リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』を見た。

世界が終わる夜に

ショーン・オブ・ザ・デッド』『ホット・ファズ』等で知られるエドガー・ライト監督、サイモン・ペッグニック・フロストのコンビ最新作であり、ブラッド&アイスクリーム三部作の最終作となっている。マーティン・フリーマンロザムンド・パイクに加え、ピアース・ブロスナンも出演している。

1990年。イギリス郊外の街ニュートン・ヘイヴンに住む5人の若者が、高校卒業を祝って「ゴールデン・マイル」と呼ばれるはしご酒に挑戦する。「ワールズ・エンド」という店を終点とし、12件ものパブを回るこのゲームは結局失敗に終わったが、その夜は最高の夜となった。それから20年後。再びニュートンヘイブンの街に彼らは戻ってきた。リーダー格であったゲイリー・キング(サイモン・ペッグ)が無理矢理に他のメンバーを引き連れてきたのだ。一番の親友であったアンディ・ナイトリー(ニック・フロスト)すら、ゲイリーにうんざりしていたのだ。そんなことは露とも知らず皆を引き連れパブを回るゲイリーであったが、突然、様子のおかしい若者に襲撃されてしまい・・・


大人になれないオタクな男たちが突如、それまで向き合ってこなかった現実世界(ゾンビや刑事アクション映画等からの、オタク的な引用に満ちた世界ではあるが)へと放り出されることで大人になっていく。そんな映画を得意とするエドガー・ライト監督、サイモン・ペッグニック・フロスト主演という黄金トリオが今回手がけるのは、今まで以上のダメ人間と、ジョン・カーペンター、そして侵略SFである。
外宇宙からやって来たものたちによる侵略SFは、かつて冷戦の象徴だの共産主義への不安などに喩えられたが、本作においてはより普遍的な段階での「社会への馴染めなさ」や「疎外感」を表現している。大人になりきれないがゆえに、ゲイリーは社会に参加できていない。しかもそれが、今までのエドガー・ライト作品のような「まぁ俺たちオタクだからね」という、それはそれで心地いい世界で生きているわけでもない。本作の主人公は、世界の何処にも居場所がない男なのだ。
その点において、本作は今までとは全然違う作品と言えるかもしれない。それまでの作品が、居心地のいい子供の世界から大人の世界へと踏み出す話だとすれば、今回は結局大人の世界に順応できず年だけ取ってしまった男が、最後の夢を見るために花火を打ち上げようと迷惑行為に走る、という話なのである。「大人になんてなれるか!やりたいことをやってやる!誰にも邪魔はさせねぇぞ!」そんな叫びが、この映画からは聞こえてくる。



遊星からの物体X』などのパロディや暴力を暴力と思わないマイケル・ベイ的精神は確かに笑えるし、騒がしい編集テンポや格闘シーンの見せ方も非常に良くて燃える。しかし、だからと言って本作は「笑って燃える楽しい映画」等ではなく、むしろ容易には答えを出せない問題の含まれた、厄介な作品であるように思うのだ。「一生、ガキの遊びを続けたいんだ」という咆哮はダメ人間によって絞り出された正直な叫びであるとともに、その背後からは寂寞とした感情や諦観も見て取れる。そしてそれは、エドガー・ライトの偽らざる心境なのではないかという気すらしてくるのだ。
ゲイリーは人生最高の思い出を再現しにやってくる。その先に「世界の終わり」があるとわかっても再現する。なぜなら、彼の世界はとっくに終わっているからだ。自分は世界の中心にいるのだと思っていたら、しまった、もう世界は、終わっていたんだと彼は気づくのだ。
私たちも、ふと思うことがないだろうか。あのときに戻って、あの瞬間で世界が終わってしまったらどれほど幸せだろうか。一体いつ、黄金色の日常から刺激は抜け去ったのか。今この日常が続くくらいであれば、人生最高のあのときに、すべてを終わらせてしまいたかった。そんな風に思うことはないだろうか。ゲイリーは、そのために故郷へ帰ってきた。あの時のまま、終わらせるために。
この映画を、エドガー・ライトもそんな気持ちで撮っていたのではないか。ガキの遊びの延長であるかのような感覚で撮られた映画は、確かに面白かった。しかし、いつまでもそんな風に3人でやっていられるわけじゃない。だから、せめて映画の中だけでもそれをしたかったのではないか。だから本作でエドガー・ライトは、永遠に終わらないガキの世界を作り上げてしまったのだろう。



ここで先日、『アベンジャーズ2』の後に公開が予定されている、マーベル・シネマティック・ユニバースの一本、『Ant-Man』からエドガー・ライトが降板するというニュースが思い出される。降板の理由は定かではないが、それまでと後々の数多くのシリーズに対する整合性やルールが多いであろう『Ant-Man』と、本作で監督が見せた自由への意志は、相反するものだったのではなかろうか。そんなことすら、この映画は想像させてしまう。



酒は、日々のストレスの解消として広く飲まれているように思う。そして本作も、表向きには酒を飲んでいるときのような馬鹿騒ぎをしながら、しかし裏には、隠しきれない哀しみが見えている。その意味で本作はまさしく、ビールのような映画であると言えるだろう。苦みを伴うこの味は、のどごしこそ爽快感に溢れているが、そんな世界から逃れられなくなってしまう危険性も秘めているのである。