リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

最近見た旧作の感想その43

黒い下着の女 雷魚(1997)

ひどく寂れた小舟に乗った男が、工業地帯近くの田園を隔てる淀んだ運河で明け方に魚を取っている。そんな、うすら孤独でぬかるんだ風景の素晴らしさ。そういえば瀬々敬久監督は、まぁあまり見たことはないのだけれども、少なくとも僕の見た作品はどれも風景が素晴らしい作品であったことを思い出す。それにしても『雷魚』は、どのショットも「見よ」と言わんばかりの力の入りようで、例えば極端に低い位置から撮ってみたり、もしくは画面手前に何か物を配置し層を作り出したり、あるいは画面の端にポツンと人を置いてみたりと、あまり物語の進行とは関係がないのだけれど、一つ一つのショットが絵になるものばかりだ。

しかしそれにもまして印象的なのはフレーム、例えば窓や鏡、もしくは電話ボックスなど画面内に現れる枠でである。赤が鮮烈に映えるラブホテルの殺人も、それが室内窓越しに起こるということが最も印象的であった。さてこの枠は主に、佐倉萌演じる主人公・紀子を取り囲んでいる。病院から抜け出した彼女はまずバスの中、不自然に画面中央に配されたポールによって囲われているし、その後も美容院の鏡、電話ボックス、そして例の室内窓と、さまざまな枠に囲われる。車の中に一人でいるシーンも3度ある。殺人を犯した後も同様、取調室では扉の小窓で囲われ、また死にざまは鏡という枠の中に収められる。はじめからコルセットで体を締め付けられていた紀子は、病室から抜け出しても常に枠に囲われ、結局行き場のないまま、最後には首を絞められ死ぬこととなる。

彼女の遺体は、竹原(伊藤猛)によって小舟ごと燃やされる。そこには自殺を幇助するようにして紀子の首を絞めた彼なりの、弔いの意図があったのかもしれない。あるいは、生きている間はついぞ果たされなかった解放を意図しているといえるかもしれない。しかし、狭いどぶ川の対岸にとどまってごうごうと立ち上がる黒い煙を見て僕が思ったのは、ただ単に、死体が手元を離れ流された、というものであった。

それはこの作品の持つ性質に由来する。例えば乗り物を乗ること、電話をかけること、工場の煙があがること、火葬場から煙が上がらなかったこと、鳩を捨てること、雷魚を捨てること、堕胎したこと、させたこと、殺すこと、殺されること…などなど、『雷魚』では風景や人物の動作、あるいは言動などが、何度も変奏される。紀子を囲う枠も当てはまるだろう。さてこれはあくまでも個別の出来事であって、閉塞感漂う空気のもとで同じ風景やキーワードを背負ってはいても、個々人を結び付ける契機とはならない。画面に登場する点は線にならず、ひたすら点である。これが、本作における性質だ。

中でも服装の変遷は特に注目に値するだろう。はじめ、黒い下着と白いコルセットをつけた女の病室には黒い服と白い花が置かれている。病室を抜け出した女はまず黒い服に身を包むが、テレクラで出会った鈴木卓爾を殺害した後、彼女は白い服に着替える。再び病院へと連れ戻されると今度は赤い花が部屋に飾られており、次に彼女は赤い服を着る。花と彼女の間には何の繋がりもない。しかし、画面上における色の移り変わりという点においては関連性がある。

この変奏というのは心理とは関係ない。閉塞感に包まれた磁場が引き起こすただの偶然の産物で、繋がりなどは期待されない。だから死体を燃やすという行為もその磁場における正常な動きとしか思えなかった。むしろ、すぐ動きを止め風によって地面を追うように流れる煙は解放や昇華といった印象を打ち消し、閉塞感を強調しているように見えたのだ。こう考えると、生き残った伊藤猛が電話ボックスの傍で赤い傘をさす女(のぎすみこ)と一緒に雑踏の中へ消えたあとのことについても、おのずと想像がつくだろう。

こんな画面の統一感は素晴らしい。黒く淀んだ、一縷の希望すら見えない空はいつだって最高だ。だが一方、画面内で起こることの、その中にいる人物たちの行動には物足りなさを感じた。何か一つ、はっと思わせるアクションがあればよかったのだけれど、空気に支配された緩慢さが目立つばかりで、そこが少し残念だった。 

 

『呪怨 呪いの家』を見た。

今は昔・・・

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2000年にビデオ作品として発売され話題となり、のちに劇場版の制作、そしてシリーズ化されたJホラーを代表する『呪怨』シリーズの最新作でNETFLIX配信作品。監督は『きみの鳥はうたえる』などの三宅唱。脚本は『リング』など数多くの作品を手掛ける高橋洋と、Jホラー躍進の立役者である一瀬隆重。 

