リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『ジュラシック・ワールド』を見た。

夢にまで見た夢
1993年に第1作が公開されたシリーズの4作目。監督は本作が長編2作目となるコリン・トレボロウ。主演はクリス・プラットブライス・ダラス・ハワードヴィンセント・ドノフリオ、B・D・ウォンら。


高級リゾート施設「ジュラシック・ワールド」に二人の少年がVIPとして招待された。彼らはこのパークのマネージメントを担当するクレア(ブライス・ダラス・ハワード)の甥っ子で、数日間の間、フリーパスを使い自由に施設を見学することを許されたのだった。クレアら経営陣はパークの利益の為、遺伝子の組み換えによって新たな恐竜を作り出していた。その結果生まれた個体、インドミナ・レックスは予想をはるかに上回る凶暴性を有しており、その対策の為クレアは、元軍人で現在はパークに居るヴェロキラプトルの調教をしているオーウェン(クリス・プラット)に助言を求める。しかしオーウェンがインドミナス・レックスのいる檻へ行くとそこには脱走した後があり・・・

全ての始まりはスピルバーグである。物心付いたころに見た『ジョーズ』や『インディ・ジョーンズ』、そして『ジュラシック・パーク』によって僕は映画の面白さに触れ、普段の生活レベルにおいても影響を受けたように思う。例えばオールタイムベストの1本でもある『ジョ−ズ』なら、恥ずかしい話だが僕は未だに海が怖い。それどころかたまに水に入ることが怖くなる。家の狭い風呂の中でさえ、ふいに鮫が襲ってくるという妄想をしたくもないのについついしてしまうのだ。しかし同時に一番好きな生き物は鮫であって、ほとんど覚えてはいないのだが、小学生の頃自分の好きなものを調べてそれについて発表するという授業では、鮫について調べた覚えがある。
そして『ジュラシック・パーク』シリーズ。その1作目はVHSで何度も見返し、そのたびに面白がっていた。しかし『ジュラシック・ワールド』を劇場で見ることのできなかった僕としては、2作目の『ロスト・ワールド』の方が思い出深い作品なのである。僕が持っている映画グッズで最も古いものは、おそらく小学1年生の頃に公開された『ロスト・ワールド』のパンフレットとメダルだ。パンフレットには登場恐竜紹介のページがあり、よくそのページを下敷きに模写していたため、未だに線の跡が残っている。また当時はNHKで古代生物特集をやっていれば必ず見ていたし、「恐竜サウルス」という雑誌も夢中で読んでいたりして、各方面からすっかり恐竜に夢中な時期があった。ちなみに「恐竜サウルス」の創刊号には確か緑と赤の立体メガネも付属されていたため、僕はこの時初めて3Dに触れたのではないかとも思う。そしてそういった紙や映像の情報だけでなく、疑似的とはいえ生の体験をすることもあった。博物館のことではない。僕の家のすぐ近くには自然公園があり、いつでも原生的な森の中へ入ることが出来たのだ。言うまでもなく、ここは格好の妄想ポイントだった。幾らか森を進んだ先には、誰が言い出したか「ゴジラの池」と呼ばれる池もあった。高校生の時分に立ち寄ってみたところ、こんな小さい池でゴジラが出てくるはずはないと少々落胆したものだが、森は相変わらずだった。そんな幼少期を送っていた僕にとって、スピルバーグはスターだった。スポーツ選手や役者よりもまず、スピルバーグという名を覚えた。未だに映画館へ通い続けているのも、その全ての始まりは、スピルバーグだった。



前置きが長くなってしまったが、そんな体験をしてきた僕にとって本作、『ジュラシック・ワールド』はご褒美のような映画だったと言える。作品中には色々な記憶を刺激するアイテムや展開が豊富に用意されている。その一つ一つについて語るもの素晴らしいだろうが、最も重要なことは、過去作ではついに日の目を見ることのなかったあのテーマパークが開園したということなのだ。誰もが行きたがったあのテーマパークをついに作り上げてしまった。その喜びこそ本作で最も素晴らしい点で、聞きなれたテーマソングと共に扉が開けられ、眼前に多くの人で混みかえすパークが広がった瞬間、涙を抑えることが出来なかった。それはかつて『ジュラシック・パーク』を見た僕が夢にまで見た夢の光景なのだ。14年ぶりの新作というタイムスパンがまた涙腺を刺激する。実際に経過した時間の流れが、本作に対する感慨をより深いものにしてくれているのだ。恥ずかしげもなく自分の思い出話を書いてしまったのも、本作が思い出を刺激するように作られてたからなのだ。
では過去作を見ていない人は楽しめないのかというと、もちろんそういうことではない。本作は夏に見るパニック・アドベンチャー映画として十分に面白い作品だ。ある二人の少年がテーマパークでの興奮と恐怖の冒険の果てほんの少しだけ成長し、大人たちもまた成長する。監督のコリン・トレボロウは前作『彼女はパートタイム・トラベラー』で理解も信頼もできない人物との交流・理解とそのことによって起こる未来への前身を描いたが、本作でもこのテーマは必要最小限の中で描かれている。



