リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『この世界の片隅に』を見た。

わたしが一番きれいだったとき

2007年から2009年にかけて連載されていた、こうの史代による同名漫画を原作とした作品。声の出演にはのん、細谷佳正、尾野美詞、藩めぐみ、新谷真弓小野大輔ら。監督は片渕須直


昭和19年、広島の江波に住む18歳のすず(のん)に、突如縁談が持ち上がる。相手は呉に住む海軍勤務の北條周作(細谷佳正)という人で、すずは周囲の言うまま、呉へと嫁ぐこととなった。戦争により物資の不足していく中、北條家で明るく暮らすすず。しかし、戦況は次第に悪化してゆき・・・


※ネタバレ


他愛もない日常が、ゆったりと描写されてゆく。冒頭、海苔を届けに行くというすずが、潮の引いてカブトガニの打ち上げられた海を渡る兄妹が、広くとらえられた広島の風景の中で生きている。この広島の風景が、現実にそうだったのかはわからない。仮にそうだと言われても、現実通りに再現したというただそれだけでは素晴らしいとは思わない。そんな風景の中、例えばすずが、荷物の入った籠を壁に押しつけつつ背負い直すという、ほんの些細な動きの描写があるおかげで、画面は生き生きとし、緻密に描かれた風景は本当にそこにあって、そしてそこでは人々が生きているのだと信じられるのだ。だから本作の風景描写は素晴らしく、街並みの些細な描写から、軍港としての呉をロングショットでとらえる画面から、確かな風土が浮かび上がっている。



すずの生活は、いかにも普通だ。絵を描き、裁縫や料理などの家事を日常生活の中でゆったり淡々とこなしてゆく。笑って、困って、ちょっと怒って。そんな家族の風景と些細な行動の中に生が宿っている。雑草を使った料理のみならず頻出する食や、衣服に生活体系などは、風景と同じくただ当時どうしていたかというような知識としてではなく、彼らの生を私たちに対しても確かな感触として得られるように描き出されている。そこに物語という物語は存在しない。劇的ではなく、あわてることはなく、懸命にというほどでもなく、時に面倒と思い、時に面倒と思えたことが懐かしいというくらいの日常の中で生きる人々の豊かさがここにはあるのだ。
しかしゆったりとした生活が描かれているとはいえ一つ一つの出来事はテンポよく流れてゆく。また物語らしい物語はないと書いたものの、実のところ物語はしっかり進行している。昭和20年の8月。逃れることのできないその日へと、日常は静かに確実に向かってゆくのだ。だからこの作品は、結果として望まざる圧倒的な暴力へと確実に到達しなければならないという点で、これ以上ないほどの劇的な面も持ってもいる。既に書いたような日常にしてもそれはいつから「奪われて」いる状態であって、ゆったりとした日常のそこかしこには奪われたものの影が見え、豊かな生のすぐ隣に、理不尽な暴力が居座っている。ただしそれは対立ではなく、共存とも違う並列の状況として扱われており、そんな特殊な状況において彼らはどう生きていたかかが豊かなアニメーションによって表現され、「場」として画面上に出現している。



ところで、すずをはじめ多くの登場人物はよく何かを「与えて」いる。それは食糧であったり衣服であったり、もしくは絵であったり羽であったり巾着であったりして、また家屋は、その行為が最も親密に行われる場所として存在しているのであるが、それらの行為は何も特別な贈り物というわけではなく、ただ彼らが生きているうえで何気なく行っていたことである。つまりその何気ない行為が、彼らにとっての営み、生活だったのであり、それは特殊な状況下でなくとも普遍的に行われている営みである。だからこの作品は戦時下という、私たちには推し量ることしかできない時代の話ではあるけれど、彼らの生活は決して現在と切り離されたものではない。
そしてすずが身体的に「奪われて」しまうというのは、身体の欠損による不自由よりも営みの損失であり生活の剥奪なのだ。8月のその日が近づくにつれて、共存を許さない暴力は何より、人々が「与え合う」営みを奪っていったのであるが、それは決して突如としてやってきたのではく、並存していたものの真実が明るみに出たということなのである。



直接的な暴力や悲惨な描写が決して多いわけではない作品だが、それでも砲弾の破片が弾け落ちる場面などには恐怖を煽られる。それには、音響の良さがある。片渕監督自身が音響も監督しているということにそのこだわりが現れているのだと思うが、しかし音とということに注目するならば、やはり声という要素、とりわけ、すずの声をあてた、のんが素晴らしい。まるで声がキャラクターと溶け合っているかのようだ。既に述べたように、この作品は戦時中の広島という風土と、そんな特殊な状況における生活をアニメーションによって作り出していた。そしてのんの声というのは、それらの要素を最後にまとめ上げる重要な機能を果たしているのではないか。何故ならこの作品が最も優れているのは歴史を正確に描写したからだけではなく、戦争という暴力を刻み込んだからだけでもなくて、そのどちらもを含みつつそんな風土と生活を渾然一体の「場」として生み出しているからである。そしてすずは、キャラクターとしての牽引力が強い人物ではないけれども、その「場」と溶け合うということによって、物語の中心たる存在になっている。だからこそ、のんの声は素晴らしいのだ。「この世界の片隅に」という言葉が嘘くさくなく聞こえるのは、それは能年玲奈という役者の経歴が透けて見えるからではなく、風土と生活の描写と、そして彼女の声によってではないかと僕は思うし、そしてその世界とはある時代に特有の「場」ではなく、普遍的な生の感触として実感させてくれるのである。