リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『ウルフ・オブ・ウォールストリート』を見た。

羊の皮を被る気のない狼

若くして巨万の富を得た実在の実業家、ジョーダン・ベルフォートによる回想録『ウォール街狂乱日記 - 「狼」と呼ばれた私のヤバすぎる人生』を原作とした映画。監督はマーティン・スコセッシで、主演のレオナルド・ディカプリオとは5度目のタッグとなる作品。共演にはジョナ・ヒルマシュー・マコノヒーマーゴット・ロビージャン・デュジャルダンなど。


ウォール街の一流投資銀行に、ジョーダン・ベルフォート(レオナルド・ディカプリオ)という男が入社してきた。夢見る若いその男は、はじめ電話の取り次ぎ役としてキャリアをスタートさせる。そこに、カリスマブローカーのマーク(マシュー・マコノヒー)が彼をランチに誘った。マークは「株などバッタもん。バカにくずを売りつけて金を懐に入れるんだ」など、ウォール街での生き方をアドバイスする。その後、ジョーダンはトレーダーとしてデビューするが、運悪く初日にブラックマンデーと呼ばれる株価の大暴落が起こり、会社をクビになる。そこでジョーダンは安い株を専門に取り扱う田舎の証券会社に赴く。手数料が5割というところに惹かれた彼は持ち前のセールストークを駆使し、あっという間に成功を収める。その後、レストランデで偶然出会ったドニー(ジョナ・ヒル)という男とともにジョーダンは会社を興した。そして、そこから彼は驚異的なスピードですさまじい金を手にすることになる・・・

なんといかがわしく不健全で不道徳、かつ欲望に忠実な映画だろうか。金、女、麻薬、酒。そんな中毒になりえるものすべての中毒になりつつ、この映画は良識というものをハイテンションで破壊し尽くていく。金金金女女女酒酒酒麻薬麻薬麻薬を!もっと、もっともっとだ!そんな風に、この映画は暴れまわる。
そのあまりの破天荒っぷりには理性が追い付くわけもなく、軽薄で下劣な喧騒に満ちた世界とディカプリオの顔芸にはもはや笑うしかない。これはスコセッシにとって『救命士』以来のコメディ映画であり、そして久々の大傑作だった。



ハイテンションな下品さが清々しく爆笑を誘うこの映画の中でも、映像のおかしさで特に笑ったのはまずヤクを決めたジョナ・ヒルがスーパースローで動き出すシーン。にょきぃぃぃっと彼の顔がディカプリの後からだんだん見えてくるところなんてもう、あまりに馬鹿馬鹿しい。直後にある「エイズになってでもヤリたい女」の顛末も含めて、そのどうしようもなさに笑い転げた。
ディカプリオが会社の初期メンバーにセールスのやり方を教えるシーンもいい。まだ無知な彼らの前でディカプリオがやり方を実践して見せるが、それと並行して、彼に教えられた通り話すメンバーの後の姿も描く。自由に行き来する編集のキレが素晴らしい。
そしてもうひとつ。ディカプリオが社員の前で演説をブチかましテンションが最高潮になった瞬間「hey leroy your mama's callin' you」という曲がかかり、カメラがオフィスの中を進みそしてさらにバックするというシーンがあるのだが、ここのアガりっぷりも最高だった。



ところで映像的興奮というと、乗り物と映画の間には何か密接な関係があるように思う。乗り物に乗るという事は「移動」なのだから、それは当然と言えば当然なのだが、幾人かの作家は、映画内において何かに乗り移動するという事に特別執着があるようにも思う。スコセッシもまたそうであるとは言い切れないが、少なくとも本作においては、何かに「乗る」シーンでは特別にしょうもないことが起こり続けており、通常よりバカが加速していた。例えば、ディカプリオが麻薬でふらふらになり立つこともできぬままなんとか車に乗り込む姿であるとか、飛行機での暴れっぷり。それに、船のくだりのどうしようもなさは、もう本当に素晴らしい。「俺はしらふじゃ死なねえ!」というセリフは、言えるのであれば一度は言ってみたい名台詞である。



こういった数々のシーンと高いテンションを支えているのはその演出スタイルで、「FUCK」だらけのセリフから、ストップモーション、スローモーション、ナレーション、インフォマーシャル、プライベートビデオに、スクリーンを超えて観客に語りかけてくる登場人物、オフィスの中をずんずん進んでいくカメラ、端の歪んだ画面、音楽、編集のテンポ。多種多様な技術をとにかくブチ込み畳み掛け、まるで情報量によって映像に洪水を起こし、その中で観客をおぼれさせるかのようだ。編集は女房役と言えるセルマ・スクーンメイカー。撮影はロドリゴ・プリエト
この映像・音楽スタイルはスコセッシが『グッドフェローズ』で確立したものといえる。しかし、似ているのはそれだけではない。『グッドフェローズ』はニコラス・ピレッジによる回想本『『ワイズガイ−わが憧れのマフィア人生−』という原作があり、その原作にある情報をぎゅっと詰めてドキュメンタリーのように見せていた。今回もそこは同じだ。ちなみに、原作があるからたまたまなのだろうが、オープニングで語られる主人公の成り立ちから破滅までもだいたい同じだ。ジョーダン・ベルフォードもヘンリー・ヒルも、共に裕福ではない出身で、憧れからモラルの欠けた世界に入り、その世界の男に教育され成りあがっていく。面白い一致点だと思うし、スコセッシはそういう話に惹かれる人なのだと良くわかる。