 

1988年。心霊研究家の小田島(荒川良々)は自身の出演するオカルト番組にて、タレントのはるか(黒島結菜)から「自宅で謎の足音が聞こえる」との体験談を聞く。録音してみては?というアドバイスをしたところ、後日事務所にテープが届いた。早速再生してみると、足音のほか、人の声のようなものも録音されており、さらにはるかは、最近恋人・哲也(井之脇海)の様子がおかしいと言う。哲也は結婚後の新居を探しており、地元で「猫屋敷」と呼ばれる一軒家を訪問したのだが、そこで「何か」を見たらしい。別の日、その「猫屋敷」で肝試しをしようと高校生の少女たちが集まっていた。その中の一人、聖美(里々佳)は最近越してきたばかりで、同級生に連れられるままその家へと足を踏みいれるのだが・・・

 

ちくま学芸文庫より刊行されている『幽霊名画集』に収められた諏訪春雄の論考によると、幽霊画において足が失われたのは早くは1600年代に書かれた古浄瑠璃の挿絵であるという。また足が描かれなくなった理由については、死者など超越的存在の乗り物として雲が使われていた影響か、地獄で亡者に手足を切り取られると信じられていた名残からであると考察している。さらに同書における河野元昭の論考によると、優れた幽霊画を残し後世に影響を与えた円山応挙が幽霊を無脚の存在として描いたのは、先行の幽霊画に倣ったか、白居易の詩にも登場する反魂香(立ち上がる煙の中に亡き人が表れる香。その煙により足は隠れることとなる)を意識していた可能性が高いからとしつつ、しかし重要なのは、普通の美人画のようでありながらも足を消失させることで霊的存在としてのリアリティーを具える、応挙の画風にあると論じている。

こうして無脚幽霊は生まれ、その認識は広まり、美術など知ろうはずもない平成生まれの僕にとってもごく自然に共有されていた。そして令和の時代に撮られた『呪怨 呪いの家』もやはり、幽霊とその足の間に重要な関係性がある作品であった。しかしここでは足は消えておらず、まるで胴体から切り離されたような、むしろ足という部位そのものの生々しい感覚をもって登場している。

 

 

幽霊の足は第1話から強調されている。はるかと哲也が自宅で幽霊と遭遇するシーンでは、幽霊はまず足のアップによってその存在を画面に現わし、続いて上半身のショットへ続く。続いて足が出てくるのは第3話で、ここでは幽霊の全身像は見えず、その存在はアップの足によってのみ提示されている。第4話も同様だ。このような足に対するこだわりは、本作の脚本を担当している高橋洋のモチーフであろう。それは監督作『霊的ボリシェヴィキ』や、脚本家としての代表作『リング』から想像できる。切り取られた幽霊の足は本作においても非常に不気味である。しかしより興味深いのは実は、生きている人間の足である。本作においては生きている人間の足もまた、画面上において胴体と切り離されるように映し出されている。

そのことが最もわかりやすいのは第2話冒頭の、聖美が性的暴行を受けるシーンであろう。ここでは呪いの震源地たる家で暴行を受ける彼女の、反抗する足だけが扉の隙間からその姿をのぞかせている。この悲劇は呪いの因果にとらわれるきっかけとなる出来事であり、実際聖美にとってこの日をきっかけに二度と元には戻れなくなるのだから、胴体から切り離された足のショットは、この世ならぬ存在と同期したこと、つまりは呪いを受けたことを示すものだといえるのではないか。

足のみのショットが意図せぬものであるとか、もしくはフェティッシュな欲望からくるものではないことは第5話との比較によって語りえる。因果にとらわれた聖美が自宅で客を取っているシーンにおいて足は、というか首から下はカーテンによって意図的に隠されており、しかもその後の切り返しによる視点では、そこにいるはずのない子・俊樹がカーテンに隠れる位置で座っている姿が見える。ここで聖美は、俊樹をかの家で受け取ったと話すのだけれど、その俊樹と聖美の首から下が、同じようにカーテンによって隠されているという類似は見過ごせないように思う。

このほかの人物の場合はどうかというと、例えば聖美を暴行した3人の少年、少女たちもやはり下半身は切り取られており、それは第1話、家に侵入し、「ここにする?」「ベットとかないの」と企ての輪郭が浮かび上がる会話シーンにおいてであって、ここでシーツのかかったテーブル下に置かれたカメラは、4人の足のみを映し出している。後に少女達は失踪、そして少年・雄大(長村航希)は聖美に引き寄せられ彼女の母を殺害し、最終的に聖美によって殺されることとなる。なお、雄大が風呂場で窒息死させられるシーンは第2話の反転というべきか、抵抗する足だけが湯船から外に出ている。

