リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『Seventh Code』を見た。

黒沢鉄道は前田敦子を乗せて
黒沢清監督が前田敦子4枚目のシングル「セブンスコード」のミュージック・ビデオとして制作した1時間の作品。主演はもちろん前田敦子その人。共演には鈴木亮平山本浩司、中国人女優のアイシー。ローマ国際映画祭において最優秀監督賞と主演女優賞を受賞。全編オールロシアロケを敢行した事も話題に。


秋子(前田敦子)は松永(鈴木亮平)という、たった一度会っただけの男を追い求めてロシア・ウラジオストクにまでやって来た。しかし、松永は秋子のことを覚えておらず、「外国では人を信用してはいけない」と言い残し去ってしまう。秋子はそれでも松永を探し求めるが、途中で謎の男に捕まりパスポートや財布など荷物を失ってしまう。そこで、斉藤(山本浩司)という男が営む料理屋で働きつつ、松永を探すことにするが・・・。

これは、あるアイドルのミュージックビデオである。しかし、しっかりと画作りのされた、映画としての充実感もここにはあり、しかもこの作品は黒沢清作品として、監督の個性もそこかしこに確実に刻まれている。更にその上この『Seventh Code』は、前田敦子によるアイドル映画ですらある。要約すると、なんだこれは、ということだ。



まず一番初めに僕が思ったのは、なんとも黒沢清らしいなという事である。特に今回は、ロシアの風景がぴったりと監督の個性にハマっているということに驚かされる。冒頭、坂道をふらふらと歩きまわるところから、道路、森、林道、廃墟、レストラン、家、荒野、カーテンの揺れる部屋。霧立ち込める街並みの全てがマッチしている。普通、海外でロケをするとなればこんなところは撮らず、観光名所めぐりになりがちだが、海外だろうと黒沢清黒沢清だったのだ。あの、前田敦子がトラックからドサッと落される場面はどうだ。赤と白のカーテンがなびく部屋にスッと女が現れるところはどうだ。だだっ広い荒野に沿う道路で起こるアレはどうだ。
一つ奥の画面、というのにも注目したい。例えば、秋子が日本人の経営するレストランに行く場面。左側には食事を取る老婦人がいる。秋子は右側、段差を少し降りたところに座っている。このように、一つの画面内にある〝奥行き″の部分に、この映画では何かしらを配置させているのだ。斉藤がある場所へと行った次の日の朝、秋子がレストランへやってくる場面も印象的である。画面のかなり奥の方に、店の中へと入った秋子が小さく見え、そしてまた店の外へ。引きのショットに、画面の大きさを利用した奥行きが見られる。また、先ほども触れた松永家にあるカーテンの部屋にしてもそうだ。手前の階段を松永が下りていくと、奥にあるカーテンの部屋に女が現れる。この構図は後に、今度は逆の方向から、つまり手前にカーテンの部屋、奥には階段という形で印象的に見させられる。
このような画面の使い方というと、まず『CURE』を思い出す。うじきつよし演じる男の家へと役所広司が訪ねる場面。ふすまを開けた先に、あるものが映る。僕はそこでゾッとした。またこれは鈴木清順監督作品だが、最近見た『けんかえれじい』でも奥行きは効果的に使われていた。高橋英樹演じる主人公に別れを告げに来た浅野順子が、階段を駆け下り、玄関ののれんを落とし、雪降りしきる外へと走り去っていく。これはとても印象的な場面だった。こういった一つの画面内にある奥行きが空間を意識させ、映像に重層的な印象を与えているように思う。



この作品は前田敦子を動かし続ける。奥に奥に、そして時に奥行きを持ちつつ横に前田敦子を動かせる。この「動かせる」という点において、本作は間違いなくアイドル映画でもあった。
前田敦子はとにかく動く。歩き、走り、カバンを放り投げ、壁を越え、そして食べる。言葉よりもその肉体を使って映画に存在感を残していく。それとこの人は目がいい。何を考えているのか、ともするとボケッとしているだけのようにも見えるが、それだけではない。特に良いのが、ベットの上に座る前田敦子を襲う場面だ。まるで無垢そうな少女を今から襲うぞという背徳感。ここでゾクッとさせる目をしていた。そしてその後・・・。
前田敦子の狂人じみた感じは物語においても説得力がある。彼女は停滞しているものを動かす力を持っている。黒沢清の過去作で本作と一番近いのは『カリスマ』だろう。あちらは「世界の法則を回復せよ」というメッセージを受け取った男がカリスマという木を巡って様々な思想を持つ人物と関わる話だったが、『Seventh Code』は「世界を変える力」を持つものが出てくる。それは核ではなく、そんなものを踏み潰して進んでいく前田敦子自身ではないか。ウラジオストクという所在なさそうな場所ですら、ぐいぐいと世界を進んでいく力を秘めているのが前田敦子であると、この映画は描いている。
「外国では人を信用するな」という言葉はいかにも人と人とが繋がりあえない黒沢清作品らしく、登場人物たちは結局他人を理解できなかった。しかし、前田敦子は『カリスマ』で「あるがままだ」と言った役所広司のように、あるがままの姿で振り切って進んでゆく。特にそれが際立つのが、歌なのだ。やはりこれは、前田敦子でこそ成立する作品である。



黒沢清はロシアの風景という、非常に似合ったロケーションの中で、前田敦子という女性の力強さを映し出して見せた。初め黒沢清の新作がミュージックビデオと聞いたときは少しがっかりもしたが、とはいえこれはこれで見どころの多い作品で満足。赤と水色の使い方や、ラストの「だってこうなったらもう映画は終わるしかないでしょ」と言わんばかりの爆笑展開も良かった。
劇中、前田敦子が叫ぶ詩は、与謝野晶子がパリ滞在中の夫に会うため、シベリア鉄道に乗り込んだ際に詠んだものだという。タイトルは「旅に立つ」。もしこの作品が旅立ちであるとするのならば、黒沢清監督には前田敦子主演で長編を撮って、その旅路をどんどん広げていってほしいと願う。