リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『ストロボ・エッジ』を見た。

「今、同じこと思った」
咲坂伊緒による同名漫画の実写映画化。有村架純福士蒼汰が主演を務め、その他、山田裕貴佐藤ありさ黒島結菜らが出演している。監督は廣木隆一

高校1年生の木下仁菜子(有村架純)は、電車の中で偶然出会った同級生の一之瀬連(福士蒼汰)に恋をした。一之瀬には中学の時から付き合っている、年上でモデルの彼女がいて、彼女を差し置いて自分が一之瀬の一番になることはないとわかっていたものの、ただ思いを伝えたかったのだと言って告白した。そのことから、徐々に一之瀬の心に変化を生じさせ・・・

有村架純演じる木下仁菜子が意中の人を「覗き見る」場面から本作は始まるが、それ以降も常に「視線」の動きは本作において重要な役割を果たし、その「視線」の交錯がドラマを作っている。学校や教室というのは様々な人物の無数の視線が交錯する場であり、常に誰かが誰かを見ている。そしてまたその誰かを誰かが見ている。視線は交錯し、思いはすれ違う。これが本作における映像が生み出すドラマである。
ではこの映画においてすれ違いではない恋とはどのようなものか。木下と一之瀬が紆余曲折の後距離を縮め、ふと木下が発した言葉に一之瀬が反応し、何も言わず目線だけを彼女の方に送るシーンがある。この時彼は、言葉にこそしないが、こう感じていたはずなのである。「今、同じこと思った」と。この「今、同じこと思った」が、本作における恋愛である。これは別れる人たちが、好きという気持ちはあっても違うことを思っているために別れていることからもそう言える。また最後の最後に木下と一之瀬が駅のホームで交わす会話でも彼らは「同じことを思っている」し、電車を追いかける・電車から降りるという行為にもそれは表れている。電車は物語の序盤・中盤・終盤でそれぞれ登場するが、どちらかが自分の気持ちを押し出すのでも譲るのでもない、「同じことを思って」行動する最後になって、彼らはすれ違いの末、結ばれるのである。



このように電車という乗り物をうまく活用していることもそうだが、本作はロケーションがいい。まずは主な舞台となる学校についてであるが、独特な形状と吹き抜けを持ったあの構造は視線の交錯という点から見てもまさにうってつけの校舎であると思う。木下らが2年生に進学した際に、掲示された自分のクラスを確かめそのまま教室まで階段を上り、渡り廊下を歩いて移動する様子をクレーンによる長回しで見せるシーンは印象的だ。
長回しや移動撮影は要所要所で効果的に挿入されており、時にそれはロケーションと相まって抜群にいいと思えるシーンもあった。それが最も顕著なのは、花火を背に、とぼとぼと歩く木下を捉えたシーンである。ただしこのシーンについては、もったいないと感じることもある。本作では、結果となるシーンをまず見せ、一旦そのシーンに至るまでの過程に戻ってから先のシーンへ戻るという手法を何度かとるが、この花火のシーンについてもそのような処理がなされていた。花火を背にした木下を見せておきながら一旦シーンは戻り、その後で長回しになるのだ。これが非常にもったいない。もしここでカットを割らずに木下の姿をずっと追っていたとしたらどんなに素晴らしかっただろうと思うと残念でならないのである。ただそれくらいに花火のシーンはよくて、うっかり、相米、という言葉が頭をよぎるくらいである。「視線」にしてもこの長回しや移動撮影にしても、こういった部分が丁寧だなと思えればいくら物語が興味が持てなかろうと、面白い作品だなと思うことはできるのである。



「物語に興味がなかろうと」。まあ実のところ、本作の物語や登場人物たちの心の動きには、僕は全く興味が持てなかった。というより、この映画の中で展開している若者たちのあれやこれは、もはや自分の死後の世界での出来事であるかのように映ったのである。そのことは開始数秒で察知でき、すぐにそういうものだと自分を納得させたのでそれが理由で作品の評価が下がるようなことはなかった。なかったのだが、しかしどうだ。研修旅行先で偶然二人きりになってしまい、しかも成り行きでぶかぶかな自分のパーカーに身を通すこととなる意中の子や、花火大会で浴衣デート、学祭を抜け出して駅のホームで抱きあう二人なんていうのは、これはもう、1万回くらい妄想したもののついぞ叶うことはなくなってしまったあの夢たちではないか。だがその夢というのは、在学中はむしろ「自分には絶対に手に入らない」と憎悪の対象でしかなかったし、だいぶ心持も落ち着いた現在においては心を無にさせてしまう呪いとなっていたのだと、本作を見て気付いてしまったのである。だから興味が持てなかったというのはもしかしたら間違いで、興味はあるし理解はできても、どう消化したらよいのかがわからなかったのかもしれない。現に僕はこの映画の、映像面のドラマについて個人的な考えを話すことはできても、物語については、一体どう語ったら良いのか、さっぱりわからないのだ。



ただし、そのおかげで映像によるドラマの進行に注目できたというのは怪我の功名と言うべきなのだろうか。もうなんだかよくわからないのだけれど、とにかく本作には「イイ」と自信を持って言える部分があったのは間違いないことだし、いくら不可解な気持を抱こうと全体としてこの映画が好きなことにも変わりはない。それになんといっても本作の有村架純はとにかく魅力的に撮られており、それだけでもう、GReeeeNの曲がかかる場面のどうしようもなさを吹き飛ばし、十分に満足させてくれるのである。