リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を見た。

めんどくさいけど面白い。
はい、エヴァンゲリオン新劇場版最新作です。前作から3年。長いですね。この長さが良かったのか、劇場は超満員でした。やっぱりみんな気になるのね。エヴァ
断っておきますが僕はエヴァにさほど詳しくありません。TV、旧劇、新劇と見ていますが、設定に詳しくもないし、解釈とかもそんな興味ないです。それに見たのは3年ほど前なのであんまり覚えてもいません。熱心なファンではないので、それを念頭に入れて読んでね。



以下ネタバレ



まず一言で感想を言うと、面白かったです。ドドドッと押し寄せる映像の快楽がすごくて、とにかく圧倒されました。もう大スペクタクル映画ですね。オープニングの宇宙戦から最高で、その後は戦艦が出てきたりして趣味に走ったか・・・?でもカッコいいからアリ、という感じ。そして何より「おっ、それ見たかったなあ」というのがエヴァエヴァ。旧劇にも量産型と戦う場面はありましたが、乗り手がいるエヴァでの対決とはねえ。そして何と言ってもラスト、これはもう見ないとわからないですよ。とにかく映像という点では満足です。
でも劇中で人物が言ってることは全然意味得分からないんですよね。意味ありげで単語ごとはかっこいいんだけど、全然わからないのね。その辺が「ああ、エヴァだなぁ」って感じ。映像も言葉も情報量がとにかく多くて、とにかく目の前で起こってることを追うのに必死でしたね。



ストーリーに関しても何か言いたいんですが、言えない。なぜって、今回全然話が進んでないからあんまり言うことがないんですね。それなのに謎だけは深まっていくっていうんだから面倒くさい。
ただ何も起こってないというわけではなくて(あたりまえだけど)、本作は非常に重要な意味があったと思う。それは何かというと、エヴァとして新しい一歩を踏み出しているということで、本作はTV・旧劇とは全く違う方向から始まるも、旧劇的な展開になっていき、そしてラストは新たなる一歩を踏み出していくところで終わる。



何故そう言えるのか。それはシンジについて考えるとわかる。彼は『破』で世界を犠牲にしても綾波だけは守る、と言っていました。そのせいでシンジは世界を滅ぼしかけた。そして本作は再び世界を破壊しかけるという話でした。なぜこんなことになってしまったのだろう。シンジは間違ったことをするつもりはなかったのに。綾波を守りたかっただけなのに。
けれど、やっぱり間違っていたのだ。確かに『破』のシンジはかっこよかったけど、感情に任せて無茶やっているだけだった。本作でもそれは同じ。それじゃあダメだ。本作で冬月も「冷静さがないと勝負には勝てない」と言っていた。つまり本作は行動と、それに伴う責任の物語なのではないか。



旧劇は独りよがりの引きこもり映画だと僕は思っている(作品としてそれがダメとは言ってない)。結局悪いのは世間なんだ、と言って引きこもって、それで世間に出てみたらやっぱりだめで、メソメソしているうちに終わってしまった。しかし新劇場版のシンジは、彼なりに行動を起こし、悲惨且つつらい状況の中戦ってきたものの、結局意味はなかった。そしてシンジ史上最低の状況になってしまった。



でも、本作はラストは旧劇とは違い、どんなところにも希望はあるんだよ、と言っているように僕には思えたのです。どんな行動にも責任が伴う。そのせいで色々ダメになってしまうかもしれないけど、それによって彼は得るものがあった。それがあのラスト、一人じゃないということなのではないでしょうか。結局、彼の行動には意味があったんですね。なので本作にはエヴァの新しい一歩が見えるような気がしたのです。
というわけで、本作では行動には責任が伴うという自己批判をいったん入れて、次回に真(シン)に成長したシンジを見せようという事ではないかと思うのです。本作はその前段階。3幕構成で言う2幕目だけでできている。『ダークナイトシリーズ』でいうところの「人はなぜ落ちると思う?這い上がるためだ」の落ちている段階というところですね。それゆえ、ラストにちょっとした希望を見せている。



では次回作はどう展開させるのがよいか。これは提案なんですけど、父親を超える物語にする、というのはどうでしょう。先ほども書いたように前作のラスト、シンジは綾波を救えるなら世界がどうなってもいいと思っていました。で、これって父・ゲンドウがやろうとしていたことと一緒ですよね。つまり本作ではシンジとゲンドウは同じ位置にいるんです。
ゲンドウはもう一度ユイに会いたいという欲求だけで、その後のことは考えずに行動しているように思える。これもやはりシンジと似ています。しかし、今回の劇場版でシンジは個人的にも世間的にもそういう原理で行動するのは間違いだと思い知らされる。なのでシンジがもし成長するなら、一度自分もそうなりかけたものにしっかりけじめをつける、というのがいいと思うのです。具体的には、シンジが愛する人を犠牲にして世界を救う、というのはどうでしょうか。ダメですかね。



最後に不満というか、どうなのよと思うところはやっぱりたくさんあります。興味ないとはいってもさすがに設定やらが説明不足が過ぎて理解不能なんですよ。やっていることはド派手で超かっこいいのに、感情が追い付かない。これがエヴァの欠点だと思いますね。だからこう、最高潮まで盛り上がれないんですよ。あと真希波の扱い。これならいてもいなくてもいいような役じゃないか。まあ敢えてヴィレ側は映さないようにしてるのも分かるけど、これじゃあなあ。



というわけで、エンターテイメントとして一応満足はしましたが、この一本では何とも言えない映画だったと思います。まあおそらく本作は壮大な前フリなんでしょう。なので次回どうなるかで本作のポジションも決まってくると思います。本作の感想はそんな感じですかね。
あ、あとヴンダーとかいう戦艦。あれは初号機が組み込まれているらしいので、次回作は変形エヴァになってシンジがそれを操縦して戦うんですよね?何と戦うかは知らんけど。
ところで、なぜ今回配給も制作もしていないのに映画は東映の三角印から始まったのだろう。旧劇は確か東映だったけど・・・。


ちなみに、同時上映の『巨神兵東京に現わる』は面白かった。禍々しい破壊神が東京に降り立ち、町をぶっ壊していくのはかなりの快楽であり、僕は特撮に詳しいわけではないけれど、こういう日本の技術も廃れさせちゃいかんよなあと思いました。でも携帯で撮影する人の描写を入れたのは、大きなマイナスかなあ。