リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『エレニの帰郷』を見た。

まわるまわるよ 時代はまわる
2012年に急逝したギリシャの巨匠、テオ・アンゲロプロス監督の遺作。『エレニの旅』に続く20世紀を題材とした3部作のうち2作目。主演はウィレム・デフォーブルーノ・ガンツ、ミッシェル・ピッコリイレーヌ・ジャコブら。


20世紀末。ローマの撮影所チネチッタにやって来た映画監督のA(ウィレム・デフォー)は、中断していた映画の撮影を再開させようとしていた。その映画はAにとってパーソナルな物語であった。1953年。Aの母親エレニ(イレーヌ・ジャコブ)は秘密警察の手により収監所に送られ、恋人のスピロフ(ミシェル・ピッコリ)と離ればなれになっていた。2人は数年後、スターリンの死去が伝えられた日に再開するが、すぐにまた離れ離れになっていくが、お腹には子を宿していた。苦境を強いられる中、エレニはヤコブ(ブルーノ・ガンツ)という男と出会う。ローマ、カザフスタン、シベリア、ニューヨークなど、大きな時代のうねりの中で、エレニとスピロフ、ヤコブ、そしてAとその娘エレニの物語が紡がれていく。

テオ・アンゲロプロスは偉大な監督であると聞く。聞く、と書いたのは、その名前や作品名はよく聞くけど、レンタルは一つもないがためになかなか作品を見ることができないからだ。僕が見たことがあるのは『霧の中の風景』だけで、これは大学の授業で見させてもらった。そしてあれはちょうど、アンゲロプロス逝去の少し前だったと記憶している。
霧の中の風景』をはじめ見たときは、「なんだか不思議な映画だな」という程度の感想しか持ち得なかった。しかし時間がたつにつれ、あの映画のいくつかのシーンが自分の中で忘れ難い何かとなっていたことに気づいた。そうして今は、「あれは凄い傑作だったのでは」と思うも、彼の作品について確認するすべがなく、どうしたものかと悩んでいたところであった。そこにこの、『エレニの帰郷』公開である。



本作は、二人の男と一人の女による微妙な三角関係を中心に、共産主義社会に飲み込まれた激動の時代とその終焉を映して見せる。ギリシャ内戦からスターリンの死、ベトナム戦争ウォーターゲート事件ベルリンの壁崩壊。そして21世紀へ。こういった時代の流れと、ギリシャの外で生きざるを得なかった人たちの、時代も場所も超えた再開と別れの物語が描かれている。
国から遠く離れ、いくつもの国境を跨ぎ、それでも故郷へ帰ることを忘れなかった三人は、ようやく故郷へたどり着いても、心の平穏を手に入れていないようにも見える。それは「物語の中にしか生きられない」と言うAや死を望むAの娘も同じだ。「時代から掃き出された」と言う台詞の通り、彼らは見失っている。しかしそれでも、愛だけは、時代も世代も国境も超えていくのだとこの映画は描いているように思う。
原題でもあり、劇中では「時の埃」と訳されている言葉がある。冒頭と最後にこの言葉に関連するセリフがあるが、つまりこれは「過去の記憶」なのだろう。過去の記憶はいつしか見えなくなってしまうが、消えはしない。記憶は積み重なり、過去から現在へ、時に見えなくなりもするが、急にふっと舞い上がったりして、時を超えてそれは降っている。終わりはない。そんな時を超えた記憶への鎮魂歌が、この映画なのかもしれない。



と、わかった風に書いては見たものの、西洋史に詳しいわけではないし、正直よくわからない事も多い。それに個人的には、あまり二人の男と一人の女という関係性にも惹かれはしなかった。しかし、この映画にははっきりと魅力を感じる部分もある。それは、映像面だ。
同じ方向に歩いていく群集。曇天。いくつもの雪の降る景色。長くジグザグに昇る階段。市電内での逢引。パイプオルガンのある部屋。壊れたテレビ達。駅のホームで踊りだす老人たちと廻りだすカメラ。母と子の再開。走り出す老人と少女・・・こんないくつかのシーンが記憶に残る。それは映像として強固なイメージであるのはもちろん、物語上の意味も担っていると思う。残念ながら僕ではうまく説明できないが、どれも時代の流れを感じさせるものではないか。
随所で見られる長回しも印象的だが、特に凄いなと思ったのは長回しの途中で登場人物たちが時間を超えていく演出。老人になった姿そのままで、突然過去の記憶に還っていく。この映画的瞬間としか言いようのない映像のマジック。これは凄いなと思った。もちろんこれも、時代の流れというテーマに即していると言える。あとは終盤の廃墟のシーンね。



はっきり言って、映像面においても良くわからないところはたくさんある。手から出る水であるとか。喧嘩する少年たちであるとか、これは一体どういう意味なのだろうと思うことは多々あった。僕の勉強不足ゆえだろう。なので、この映画を100%楽しんだとは全くもって言えはしない。ただ、上記したような記憶に残る瞬間がいくつかあったというだけで、とりあえず僕は満足だし、他のアンゲロプロス作品もぜひ見てみたいと思わされる。これが遺作だという事で、名を知った時にはもう新作がないというのは確かに残念だが、過去をさかのぼるだけでも偉大な価値がありそうだと改めて認識させられる作品だった。この監督をこそ、単なる過去の産物にしてはいけないのだろう。