だが重要なのは人物描写ではない。本シリーズの主役は実際のところ人間ではなく恐竜なのだから、恐竜が魅力的に見えなければ話にならないのだ。本作でいえば、ハイブリットの新品種であるインドミナス・レックスの描写が中途半端では話にならないのである。この恐竜は凶暴且つ巨大で、執拗に、そして狡猾に襲い掛かってくるのだが、ここで見逃せないのは「爪」の描写である。タイトルが出るシーンからしてまず「爪」は強調して描かれ、また壁から脱走したと思わせる場面でも「爪」による傷痕を観客は見ることとなる。次に「爪」が強調されるのは、少年たちが球体状の回転する乗り物(ジャイロスフィア)に乗ったまま襲われる場面だ。ここでも少年たちは「爪」によって恐怖を味わうこととなる。そして「爪」は、インドミナス・レックスが捕食の為ではなく狩りを楽しむ為に他種を殺していることの象徴としても扱われているのだ。何故ここまで「爪」が強調されているのかといえばそれはもちろん恐怖や暴力を印象付けるためでもあるが、同時にある展開の伏線ともなっている。このあたりはなかなか巧い。
「爪」に対する恐怖をもとに、インドミナス・レックスは圧倒的暴力性と破壊で見る側に驚きを与える。しかし本作における恐竜の描写というのはスピルバーグが恐怖を交え巧妙かつ周到に行った『ジュラシック・パーク』的なものではなく、どちらかというと2005年版『キングコング』と同じく大胆な怪獣映画として撮られていたのではないか。これについては『ロストワールド』『キングコング』『ゴジラ』といった作品群で円環する話でもあろうが、つまり本作『ジュラシック・ワールド』は大見得を切る大迫力の怪獣映画だということなのである。特に最後の「対決」は本当に最高で、『ジュラシック・パーク3』を踏まえて見たいものを見せてくれるという点でも素晴らしいし、恐竜の周りをぐるりとカメラが回ったり長回しの中で人間が横たわり、移動する様をその流れに入れ込んで見せている点が良い。
ちなみに初めに書いたように『ジョーズ』主義者としては過去作で水生の恐竜が登場しなかったことが少々残念だったのに対し、今回は少ない出番とはいえモササウルスが登場したのも嬉しい。そして嬉しいことといえばもう一つ、瀕死のアパトサウルスアニマトロニクスによって作り出されているのには感動した。これはおそらくシリーズへの敬意であろう。



というわけで十分に満足できる作品ではあったわけだが、僕はこの作品を手放しでほめるということはできない。一つ大きな不満点があるからだ。小さいことでは色々と、例えば悪役に当たるキャラクターが分散しているという脚本上の不満。あるキャストのあまりに悲惨な結末。園内に居る人間たちが無傷すぎてもう少し地獄のような光景を見せてほしいとか、僕の好きなラプトルは人間に味方などしないとか、そういったことはまだ細かい話だ。僕が最も不満だったのは、もっとテーマパークの楽しさを見せてほしかったということである。
本作では割と早い段階でインドミナス・レックスが暴走する。そのためジャイロスフィアでパークを駆けたり、川下りをしつつ恐竜を間近で観察するというシーンが、インドミナ・レックスを捕獲しなければいけないという緊張感と同時に描かれてしまっている。だが冒頭にも書いたように、ここは夢にまで見た夢のテーマパーク。もう少し時間をかけてでも、このパークがどれほどの夢の結晶なのかということを描いた方が良かったのではないか。いいだけ楽しんだ後の夕食には、豪華なホテルで緑色のゼリーを食べるシーンがあってもよかったはずなのだ。その方が、あれだけ楽しい場所だったのにという落差ともつながり効果的だったように思う。本作は「あのテーマパークがついに開演」という、リメイクでもしない限り一回しか使えないようなことをやっているというのに、この設定を十分に生かしきれなかったのではないか。もしそこさえ完璧であったならば、諸手を挙げて僕はこの作品を喜んでいただろうにと思うと、残念で仕方ないのである。