リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』を見た。

事実は小説より奇なるか?

カナダ人のヤン・マーテルによって書かれたベストセラー小説「パイの物語」をアン・リーが映画化。第85回アカデミー賞において、作品・監督賞など11部門でノミネートを受けています。


カナダに住んでいるインド人のパイ・パテル(イルファル・カーン)のもとへ、カナダ人のライターがやってくる。彼はインドで出会った人物からこのパイと言う男に会えば面白い話が聞ける、と聞いたからだ。パイはそのライターに自分の生い立ちからパイという変わった名前のこと。動物園を経営する父のもとで育ったこと。様々な宗教を愛するようになったこと。愛と出会ったこと。そしてある事件によって太平洋をリチャード・パーカーというトラと漂流することになってしまったことなどを語り始める。

とにかくまずお伝えしたいのは、これは映画館で見ないとだめですよ!ということです。映画館で見ることを、そして3Dでの鑑賞を前提とした素晴らしい映像の数々は、やはりでかいスクリーンで見てこそのものでしょう。宣伝文句には「アバターを超えた」などとありますが、それは大げさな表現でもないと思うくらいです。



映画前半では、パイという少年の幼少期から青年になるまでのエピソードが語られます。何気ない日常を描いた部分ともいえますが、映像的には美しさや面白さに溢れています。画面いっぱいに広がるインドの茶畑の美しさ、逆三角形のマッチョなおじさんが泳ぐシーン、そしてヒンドゥー教の神・クリシュナの口の中に宇宙が広がっているということを描写した場面など、印象的な場面は多いと思います。3D効果も存分に感じられました。
またここで語られるエピソード、例えばフランスのプールにちなんで付けられたピシンという名前の少年が、パイという円周率を由来とする名前で呼ばれるようになったこと。ヒンドゥー教徒としてベジタリアンに育つも、後にキリスト教イスラム教も信じるようになったこと。そしてトラとの邂逅など、それだけでも面白い話ですが、実はこれらはどれも非常に重要な意味を持つものだと、後々わかっていきます。



さて、そんなのどかで美しい場面も良いですが、やはり序盤の見どころは、一家が動物ごと大型船でカナダへ向かう途中で事故に遭ってからですね。まずこの大嵐に遭い船が沈没するまでのシーン、ここがもう大スペクタクルというか、雨に波に人が飲まれ船が飲まれ、動物は暴れ出すわでものすごい迫力なんですね。夜なので船はライトをつけたまま沈んでゆくのですが、この映像が絶望的でもあり、しかし幻想的でもあるシーンだったと思います。



救命ボートに乗りなんとか一命を取り留めたパイは、ボートにシマウマとオランウータンそしてハイエナも乗っていることに気づきます。するとこの映画急に血なまぐさい展開になり、ハイエナがシマウマとオランウータンを殺し、肉を食らうんですね。直接は描写しませんが、ここは結構ショッキングで、特に映画内で動物が死んでしまうのを見るのが嫌いな僕にとってはキツイ描写でした。
ハイエナがボート上での弱肉強食世界の頂点に君臨したかと思いきや、急に隠れていたトラが飛び出してくる。そしてハイエナは食われ、圧倒的な身の危険を感じたパイは浮き輪などを集めていかだを作る。そうしてボートから離れたところで1人と1匹の漂流生活が始まるのです。



この漂流生活で面白いのは、いかだ作りから食料や水の調達方法など、どうやって生き残るのかというサバイバル的要素ですね。漂流生活に慣れていくに従い、パイのサバイバル生活がイロイロ工夫されていくのが面白い。漂流とか漂着もので一番わくわくするのは、こういったサバイバルの部分ですからね。ここがおろそかでは話になりません。がっつり描いてるというわけではありませんが、十分というくらいには描かれていました。肌が荒れていくのも良い感じ。
そしてやはり、トラとのサバイバルも興味深い。結果的に共存することにはなりますが、最初パイはトラと一緒に生きていこうとか、トラもなんだか優しい・・・みたいな、そんなお花畑思考じゃ全然なくてですね。簡単に殺せはしないし、かといって放置しておいたら自分に襲い掛かってくるので、仕方なく、と言う感じで共存していきます。このトラとの関係性がだんだん変化していく様子も面白いところです。