そしてそもそも本作の冒頭、つまり第1話最初のシーンを思い返してみると、主人公である小田島が初めて画面に映るシーンでも、彼の姿は窓にかかったブラインドにさえぎられ事務所へと向かうその足のみが画面に映し出されているではないか。のちに小田島は呪いの家とゆかりの深い人物であることが判明し、語り部としての役割を背負わされることとなる。

このように多くの登場人物が呪いの家と関わったことで下半身を切り取られているわけだけれども、興味深いのは幽霊の足を見る人物と、画面上で足を切り取られている人物はほとんど対応していないという点だ。それがなぜなのかは正直よくわからないが、足を見る人物たちは早々に消え去るのに対し、切り離された人物たちはたんに死ぬということ以上に長い年月をかけて人生を決定的に捻じ曲げられてしまったように思え、つまり高橋洋がいくつもの脚本・監督作品で描いてきた決定的に不可逆的な体験、触れてはならないものに触れてしまう恐怖、狂気への一本道へ陥っている。またおそらく、呪いの家を中心とした恐怖の合間に現実で起こった事件・事故が語られているのも、やはりそれらの出来事が社会にとって不可逆な衝撃をもたらしたからではないか。カーステレオやテレビといったメディアを通じて語られるのがマブゼでいかにも高橋洋らしく、単に時代の記号である以上に、たがが外れたような空気の蔓延を演出しているようだ。もちろん実際の出来事と呪いの家の間には何の関係もない。しかしこの作品内ではまるでそれらが反響しているかのように、不可逆な世界観が創出されている。

 

 

だから本作には、『呪怨』を象徴する伽耶子や俊雄は登場しないのであろう。彼らは直接人間に襲い掛かるが、今回の幽霊は人を襲わない代わりに長きにわたる呪いを授ける。その呪いを実体化させたものの一つが赤子なのだけれど、これはおそらく、難産により亡くなった女性の怨念から生まれる、ウブメという怪異が原型となっている。『山の人生』によると、ウブメは畔に出現し赤子を抱いてくれと呼び止める怪異で、その結果は言い伝えによりさまざまであるようだが、『今昔物語』の昔から語られていたようだ。また中国の『夷堅志』という志怪小説には「餅を買う女」という、死後出産した女の霊にまつわる話があり、それが日本では「飴買い幽霊/子育て幽霊」として翻訳されたという。さて、本作において幽霊から赤子を受け取ったと思われるのは小田島と聖美である。そして妊婦と胎児の死という点ではやはり千枝(久保陽香)の存在が大きい。彼女の結末は現実に起こった2つの事件を組み合わせているから古典的物語と安易に結びつけるのは気が引けるけれど、とはいえ本作は実録犯罪と呼応しつつ、かつ伝統的な怪談と結びつき、一度生まれた呪いは埋葬や供養などで消えはしないという視点において『リング』と同様のJホラー文脈にも則っており、総合して新しい翻訳がなされているといえよう。ちなみに『リング』との相似でいうと電話も外せず、都合を無視し一方的にかかってくる電話の暴力性が、今回まさに暴力として表現されていることについては大変感動した。

もう一つ伝統的だと思える表現があって、それは照明だ。先に述べた第1話の、哲也が自宅で幽霊を目撃するシーンでその出会いはまず開いているはずのない扉によって予感され、次に、誰もいるはずのないその扉の先にあるオレンジのライトが灯ることで、尋常ではない事態だと明らかになる。諏訪春雄によると、幽霊は灯火を頼りに他界から出現し、またその明るさに導かれて他界へ戻るという。迎え火や送り火、灯篭などがなじみ深いものであろう。本作においては暖色のライト・照明がその役割を果たしていて、全話数にわたり印象的な色を残している。例えば第1話の最後、聖美が暴行されるシーンでは、彼女の周囲が急にオレンジ色に包まれる。どうやら窓から差し込む夕日の明かりらしいけれど、それまでの薄暗い雰囲気からは唐突な変わりようであるため驚かされる。次に第2話。ここで最もオレンジが印象的なのは聖美の母を殺すシーンだけれども、他にも哲也の死を電話で聞かされるシーンや、彼の葬式、そして聖美への暴行を手伝った少女たちの顛末など数多く確認できる。第3話は勿論、『インシディアス』のオマージュも見られる降霊術においてで、これは最終話でも繰り返される。最も目を覆いたくなる展開が待ち受ける第4話では、まさにその目を覆う殺人が行われるとき、画面はオレンジに染まっている。第5話の雄大が風呂場で殺されるシーンもまた不思議で、薄暗く青い照明が支配する室内とは全く別に、浴室の窓からは暖かい光が点滅するように差し込んでいる。それぞれ、幽霊を登場させるものからその予感や余波を感じさせるものまで幅広いけれども、いずれにせよ本作においてオレンジの照明は、決して温かみを感じさせるものではないということがわかる。

