辱められ、見ぬふりしてきた人生の痛みと向き合うこととなる。
そうして彼女は、そんな現実に対して何もできない自分を叩きのめすために、ボクシングを始める。ここで彼女がボクシングをするのは、怒りからである。「憎まないと殴れない」という言葉の通り、自分自身を憎み、怒ったからである。一子は走りだし、映画自体もまた走りだす。そして安藤サクラは、まさに「体現」としか言いようのない演技をスクリーンに刻み込む。はじめ画面に登場した時と比べ体型も、顔つきすらも変わってゆく。安藤サクラの変貌する肉体こそ、この映画最大の魅力であるのは間違いない。『百円の恋』というタイトルになってはいるが、恋は実のところそんなに重要とは思えず、すべては彼女がボクシングへ向かい肉体を変貌させるための起爆剤となっていたように思う。



しかしいくら変貌を遂げようと簡単に勝利が掴めるほど甘くはない。彼女は初めてのリングで殴られ殴られ殴られ殴られ殴られ殴られ、反撃をすることも叶わずさらに殴られ続けるが、それは現実の人生がそのようであったからだ。戦っているというよりは一方的にただ殴られ続け、できることと言えばガチガチに身を守りつつかろうじて立っているだけのその姿は、映画を通して見てきた一子の人生そのものと重なる。入場曲がバイト先で流れている気の抜けた曲なのも、殴り合いの場であるリングが彼女の人生と直接繋がっているからだろう。1ラウンド目も2ラウンド目も、リングの上ではなすがまま、何もできずに終わってしまう。
だが、それで終わっていいのだろうか。いや、それはできない。なにもかもから投げ捨てられた人生に対し、一発食らわせてやらなければ終われない。いつ倒れてもおかしくない状態の中で、一子は反撃の一手にすべてをかける。その時を待って、ついに繰り出した一撃は結局、圧倒的な経験差によって返されてしまいはするものの、一子の怒りと積み重た力は、確かな一撃として届いた。



試合の中でフラッシュバックを入れてしまうことには若干あざとさを感じるし(他にはカメラの寄り方など、全体に演出としてはあざとい部分も多い)、またコンビニでのエピソードはかなり違和感があり、完全無欠な作品とは到底言えないと思う。言えないと思うのだが、しかしやはり安藤サクラを筆頭として、何か力の漲った作品であるためにどうしてもこの作品に惹かれてしまう。実際、一子がリングに上がるシーンからはそれまでの不満もとりあえず頭の片隅に置かれ、試合が結末を迎えるまで、僕はずっと涙目でスクリーンを眺めていた。そして自分自身から目をそむけ、感情をうまく言葉にすることすらできなかった一子が試合の後に「勝ちたかった」と自らの弱さを絞り出し吐露する姿には、どうしたって溜めていた涙が零れ落ちてしまう。


痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い 
でも
居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい

『百円の恋』は華々しい敗者復活戦を描いたような作品ではない。人生を戦いそびれた人間が、かろうじて人生に対し前を向いて戦う兆しを見せる程度の話でしかないのだ。しかしだからこそ、自分の価値を信じられない人間にとって一子の一撃は響くのであって、もしその人生が今は百円程度の価値しかないととしても、戦いから逃げるなと、この作品は喝を入れてくれるのである。

百八円の恋(初回限定盤)(DVD付)

百八円の恋(初回限定盤)(DVD付)