リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『風に濡れた女』を見た。

犬のおさわりさん

ロマンポルノ45周年を記念し企画された「ロマンポルノ・リブートプロジェクト」の一作目。監督は塩田明彦。主演は永岡裕、間宮夕貴鈴木美智子中谷仁美ら。

都会を離れ山奥の小屋でひっそりと暮らす元劇団作家の高介(永岡裕)は、ある日海辺で自転車に乗った若い女と出会う。汐里(間宮夕貴)というその女は自転車のまま海へとつっこみ、そのまま何事もなかったかのように海から上がり、平然と肢体をさらけ出し、そして高介にまとわりつくようにして「家へ泊めてほしい」と申し出て・・・

冒頭、自転車に乗った女がいきなり男の目の前に現れ、そのまま海の中へと突っ込んでゆくのは確かに神代辰巳監督『恋人たちは濡れた』のオマージュであり、ロマンポルノリブートプロジェクトと称された作品であることを高らかに宣言しているとも思えるのだが、しかし塩田明彦監督は既に『カナリア』で少年と少女を似たようなそっけなさで衝突させ、さらに女がなんだかんだと言いながら男についてくる場面を撮っているのだから、そういう企画故の目配せとして引用しただけではない。ある男と女の出会いとして、必然的にそうしているのだ。



しかしそれでも神代の影が見えるとしたら、それはこの冒頭ではなく、登場人物が延々と遊びに興じていることであろう。神代作品において、その不思議な遊びは破壊的でもあればコメディでもあるし憂鬱でもありええるというように感情に差はあるけれども、人物たちの肉体的な動きに魅了させるという点で共通しており、本作も全くそのような遊びによって構成されている。
本作では、舞台から道具から人物の行動に至るまで多くの装置に満ちており、その装置はある女によってひとたび作動させられてしまえばあれよあれよと男の予期せぬ方向へ動きだし、それにより物語も転がってゆくのである。しかもその一つ一つはまるで意味を持たず、動き出した装置によって展開されるほたすら無益な遊びに笑い通すこととなる。つまりは単純に面白いのだ。実際この作品を見ている間はとにかく笑った。あまりにも面白いので、こんなことでいいのかと思わされるほどである。その装置感覚の一つの極まりが夜の乱交パーティーであって、一つのセックスが無数のセックスを生み出し、しかも車ではほとんど機械的にセックスがなされているのである。



さて、とはいえこの作品の遊びには男女間の闘争が根底にあるといえるのだろう。しかもその闘争とは文字通り相手の上に立つということであって、間宮夕貴演じる女は永岡佑演じる男の頭の上によじ登ろうとしている。男は、かつて西部劇に出てくる男たちがそうしたように彼女を抱きかかえ、更に落とすわけだが、それでも女は男の生活に無許可で立ち入り、相手の上に立つ機会を時に獣の真似さえしながら、殴り合いかのごときアクション的セックスを武器に狙うのである。このようにしてみると本作はロマンポルノとはどこか違い、しかし西部劇とももちろん違う。もしかしたら、これはセックスさえも闖入者の破壊的行動と化したスクリューボールコメディなのではないか。そう考えれば、最後に家が倒壊し、犬の本性が暴かれた男の耳に虎の咆哮が聞こえるのもハワード・ホークス的に当然だといえるだろう。



そしてそんな犬と虎の物語が成立しているのには、間宮夕貴という女優の存在がやはり一番大きい。本作には確かに濡れ場は多く存在していれど、それは色気を欠いた闘争としての濡れ場であって、そういう点で見れば最良のキャスティングであったと思わざるを得ないような肉体の説得力を持っている。もちろん、永岡佑中谷仁美の、それぞれ種類の違う犬感も素晴らしいのだが、それもまた全身に魅力を纏った女優が中心に存在しているからこその輝きなのではないか。というわけで本作は間違いなく、美しい女の映画でもあるのだ。間違いなく今年のベストに入る傑作。

風に濡れた女

風に濡れた女