リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

最近見た旧作の感想その15

『緋色の街/スカーレット・ストリート(1945)
フリッツ・ラング監督によるフィルム・ノワール作品。長年銀行の出納係を務めてきたクリストファー・クロス(エドワード・G・ロビンソン)は、あるキティ(ジョーン・ベネット)という美女が、ジョニー(ダン・デュリエ)というヒモに殴られているところを助ける。不幸な結婚に疲れていたクロスは美女に惹かれるが、彼女はヒモと組んでクロスを騙そうとしていた。
非常にいやーな映画である。日常の中でひょいと顔をのぞかせた欲望に足をかけたが最後、墜落の階段を転げ落ちていきどうしようもない状況に追い込まれるという悪夢のようなお話。登場人物は誰もが大なり小なりの欲望を抱き、しょうもない見栄を張ったりするという、まさしく人間らしい醜さを持った存在だ。エドワード・G・ロビンソン演じるクロスは、真面目さばかりが取り柄の冴えない中年で、文句ばかり言う妻に反抗することもできない、小心で自分に自信のない男だが夢見がちで、画家になりたいという儚い夢を捨てきれずにいる。そんな男ゆえに美女にコロッと騙されてしまうわけだが、その姿は滑稽でありつつぞっとする。物語だけでなく、画面も暗い影で覆われたまさにノワールといった感じの映画なんだと思う。


※以下ネタバレ


物語も映像も強い力のある映画だが、僕が特にすばらしいと感じたのは終盤の流れである。キティに蔑まれ、裏切られたと感じ彼女を殺害したクロスはジョニーを陥れ、無実の彼を死刑にさせる。クロスは裁判ののち、記者と出会い、そこで「自分自身の中にある法廷」の話を聞かされるが意に介さない。そのころ刑務所では、いわれなき罪で死刑になるジョニーの断末魔が響いていた・・・。クロスが部屋に戻ると、真っ暗な部屋の窓の外でネオンが点滅している。この電気椅子と呼応する光が差し込む中で、クロスは姿なき声に襲われることになる。彼にとって永遠ともいえる刑が、ここで執行される。しかもそれは死刑のような、終りのくる刑ではなく、もはや死ぬことも許さぬ悪夢の刑だ。それが、自分には溶かすことのできなかった女の心を、アイスピックで無理矢理砕いた、愚かな男に対する罰であった。笑わぬモナリザが、クロスの前を通り過ぎる・・・。この終盤からラストシーンにかけての流れ。これは完璧ではないかと、僕は思った。
フリッツ・ラング監督にエドワード・G・ロビンソン主演でジョーン・ベネットといえば『飾窓の女』を連想する。実際、画がキーワードとなる点など共通点は多く、この2作は姉妹編と言えるかもしれない。しかしあちらが文字通りの悪夢としてユーモアも含んだ結末だったのに対し、『緋色の街』は最後まで悪夢から目覚めない。悪夢の中に取り残されたまま、映画は終わってしまう。何と後味が悪いのだろう。ほとんどホラー映画である。しかし、この後味の悪さに浸るのがまた心地いい。
また最近の映画だが、アッバス・キアロスタミの『ライク・サムワン・イン・ラブ』という作品も思い出す。あちらも若い女性に好意を抱いた老人と、若い女性の粗暴な恋人の関係を描いた作品だった。老人が若い男に対しちょっとした優越感を覚えるところのしょうもなさや、それぞれの思いが通じ合わないのも似ている気がする。ノワールはある時代の流れの中で出てきたジャンルだが、何もかもが違うところで同じような性質を持った作品が生まれているというのも面白いなぁと思うのであった。まぁそれはそれとしてこの『緋色の街/スカーレット・ストリート』は、とにかく傑作なのでした。