リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

最近見た新作の感想その19

クリムゾン・ピーク蝋燭のおぼつかない火が暗闇に灯され、そこに赤と緑を基調とした色彩が入り込み、黄色いドレスを着たミア・ワシコウスカがたどたどしい足取りで屋敷の中を歩く時、出来上がるのはダリオ・アルジェント風味のゴシックホラーである。いかにもデル・トロの嗜好が凝らされたであろうアラデール邸の装置と美術、そして地面から血のように滲み、雪を染め上げる赤い粘土質が眠る土地、という設定が何より素晴らしく、物語がそのアラデール邸に移ってからは、俄然画面に力が宿っている。だがこの舞台設定から期待されるほど本作はホラーへと傾かず、そもそも幽霊にしても『デビルズ・バックボーン』と同じく恐怖の対象として存在しているわけではない。彼らは屋敷がため込んだ愛憎と狂気により生まれた悲劇であって、恐怖は幽霊にあるのではなく、屋敷にその禍々しさを溜めこませたジェシカ・チャスティンにあるため、彼女はまるで屋敷そのものを纏ったかのような出で立ちで表れる。だから『クリムゾン・ピーク』とは愛憎と狂気によって生み出された哀しみの物語であり、そもそもにしてホラーは設定上のものであって、物語の中心ではない。しかし『チェンジリング』のように車椅子を出しておいてそれがほとんど機能していないことや、エレベーターという装置にしてもあまり意味をなさなかったのはもったいない。装置として機能していたのは「掘り起こす」機械である掘削機くらいのものであろう。そして最も肩を落とさせたのは、せっかくの立地設定なのに、エドガー・アラン・ポーの『アッシャー家の崩壊』のようにならないことである。もしも館が<深紅の山頂>に呑みこまれるという画が存在していたならば、この映画はそれだけでも価値のある作品になっていただろうにと思うと惜しくてしょうがない。そして最後にもう一つ付け加えておくと、アラデール邸に移るまでが些か長すぎやしないだろうか。しっかりと物語や人物を語りたいということなのかもしれないが、しかしそうはいっても本作はこの屋敷こそが物語の中心なので、そこにたどり着くまではどうしても退屈になる。あの蝋燭を灯したままのダンスシーンがあれば物語の準備は問題ないだろうに、周到なまでに「孤独で変わった人である」という情報を付け加えなければなければならなかったことをして、あぁデル・トロらしいなぁと安心することはできるかもしれないが。

Crimson Peak: The Art of Darkness

Crimson Peak: The Art of Darkness



ボクソール★ライドショー 〜恐怖の廃校脱出!〜』4DXという上映方式を『マッドマックス 怒りのデス・ロード』で体験して思ったのは、「これは映画を見るのではなく、アトラクションとして楽しむ装置だな」ということであり、となれば長編の映画作品を、初見時にこの方式で見るというのはあまりお勧めできない。というのが僕の感想であった。おそらくこれは4DXを体験した人なら皆思うことなのであろうが、ならば、4DX専門の上映とはどういうものであるべきなのか。本作が出した回答は次の通りである。物語をややこしく語るなんてことはせず上映時間を短くし、とにかく徹底的に驚かし、いたずら的に4DXの効果を使うだけの25分間にしよう。ただひたすら登場人物たちと共に動き、水を浴び、匂いをかぎ、驚かすのだ。以上が4DXに対する回答であり、この方法はまさに正解だった。本作は25分間ビックリしたり笑ったりしながら楽しむ、まさに遊園地的アトラクションになっていたのだ。白石晃士監督で少女3人に「例の学校」とくれば、そこに微妙な仲たがいが交じりそうなものの、そんなことは全く起きずシンプルに友情を貫く。またテイストとしては学校の怪談的ではあるのだが、そこに出てくる謎の怪奇や化物たち、異世界についての説明は一切ない。「だってそうだろう?ジェットコースターに乗っていて、一体誰が、何故ここで機体がゆっくりと上がっていくのか、何故ここで急降下するのか、何故最後は水浸しにならなければならないのかを気にするというのか」そんな具合に、映画はライドし続ける。ここで忘れてはいけないのが、本作は3人の女の子たちによるアイドル映画としての魅力も持っている点だ。制服のままプールへドボン。怪物に引きずられていく様子を、その引きずられている少女の腰辺りににカメラを置いて生脚をしっかりと画面に収めたショットなど、サービスもしっかりしている。上映時間の速さゆえか、流石にカメラも急ぎ過ぎに感じられ、見づらい部分も多いのは難点であるが、椅子が動きこれでもかと水をぶっかけられる楽しさは満喫できる作品だったと思う。個人的にはカメラが少女たちに近づくといい匂いが漂いだす、という仕掛けが、しょうもなさ過ぎて最高であった。