リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『007 スカイフォール』を見た。

Bond is return
007の新作です。僕はシリーズ半分も見ていませんが、007も『ドクター・ノオ』からもう50周年なんだそうですね。50周年でボンドも6代目となり、本作はその6代目ボンド、ダニエル・クレイグによるシリーズ3作目です。監督はサム・メンデス


イギリスの諜報機関、MI6のエージェントであるジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)は、トルコで工作員のリストが入ったハードディスクを取り戻すという任務に就いていた。しかし、任務の途中で味方に誤射され行方不明に。この任務の失敗を受けて、MI6の局長M(ジュディ・デンチ)は引退勧告を受ける。引退などする気のないMであったが、MI6本部が爆破され、さらに工作員のリストがネット上に流出してしまう。この危機に死んだと思われていたボンドがMの前に姿を現し、現場復帰望むが・・・。


超面白かったですね。もうオープニングからバンバン魅せてくれました。カーチェイスからの、トルコの市街地を、屋根の上をかけていくバイクチェイスに興奮し、続いて列車に飛び乗ったらショベルカーアクション(!)を展開。激しいアクションをこなした後に余裕の表情で袖口を直すボンドのカッコよさたるやもう。これですよ。このスマートさ。そして乗り物アクション大集合。文句なしのオープニングです。
このカッコよさ、というのは本作を語る上で外せない要素だと思います。ボンドのスマートな立ち振る舞いだけでなく、とにかく映像がビンビンにキマりまくってて、いちいち痺れるんですね。特に上海のアクションシーンのかっこよさなんて失禁モノでした。これは名カメラマン、ロジャー・ディーキンスの力でしょう。



そういった画面の楽しさだけでも満足な本作ですが、テーマも面白い。本作の監督がサム・メンデスと聞いたときは「え?ボンド映画だよ?」と疑問がわきましたが、なるほどこういう話なのであれば、サム・メンデスにはうってつけだったのかもしれない。
そう思う理由はハビエル・バルデム演じる悪役シルヴァとボンド、そしてMの三角関係にあります。シルヴァはかつてボンドと同じようにMI6でスパイとして活躍し、ボンドと同じくMに重宝されていた存在、つまりボンドとはコインの裏表となる存在である。
また天涯孤独のボンドもシルヴァも、MI6という家庭の中、Mという母に育てられてきた。Mに捨てられたという思いから復讐を企てるシルヴァは、愛憎入り混じる気持ちでMをママと呼ぶ。そしてボンドも同様に、Mに憎まれ口をたたきながらも従う息子である。これはサム・メンデスが『アメリカン・ビューティー』『ロード・トゥ・パーディション』『レボリューショナリー・ロード』などで描いてきた家族の物語に連なるといえるでしょう。
そして本作ではボンドがその母から離れるところを描いている。映画のラスト、彼はスウェーデンにある生家へ赴き、そこでもう一人の自分であるシルヴァを殺し、母と別れる。ダニエル・クレイグのボンドがどこか過去のボンドと比べて不安定だったのは子供だったからだ。本作でついに彼は孤独なスパイとして独り立ちすることとなった。



内面的に独り立ちをしたボンド。しかし本作ではもう一つ、あることにもケリをつけた。それは映画の外的要因、つまり007という映画そのものについてである。



中盤、ボンドが若き武器開発係のQと出会う場面には「解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号」という絵画が飾られている。これは偉大だったボンドももう引き際であるということを表している。またそこでQは言う「いつかは鉄クズになってしまう」と。この絵画はちょっと調べたところ「最も偉大なイギリス絵画」に選ばれているらしい。これって非常に象徴的で、007シリーズっていうのは、やっぱり一番有名なイギリス映画だと思うんです。つまりこの絵は007という映画の象徴であり、そしてそれの解体をするぞ、という意味がここにはあるのではないか。


本作はボンドという人間、Mという人間、MI6という組織の存在意義を問う。殺しのライセンスに単独潜入、今の時代にこのようなスパイはもう合わないんじゃないか。さらにボンドは体も衰えてきている。かつてのような活躍は、もうできない。
もちろんこれは007シリーズそのものを表しているようにも思える。男の欲望の象徴のようなボンドは、悩めるヒーロが流行る昨今においてあまり歓迎ムードともいえない。バカげた秘密兵器や大仰な敵役も、鼻で笑われてしまうような時代だ。ゆえにダニエル・クレイグのボンドはそういった要素を排してきた。しかし、それはボンド映画としては物足りないとも言われた。では007はやはり時代遅れの作品なのか。有終の美を飾り、終わるべきなのか。


いや、そうではない。今の時代にもボンドは輝くことができる。本作ではそのことを示すため、007を再構築するのだ。あのアストン・マーチンは、あのテーマソングは単に古参ファンへの喜ばせではなく、007はまだやれる、あのボンドが戻ってきたぞという宣誓なのである。
しかし、確かにボンドが古臭いのは事実である。そこで本作は、再構築の際にクリストファー・ノーランの作品など、ボンドを「解体」し影響を受けた映画たちをも取り込んでいったのである。過去からの引用、そして新しい物との融合。そのことによって、ついに新時代のボンドとしての幕開けを告げた。


本作ではQと出会う場面のほかに、もう1箇所船の絵が出てくる場面がある。それはラスト、Mの部屋だ。そこには海へ繰り出す、勇壮な帆船の絵が飾ってある。これは一度解体された船が、もう一度大海原へ繰り出していくということではないか。ボンド映画は一度解体され、現代に合ったテイストに再構築された。こうして内的にも外的にも、真に新しいボンドとしての旅立ちの準備は整ったのである。



というわけで本作は今までのボンドの総決算であり、そして新しい門出でもあるという、非常に重要な映画であると思います。もちろんボンドを知らなくてもアクションや映像のかっこよさだけでもスクリーンで見る価値のある作品です。文句があるとすればキャラクター的には面白いハビエル・バルデムとの決着がちょっと地味かな、という事ですかね。スコットランドの生家で決戦というのは面白いんですが・・・(ちなみに、初代ボンド、ショーン・コネリーの出生地はスコットランド)。あとレイフ・ファインズって登場するだけで「こいつは油断ならねえぜええ」って感じがするのはなぜでしょう。結果超オイシイ役だったけど。