役者陣の演技も素晴らし、レオナルド・ディカプリオのどうしようもなさは彼が演じた役の中でも飛びぬけており、あの『ジャンゴ 繋がれざる者』より更に面白い。一体誰が、縛られ、女王様に責められて悶えるディカプリオなど想像したであろう。セックスのときイクのが早いのも笑える。相棒役であるジョナ・ヒルも凄い。見た目が面白いというものあるんだけど、言動も行動もおかしくてとにかく無茶苦茶。なのに、血を見ると吐き出してしまうほどの臆病者だというのがいい。
そんなディカプリオとジョナ・ヒルが、互いに「レモン」と呼ばれるクスリをキメた後のひどさは最高すぎる。二人ともヘロヘロになりつつよだれをたらし口もまともに開けず、どうしようもない姿をさらし続けながらなんともふにゃふにゃやした取っ組み合いを見せる。そこで起こっている事態はきわめて深刻なのに、なんとバカバカしいのだろう!ちなみに、ここでディカプリオは電話にコードに絡まり身動きが取れなくなっている。これは、彼が電話の取り次ぎから始まり、電話によるセールスによって大金持ちになったが、その欲に絡みとられているという事の象徴か、ということを思いもした。まぁ、その後の「ポパイ」でそんなことはどうでもよくなるのだが。
しかし、ジョナ・ヒルの見せ場はそんな馬鹿馬鹿しさだけではない。終盤、彼があるメモを見せられた後の演技。これがいい。なんと素晴らしい表情だろうか。
脇役も忘れがたい魅力を放っている。まずはジョーダン第2の妻であるナオミを演じたマーゴット・ロビー。そりゃあこんないい女いたら目移りするわというくらいの魅力を放っている。フェラーリでフェラ!おっぱいの丘で麻薬吸い!抜け目ないスケベなスイスの銀行家を演じるジャン・デュジャルダンや、ディカプリオを道徳心の破壊された喧噪の世界へと引き込むメフィストマシュー・マコノヒーも、出番は少ないながら強い印象を残す。



しかしなぜこんなにも不健全な映画に、僕は強い魅力を感じてしまうのだろう。ブラックジョークは確かに効きまくっているが、物語に予想外のことは起こりはしない。欲まみれで、いつか墜落することは分かっている男の話など、何が面白いのか。
少なくとも僕は、欲望に弱い。いい女がいたらいかがわしいことも考えるし、金は欲しいし、うまいものを食いたい。いい酒飲んで気持ち良くなりたいし、感覚がぶっ飛ぶくらいの薬だってやれるもんならやってみたい。ムカつく奴は消し去りたい。くだらないことでブチ切れてしまうこともある。とんでもないほどの馬鹿騒ぎがしたい。道徳やルールも良識も周囲も気にせず、思うまま、自由に生きたい。ジョー・ペシのように。ディカプリオのように。しかし、それは無理だ。法的に無理なのもあるが、そもそも僕はとにかく小心者でもある。怖くて、人に当たることなんてできないし、強烈な刺激に手を出すこともできない。ビビるからだ。
だが映画なら、映画の登場人物に自分を託せばそれは可能だ。どれだけ醜い欲望だろうと、人の心にはそういう側面もあると僕は思う。普段抑圧しているものをこういう類の映画は解放してくれるのだ。その快感は、もはや射精的であると言っても良いだろう。マフィア映画においては暴力がフラストレーションの発散になるが、この映画の場合はセックスが全編に渡って登場しているため、まさにそのままである。



ではこの映画はジョーダン・ベルフォートのような生活を賞賛、支持しているのかというと、それは全く違う。確かに『ウォール街』のような社会派作品とも違うが、一応、警鐘ではある。皮肉であると同時に、この価値観は本当に正しいのかというメッセージもこの作品にはある。
この映画で描かれている無茶無茶な生活は、アホらしくも魅力的に見えるだろうし、そういう風に撮っている。「どうだ、こんな生活うらやましいだろ?」と誘惑する。ディカプリオが観客に向けて話し出すのもそのためだ。だがラスト。一体この映画は誰の顔で終わるのか。それがポイントだ。『グッドフェローズ』や『カジノ』と特に違うのは、この終わり方だろう。そういう意味でもこの映画の馬鹿馬鹿しさは魅力的でなければいけないし、中途半端に描いてもいけないのだろう。



スタイル以外の、テーマ性の部分においてスコセッシの映画はこうであると一言で言い表すのは難しいが、彼は地獄を巡る作家といえるだろう。彼の地獄とは自分の内部にある葛藤、誇大妄想、パラノイア、孤独であるが、中には外部にある先の見えない地獄に自ら進んで飛びこむタイプの映画もある。今回の映画は後者だろう。また、何かが著しく欠如した病的な人間が出てくるというのはもちろん、友情への固執と裏切りという面もいくつかの映画で見られるし、例えばギャング映画ならギャングの、上流社会ならその世界の「生活・スタイル」を描写することにこだわる作家でもある。そいういわけで『ウルフ・オブ・ウォールストリート』はいかにもスコセッシらしい映画であり、彼にとって久々の大傑作だと思った。ここまでいかがわしいパワーも持った作品が大スクリーンで見ることができるとは驚き。3時間は長いかと危惧していたが、まさにジェットコースター。流れに身を任せればあっという間だ。
スコセッシの次回作は遠藤周作の『沈黙』ということで、どう考えても今回のような映画にはならないだろう(それはそれで見てみたいが)。それに、もう71歳という事を考えれば、もうここまでのテンションを持った作品はないかもしれない。そんなわけで、これを見逃すわけには、絶対に、いけないのですよ。書ききれなかったけど、とにかく、爆笑シーンの連続ですからね。ホントにアホすぎて涙と鼻水でるわ。最高!

The Wolf of Wall Street (Soundtrack)

The Wolf of Wall Street (Soundtrack)