リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

最近見た新作の感想その15

『バケモノの子』細田守作品といえば青空と雲を思い出さずにはいられない。『時をかける少女』では未来への視線の先にそれがあり、『サマーウォーズ』や『おおかみこどもの雨と雪』では別れの場面において印象的に配置されており、また『ぼくらのウォーゲーム』では男女がすれ違うシーンの背後に飛行機雲が流れていた。いずれも設定から状況までまるで違う作品だが、これらのシーンにおいて青空と雲は、繋がりという役割を持っているのではないかと僕は思う。例えば『時をかける少女』の空は冒頭とラストで違う顔を見せており、ヒロインである真琴は、別れを経験した後に空を見上げ、そこで自分と未来がつながっていることを理解する。また『おおかみこどもの雨と雪』でも、雨が自分の生き方を選択し親である花がそれを目撃したときに空は晴れ、雲が見える。そして『バケモノの子』では、熊鉄が九太に対しある行動をとる場面において雲は青空の下堂々とそびえている。僕ははじめ、雲というのは「自らの進む道を選択した人の風景」であり、「選択」は細田守作品の一つのキーワードだと思っていた。しかし、細田守作品における選択とは常に別れと切り離せないものであり、だからこそ雲と青空というのは、選択の果ての別れと、別れても繋がっている未来の希望が込められているのではないかと思うのだ。
細田守作品には他にもいくつかの特徴があって、例えば反復と時間経過というものがある。どうも同じような画面を繰り返すことで時間や心境の変化を伝える手法が好きなようで、本作ではときにカメラをパンしつつ見せるが、こういったシーンにおいて変化する対象とカメラの間には適切な距離が置かれている。これはおそらく、見守るという姿勢の表れだろう。本作にもやはりそういったシーンはある。
そういう部分を考えつつ見るのは面白い。しかし肝心の本編に関して面白いのかと問われると、残念ながら細田守が監督した長編作品の中では一番つまらなかったというのが正直なところだ。前半は良い。卵かけご飯を食べるエピソードや九太が熊鉄の足跡を追い動きを習得するシーン、また渋天街の、モロッコ辺りをイメージしたかと思われるようなデザインなど、映像的な快楽は基本的に前半に集中していたと思う。
だが後半が問題だ。「白鯨」を引用する展開は別にいいのだけれど、何よりヒロインたる楓の存在がどうしてもノイズになる。まず一つに彼女は喋りすぎであって、この喋りすぎという問題は他のキャラクターにも言えることでもあるのだが、特に終盤、渋谷でのクラマックスにおいて彼女が発する台詞にそれは顕著だ。また九太を「引き込もうとする」行動や言動を不気味に感じる部分も多く、「心の闇」というものを扱っている本作において、楓というキャラクターこそこの心の闇が深いと感じてしまうほどなのだ。ただこういった不満点よりも僕が残念に思ったのは、マジックが不在なことである。それは『おおかみこどもの雨と雪』であれば教室横移動であるとか、もしくはカーテンのなびく夜の教室という極めつけの場面のことであり、あれらのシーンには映像のマジックがあった。となると当然、本作にもそういったマジックを求めてしまいたくなるものである。しかしそういったシーンはついに訪れず、『時をかける少女』のような、走ることによってクライマックスのエモーションが高められることもなかったのだ。とにかく、冒険活劇というには後半の現代パートで語られ、起こる出来事がもたついている印象なのである。もちろん後半においてもシーンごとで見ればいいシーンはあるのだが、映像的な快感という点は弱く、結果長編作品では『サマーウォーズ』を超えて僕にとって一番面白くないと感じる作品であった。ちなみに前作『おおかみ男の雨と雪』の感想では「次回作では中年を描くのではないか」と書いていたのだけれど、本作の熊鉄を見ると僕の予想も当たらずとも遠からずという結果だったことには、少しだけ満足している。



『ターミーネーター:新機動/ジェニシス』散々テレビ放送で見た『1』と『2』は、おそらく単に面白いという以上にエポックメイキングな作品だったのであろうと思うのだが、それに比べると確かに『3』『4』は分が悪い作品なのかもしれない。しかし『3』はカーチェイスとかトイレで殴り合うマッチョおじさんと美女という画面が面白いし、捻った物語もかなり魅力的で、正直『2』には飽きた身からすると『1』の次に好きなくらいだ。『4』はあまり感心しない作品ではあったけど、与えられた条件の中ではうまくやったほうなのかもしれないとは思っているし、ビジュアル面では良い部分も多かった。と、シリーズに対してざっくりと前置きをしたところでこの5作目なのだが、文句なしぶっちぎりでシリーズワーストのつまらなさであった。過去作ではあまり触れられてこなかったタイムトラベルに目をつけたことや、それに伴う、過去作を自己批評するかのような設定。そしてサービスとばかりに色々な要素を盛り込んだ前半については、多少面白いと思えないこともなかった。しかしその面白さが続くのはせいぜい2,30分が限界で、その後の物語はどこかでみたSF映画の中の凡庸さだけを寄せ集めたかのようで面白くないし、アクションシーンにしても、シリーズとしては初の表現かもしれないが既に他の作品で見たような見せ場だらけのため退屈で、シュワルツェネッガーが不器用に笑う度僕は脱力せざるを得なかったのである。唯一まともに見られるものがあるとすればそれはエミリア・クラーク演じるサラ・コラーが思いのほか似合っていたということくらいであって、それ以外は本当に、全く持って、只のひとつも魅力を感じなかった。こんな中途半端な形で再起動させるくらいであればいっそ二度と新作が作れないくらいに完璧な完結編をこそ作るべきだったのである。