リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

『グリーンブック』を見た。

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ジム・キャリーはMr.ダマー』『メリーに首ったけ』などで知られるファレリー兄弟の兄・ピーターが監督・制作・共同脚本を務めた作品。主演はヴィゴ・モーテンセンマハーシャラ・アリ。第91回アカデミー賞において作品賞、助演男優賞脚本賞を受賞した。

 

 

1962年。ニューヨークのナイトクラブで用心棒をしているトニー・リップ(ヴィゴ・モーテンセン)は店舗改装のため一時閉店となることから、新たな職を探していた。そんな折、運転手の仕事を勧められ面接へと向かうと、彼を待っていたのは黒人ピアニストのドン・シャーリー(マハーシャラ・アリ)であった。ドンは2か月後のクリスマスまでに各地でコンサート開催する予定となっており、その運転手と身の回りの世話係を探していたのだ。トニーは身の回りの世話までしなければならないという条件に反発し交渉は決裂する。しかし、ドンとしては差別意識の強く残る南部でもコンサートを開催することから腕っぷしが強く口がうまいトニーをどうしても連れていく必要があるため、条件を変更。かくして二人は旅に出ることとなるのだが・・・

 

 

このグリーンのキャデラックが運ぶ心地よさを否定してはならない。確かにこの車には重い荷物が乗っている。けれども、そのことについて殊更強調したりはせず、立派なお題目を脇目に軽やかな走りを見せているからこそ、この作品は素晴らしいのである。この軽やかさは反復と差異を細やかかつ流暢に処理していることによって生み出されているのだが、その演出上の巧さを、生身によって画面に定着させたヴィゴ・モーテンセンマハーシャラ・アリという二人の俳優抜きにして語ることはできない。『グリーンブック』はまぎれもなく彼ら二人の振る舞いによって語られている作品なのだ。

 

 

例えばヴィゴ・モーテンセン演じるイタリア系の用心棒、トニー・リップは図体のでかさにもまして、冒頭から手を汚すこと、隠すことが強調されている。彼は用心棒として殴ることもいとわないし、有力者の信頼のためならば帽子を隠し平然と嘘をつく。消火栓を隠し、黒人が使ったコップを隠す。対してマハーシャラ・アリ演じる黒人のピアニスト、ドン・シャーリーは毅然とした態度を崩さない。他人に対し下手には出ず、自らの手はピアノのためにこそあるというかのごとき態度を保つ。旅に出てからも、トニーはまずサンドイッチを手づかみで貪り、妻がドンのために用意した分も食べてしまう。立ち寄ったスタンドで翡翠の石を盗む。しきりにタバコを吸う。警官を殴りつける。ドンはそれらの行動を咎め、正すが、自らの手を汚す羽目になることは嫌っている。

彼らの性質によって繰り返されるこれらの振る舞いは、しかし変化もしていくこととなる。例えばフライドチキンについて、はじめドンは「手が汚れるから」と嫌がっていたのにトニーに押し切られ、手づかみで食べて窓から骨を捨てまでする。ちなみにここではお互いに水平の動きで骨を捨てるも、紙コップまで捨てたトニーの行動を正すときには車をバックさせ縦の動きに変えており、他にもいくつかのシーンで縦は主従関係として活用されている。またトニーが妻に手紙を書くシーンでは、彼が背中を丸めることでその大きな体がますます強調されていて面白いのだけど、ドンはその時手をこそ使わないものの、言葉遣いを指示することでどこか共同作業のようになっていくのである。またアラバマ州での最後のコンサートにおいて、あれだけ冒頭から食べることにこだわってきたトニーは、食べることをやめて会場を後にする。そして小さなジャズバーへ移動し、こだわりのピアノ以外でドンは演奏をする。その後強盗目的で車の陰に隠れていた男をトニーは隠し持っていた銃で追い払う。長時間の運転で疲れたトニーに変わり、ドンが自ら運転をし、売り場に戻していたと思っていた翡翠の石を見つける。トニーの書いた手紙について彼の妻がドンに感謝をする。こういった手を汚すこと、隠すことに関するもろもろの変化はやや作為的すぎるきらいもあるが、二人の手の先から身体つきに、歩き方まで含めた振る舞いの見事さによってこともなげに要素を拾ってまとめ上げる上品さをこそ、僕は評価したいのである。

 

 

さてしかし、このような変化を通して友情が成立し、さぁ良かったね、という話では終わらない。というのも、このキャデラックが運んでいる荷物の重さには、人種問題と絡み合う形で、孤独な魂という視点も含まれているからだ。そのことはまず、エンジンの故障により立ち止まった場所で、農作業をする黒人たちを見つめるドンの視線に現れている。ここでも手を汚す黒人たちと運転をさせているドンという対比が生まれているわけだけれども、これは彼が黒人社会とも白人社会とも相容れぬ存在であるということであるのだ。またバーでの暴行やシャワー室の真相、雨の中の告白などはドンの隠し事として語られており、彼は差別的なことについては意見を述べるものの、自らの帰属意識についてはあまり語らず、孤独にカティサークを飲むばかりなのだ。トニーはその点、家族という根がしっかり張っている。そもそもトニーにとってこの旅は家に帰るための旅であるのに対し、ドンにとっては立ち向かうための旅であるという点で彼らには大きな差がある。最後にジャズバーで演奏して喝采を得た後に強盗に襲われそうになるのは、銃の登場、いい話で締めないという狙いとは別に、結局彼がここには馴染めない存在なのだと、再度語っているということでもあるのだ。

 

 

その点について決定的な解決はないまま家路へ向かう彼らに雪が降り注ぎ、警官からの温かい言葉と家族が待ち受けているという結末は、クリスマス映画であることを意識させるに十分なプレゼント的展開ではあるが、これは甘さとして批判されるようなものではない。むしろ一度質屋の老夫婦を挟んでからドンを招き入れ手紙についてオチをつけるという軽やかに全体を包み込む上品さこそ評価すべきなのであって、この上品さは、露出狂的に意見をさらけ出し押し付けるような作品よりも遥かに巧く、そして称賛されるべきものである。アカデミー作品賞を受賞した作品の中では久々の良作。

 

Green Book (Original Motion Picture Soundtrack)

Green Book (Original Motion Picture Soundtrack)

 

 ちなみにヴィゴ・モーテンセンは小学生の頃に『ロード・オブ・ザ・リング』を見て初めて好きになった俳優で、『イースタン・プロミス』以降あまり好きな作品はなかったのだけれど、本作は久々に良くて嬉しかった。