リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『インターステラー』を見た。

宇宙、それは最後のフロンティア

マシュー・マコノヒーアン・ハサウェイマイケル・ケイン、ジャシカ・チャスティン、ケイシー・アフレックらが共演する宇宙を舞台としたSF映画。監督はクリストファー・ノーラン


異常気象と食料難による地球の危機のためトウモロコシ栽培を営んでいるクーパー(マシュー・マコノヒー)は、娘マーフ(マッケンジー・フォイ)の部屋で起こる奇妙な現象がどこからかの「信号」であることに気づく。その「信号」を解読し、とある座標を突き止め車を走らせた父娘はたどり着いた先は、NASAの秘密研究施設であった。NASAは地球以外の人類が居住可能な惑星を探す計画を進めており、クーパーはもともと優秀なパイロットであったことからも、計画への参加を勧められる。未だ消えぬ宇宙への夢か、愛する子供たち過ごすか。苦渋の選択の末、「必ず帰る」と約束しクーパーは宇宙へと旅立った。しかし宇宙には想像以上の困難が待ち構えていた・・・

宇宙物理について研究している友人曰く、「ワームホールブラックホール重力レンズ降着円盤を理論的に正しく映像化しているだけで射精できる」とのことであり、僕にはさっぱりわからないが本作の映像は学問的にも目を引く物なのだろうし、それを知らずに見ていても単純に宇宙での映像は「へぇ、こいうものなのか」という驚きがあるし、理論的な説明が必要な現象をわからせる手腕はやはりクリストファー・ノーラン、流石だと言えるように思う。
とはいえノーランはこのように正しさを重視しながら、多くの部分でリアリティを無視している。もちろん映画とはそういうものであり、そもそも「アポロ計画は嘘であったと学校の教科書に載っている世界」だという時点で、この映画はリアルかどうかではなくノーラン的世界観に基づく映画だと思って見る方がいいのではないか。ちなみにそのノーラン的世界観とは計画やロケットの名前から登場人物の行動、台詞までいちいち意味づけされている寓話世界で象徴の色合いが強く、一見リアルで考証されていそうだとしてもそれは当然、リアルでないことが多い。理論や意味づけ、考証、それにフィルムや実景での撮影はノーラン的世界観を強固にし「本当らしく見せる」ための手段であって、目的はあくまでその世界の中でエモーショナルな物語を語ることだろう。



では今回ノーランが描きたかったエモーショナルな物語とは何かと言うと、それは宇宙に希望を託した人間の大いなる夢と、時間も空間も隔てた愛の偉大さであると思う。それを物語るのにふさわしいとしたのが神秘性を秘めた宇宙であり、本人曰く「内向的になった現代が誇張された地球」なのだろう。本作は考証よりもこれこそが重要なポイントだろう。しかし僕はこの部分がそこまで好きになれなかった。『ダークナイト ライジング』もそうだが、内から外の世界に出ようとするときに見せるノーラン的世界観は、確かに感動させられないわけでもないのだけれど、イマイチ乗り切れない。これは僕が『ダークナイト』や特に『インセプション』のように内部へ入り込む映画が好きと言うのもあるが、思うにノーランは、外部へ向かうのがうまくいく作家ではないのではないか。
ノーランは良くも悪くも頭でっかちな部分があり、知性でコントロールされた物語や意味を語るのは得意かもしれない。またビジュアルそれ自体を作り出すのも得意だと言って差し支えないと思う。しかしそれが画面の広がりや躍動感となると、その点に関してノーラン巧いかどうかは疑問だ。この物語がいくら宇宙という広大な世界へ飛び出しても、映画自体は広大になったような気がしない。宇宙へ行かずとも画面の世界をぐいぐい広げていける監督もいるがノーランはそういうタイプではなく、それなのに物語ばっかり広大になっていくところに、僕はちぐはぐさを感じてしまったのかもしれない。監督の伝えたいことだけが先行してしまっている感じなのだ。



僕がこの映画で一番エモーショナルというか、心踊った瞬間というのは外向的=宇宙の場面ではなく、地球上においてトモウロコシ畑を車が突っ切っていく場面。ここの僕はいちばん心惹かれた。ここではホイテ・ヴァン・ホイテマのカメラによって、画面が広がり動き出す瞬間を気持ち良く見せることに成功している。
対照的に一番ズッコけたシーンは氷に覆われた惑星においてマット・デイモンと格闘する場面だ。宇宙服を着たままただ殴りあう姿のなんたるズンドコファイトっぷり。しかし今思い返せばこのシーンは全く嫌いではない。むしろ、チャームポイントですらある。マシュー・マコノヒーがポーチに佇む姿からも分かるように、本作は西部劇なのだ考えればあの殴り合いは必然だし、そもそもこの物語は『怒りの葡萄』のようでもある。ダストボウルについてのドキュメンタリーを参考にしたということからも両者は似ていて当然だが、主人公をカウボーイ風にしたのはやはり、ノーランの頭に西部劇があったからだろう。なのでこれは現代の開拓物語であり、そして同時に『怒りの葡萄』が参考にしたという『出エジプト記』であり、『ダークナイト ライジング』でもそう呼ばれたように、神話的であるとも言えるかもしれない。
また先ほどの話で考えれば、マット・デイモンはまさしく内側に向うキャラクターだと言えよう。他のキャラクターが感傷的で饒舌になっている中、あまりにもどうしようもない彼の行動だけは、真に心に沁みた。あの「天才」マット・デイモンがこれを演じているというのも非常にポイントが高い。



というわけでノーランの熱い想いはビンビン伝わってきた気はするし、マシュー・マコノヒーを筆頭に役者の好演やところどころのポイントで面白がることはできたので、全体を通せば個人的にはぶっちゃけ「普通」としか言いようのない映画ではあったんだけど、まぁ、良いと思います。最後に、パンフレットは文字数が多くてなかなか充実していてよかったです。