リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『イミテーション・ゲーム / エニグマと天才数学者の秘密 』を見た。

あなたを模倣する機械
エニグマ アラン・チューリング伝」という本をもとにグレアム・ムーアが脚色し、第87回アカデミー賞において脚色賞を受賞。また作品賞、監督賞、編集賞、主演男優賞、助演女優賞など8部門でノミネートされた作品。ベネディクト・カンバーバッチアラン・チューリングを演じ、キーラ・ナイトレイマーク・ストロングマシュー・グード等が出演。監督はノルウェー出身のモルティン・ティルドゥム。


1939年。ドイツと開戦することになったイギリス。ケンブリッジ大学の特別研究員であったアラン・チューリング(ベネディクト・カンバーバッチ)は、政府の最高機密計画による暗号機エニグマの解読に挑むこととなった。エニグマの設定は10人が24時間働き続けても2000万年かかると言われるほど膨大であり、アランをはじめとして集められたチームもなかなか成果を出せずにいた。またアランは他人と打ち解けようとせず周囲を無視し、多くの障害を生んでしまっていた。そんな中、新しいメンバーとしてジョーン・クラーク(キーラ・ナイトレイ)が入ってきたことにより状況は変わり始め・・・

※ネタバレ


アラン・チューリングはドイツが誇る暗号機・エニグマの解読を命じられるが、彼が真に解読しなければならなかったものは他にある。というのも、彼は命令が下されたその初めから一人黙々とマシンの制作を続けており、つまり解読に何が必要なのかは、迷うこともなく既に分かっていたということである。では彼に必要だったものは何かといえば、一人でやっていた作業の中身と意味を理解しその手助けをしてくれる存在なのだが、そのためにアランが解読しなければならなかったのが人間同士のコミュニケーションという難題なのである。人間という生き物は他者とコミュニケーションを図ろうとするが、その解読を容易とは言い難い。例えばギャグなどおおよそ無意味とも思えることを人はコミュニケーションとして口にするが実際のところこれは不可解ではないか。またある言葉を発していてもその言葉が意味する通りでないことを秘かに隠したり、あるいは伝わる人にしか伝わらない方法でメッセージや意図を会話の中に落とし込んだりもする。表情や声色によって言葉のニュアンスを微妙に変ええることもあるだろう。アランにとってはこれらのことこそ謎であり、何よりもその解明を行わなければならなかったのだ。彼は、例えばギャグや気遣いなどを、他の人がしていたように模倣することから始める。
アランのような天才や変人でなくとも、コミュニケーションの問題は多くの人が感じるところであると思う。例えば、自分の言ったことが間違ったニュアンスで伝わってしまうとか、もしくは相手の意図をくみ取れないとかである。自分の発言が理由もわからず笑われてしまった経験などはないだろうか。本作においてまず第1のテーマはこの日常的に行われる不可解な暗号ゲームについてであって、これは何も、特殊な状況の特殊な人間に限った話ではない。



幾多の試行錯誤の上エニグマはついにアランたちのチームによって解読される。それは直接的には機械の作動によってなされたものであるが、それだけではない。アランがエニグマの秘密に気付くのは、彼が努力の末に信頼を獲得したチームメイトの内一人が、ある女性にアプローチをかける場面においてである。この場面の見事なこと。
チームメイトと相手の女性はそれぞれ別のテーブルに座りながら、お互いに相手の行動を予測し、出方を探りながらアプローチを開始する。幾らか経つと彼らは互いに距離を縮め、本心を隠した言葉によるコミュニケーションによって心を通わせようとするのだ。そして女の方は冗談っぽく「姿も知らぬ人への恋」を語るのだが、ここでアランがエニグマの秘密に気づく。つまりここでアランは、模倣によって身に着けたコミュニケーションを通して手に入れた仲間と、その仲間が1人の女と交わした記号的な恋愛ゲームの果てに発せられた恋に関する冗談めいた言葉をヒントとして、エニグマを解読したのだ。このシーンには本作の「解明」に関するプロセスが詰まっていると言えるのではないか。



しかし事態はさらに複雑であった。エニグマは解読されたが、問題はその後だったのだ。このことを公表すれば、ドイツは暗号の方法を変えてくるだろう。それゆえ誰にも知られることができないし、敵に気付かれてもいけないために、相手の作戦を知りながらもそのすべてを阻止することはできず、彼らはいくつもの過ぎゆく死を、例え家族がその死線にいたとしてもただ眺めることしかできない。また途中で明らかになるソ連のスパイにしてもそうだ。アランは正体を知りつつも告発できないし、MI6も正体を知りつつ泳がせていたという事が判明する。このように、本作は解明されつつも謎にしなければならないことが多く登場し、そしてその中で最も重要なのは、アラン・チューリングが同性愛者だったことである。同性愛を犯罪とする当時の社会的状況がもたらした悲劇。「クリストファー」と名付けられた機械。いくつもの「解明」と「謎」が織り交ざりながら、それらが全てアラン・チューリングの孤独に寄り添うことで盛り上がりを見せる。本作があくまでも人間に寄り添った映画であるというのは、実際のところ非常に難しい理論などがありそうなのに、そういった言葉がほとんど出てこないことからも分かるだろう。



作品内でも登場したチューリング・テストは「模倣ゲーム」と呼ばれるテストが原型だという。性別をだまし模倣する。人間をだまし模倣する。記号を身に着け模倣するゲーム。しかしそれでも模倣され得なかったチューリングを我々に差し出す脚本は確かに見事であると思わせられる。
しかし、脚本が優れていれば即ち優れた映画かと問われると実はそれは微妙で、残念なことに本作に対して映像面での良さを僕は感じられず、映像を楽しむという映画において最も重要な部分で物足りなさがあるために僕はこの作品を手放しで褒めることができない。例えばアランがランニングをする場面についても、檻としての肉体にしては少し描写が足りないし、チームの連携が仕事や行動によって示されることもなく、すべて言葉が起点となっていることについても不満が残る。唯一、映像によって説得力を持ち得たのが俳優の魅力であって、とりわけベネディクト・カンバーバッチはその独特な風貌に天才の隔絶した雰囲気を漂わせていて、まさに人間こそエニグマに勝る最大の謎であるとその存在で証明しており、この点については映像面での貢献だと思う。また物語の好みとしても、アラン・チューリングの功績を決して甘くはならない物語の中で讃え、そして抑圧と差別に対して力強い眼差しで戦った本作より、例えば『ソーシャル・ネットワーク』のように決して寄り添わない特殊な距離から事態を収めて見せる画面にこそ感動し、そしてより登場人物に惹かれてしまうのだが、そういう地点を目指した作品ではないし、これはこれで良質な作品であるとも思うので、これ以上はない物ねだりという事であろう。

エニグマ アラン・チューリング伝 上

エニグマ アラン・チューリング伝 上