さて、もう一つ漂流生活で面白いのは、それこそ本作最大の魅力であるところの、つまりは圧倒的な映像美です。これが本当にすばらしくて、映像の中に飲み込まれてしまうような感覚になってくるんですね。例えば朝日が昇り、海が完全に凪の状態になるシーンがあります。そこで海面は鏡のようになり、オレンジに染まった空と海の境界線がなくなるという、この世のものとは思えない美しい映像が随所で堪能できるのです。
他にも巨大なクジラとの遭遇、満天の星空、トビウオの襲来、謎の島での出来事など、非常に不思議で美しく、且つ3D効果が抜群に効いている映像によって(シーンによっては画面サイズを変えてきたりもする)、見ている側に追体験させるような、そんな映像的仕掛けが満載で素晴らしいですね。このトリップ感覚に一番近いのはおそらく『2001年宇宙の旅』だと思います。



※以下ネタバレ



ところで、トラと漂流というそれだけで嘘のような話に、幻想的美しさまで加えて語られるパイの物語。これを通して一体本作は何を伝えようとしたのだろうか。その答えは生き残ったパイが、船の事故原因を調査しに来た男たちに語る、もう一つの物語の中にありました。
超現実的な物語に満足しない調査員たちに対し、パイは別の物語を語った。それはシマウマも、オランウータンも、ハイエナも、そしてトラも登場しない物語。代わりにいるのは4人の人間。パイと、船で出会った仏教徒の少年と、コックと、そして母親。その中で生き残ったのはパイ1人。他はどうなったのか。
もちろん彼らは死んだのである。極限状態でむき出しになった本性が、彼らを殺し合わせた。パイはそれを、動物に置き換えて語った。おそらくは言葉にもしたくないほど辛く、恐ろしく、醜い現実に対し、パイはそうやって語るしかなかったのでしょう。これは少し『パンズ・ラビリンス』に似ていると思いますね。陰と陽の違いはありますが、つらい現実を覆い隠す嘘という点で、共通していると僕は思います。



程度の差こそあれ、嘘の含まれない物語などほとんど存在しない。特にファンタジーなんて、嘘っぱちも良いところ。そんなものは存在しない。真実ではない。では、そういった物語は、ただの子供だましの、空想でしかないのだろうか?
それは違う。本作は、空想じみた物語とCG満載の映像を駆使しながらも、そう言いたいのだと僕は思います。パイの話す‘真実’は、パイにとっても聞く人にとっても、あまりにつらい出来事。だから彼はありのままを話すのではなく、‘物語’の中に真実を隠しこんだ。
真実とはまぎれもないものです。それ以上でも以下でもない。しかし物語は時に真実を超えて語りだし、人々を魅了していく。それはただの無益な空想や子供だましではない。物語とは、ひいては創造力とは、人間がどうしようもない現実や事実や真実に対抗しうる、唯一の手段であるのだと思います。そのことをこの映画は伝えており、つまりこれは、「物語」についての映画だったのです。



僕が感動したのはこの物語論の部分ですが、本作は前半のエピソードからわかるように、宗教が非常に重要な要素となっています。正直、この映画においてこの部分は別に要素としてあるだけでどうでもいいかなとも思いますが(監督もインタビューで「本作最も大きなメッセージは、物語を伝えることの素晴らしさだ」と言ってるし)、一応触れておきたいなと。
ざっくりいうと、本作は通過儀礼の話なのでしょう。どの神を信じるかという前半から、漂流という試練の中で人知を超えた自然の厳しさなどを体験することにより、もっと大きな範囲での信仰を見出す。そういう話だったのかなと思います。まぁ、細かい比喩的部分についてはよくわかりませんけどね。食人島が象徴するものとか。トラも、おそらくはパイの中にある暴力性みたいなものを表しており、それと決別するのがあのラストなんでしょうけど、何か他にも意味があるのかもしれませんね。



というわけで、非常に美しく圧倒的映像美と、それによって語られる物語論が非常に感動的な傑作だと思います。アン・リーにはこういう大作もバンバン撮ってほしいですね。あと触れてなかったけどトラのCGは凄過ぎですね。『ナルニア国物語』を見たアン・リーがリズム&ヒューズスタジオというところに頼んだみたいですが、技術と言うのは進歩しているのですね。『ナルニア』のライオンもなかなかでしたが、今回のトラはものすごい再現度でした。あとは出てきた魚とか動物の図鑑がパンフレットにあれば完璧だったなぁ。

パイの物語

パイの物語