 

 

さて、ここまで長々と書いてきたけれども実際のところ僕は『呪怨 呪いの家』に対し、面白いけれども若干期待外れであったと感じている。というか、単純にあまり怖くない。おそらく、つながり過ぎているから怖いと思わなかったのだろう。つまり、本作で人が人を殺すときその背後に呪いの影響はあるものの、彼らなりの理由もまた存在している。例えば千枝とその子の死はショッキングに思えるが、憎しみを買う平凡な心理的理由が付与されていることで呪いの強度は目減りする。もちろん聖美の母や雄大もそうだ。聖美がすべての始まりの部屋で写真を並べながらさめざめと涙をながすシーンなど、その理由がとてもよくわかるがゆえ、悲劇ではあっても怖さは感じない。小田島が生かされている理由もわかりかける。つまり本作においては呪いに意味や心理が加えられていくようで、そうなると個人的にはあまり怖さを感じない。これが例えば近年最高のホラー『ジェーン・ドウの解剖』ならば、呪いの根源はわかるけれども、それが降りかかる人間には何の意味も理由も付与されない。だから怖い。

家は怖い。特に最終話、素晴らしい編集によって過去・現在・未来が入り交じり突如人間が蒸発するこの時間の消えた空間は全く理解不能だが、故に明らかに異界であり忌まわしいために怖い。もちろん腹から出てくる電話もそうだ。これについては後になぜそうなったのか理由めいたものは語られるけれども、その理由もまた常軌を逸しているのが素晴らしい。第2話で公園の奥に見えてはいけないものが見えるシーンも素晴らしい。ここはまず画面内に2本のポールが立っているという垂直方向の配置も素晴らしいが、なにより、なぜそこに立っているかについては何の説明もなく、ただ居てはいけないものが居るから怖いのだ。そういうものを僕は好む。

余談だが、母を殺した後に聖美と雄大が夜の道を歩いていくシーンや千枝を殺し子を埋めた後血だらけの姿で早朝の街中を徘徊する圭一(松嶋亮太)の姿は良かった。この辺は三宅唱監督の感覚だと思う。

最近見た旧作の感想その42~2020年上半期旧作ベスト~

コロナ禍よりも、転勤により目まぐるしい日々を過ごしていたことが原因で鑑賞本数の減った2020年上半期。家に帰っても眠気に襲われるばかりで、引っ越し後の荷ほどきもいまだ完了せず、何をして生きていたのかほとんどわからない、まるで仕事以外の実人生がすっぽり穴に落ちてしまったような数か月を過ごしていた。そんな時期を含めた上半期の旧作ベストについて、順不同で書き連ねていきます。

 

 

『麻薬売春Gメン 恐怖の肉地獄』(1972)

詳しくはこちら→https://hige33.hatenablog.com/entry/2020/02/13/000308。当ブログでも何度か触れている高桑信監督作品。返還直後の沖縄を生かしたロケーションの素晴らしさと千葉真一の身体能力を堪能できる大変面白い一作であった。千葉ちゃん関連では、山口和彦監督『子連れ殺人拳』(1976)も画面設計やスピード感に凝ったアクションが見られて面白かった。

麻薬売春Gメン 恐怖の肉地獄

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『その女を殺せ』(1952)

リチャード・フライシャー監督によるノワール。あまりにも面白すぎるので、みだりな上映は法律で禁じるべき、と言ってみたくなるほどの傑作。陰影の強い画面の中、真珠が落ちて暗殺者の姿が見えてから決着までまったく無駄がなく、スピーディーで緊張感の持続する70分。単純だが巧みなプロット、どのようにして撮ったのかというショット、列車という狭い空間を利用したインパクトのあるシーン、それぞれ印象的ではあれど、独立せず組み重なり一体化している。とにかく単純に面白い。面白さに腰を抜かす。 

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『北京の自転車』(2001)

王小帥(ワン・シャオシュアイ)監督作品。ストーリーや音楽が青すぎてそこは好きになれないが、ほとんど迷路のように入り組んだ路地を駆ける自転車のほか、廃ビル、家の屋根に狭い室内といった生活空間の風景、そして大勢の自転車が行きかう街並み、木々や服を風など映像はいい。音が先に来ているのも印象的で、それらの観点から配達員が女性と衝突するシーンの処理が本作のベストだろう。ヴィットリオ・デ・シーカ自転車泥棒』との共通項は多けれども、社会派的目線よりは、持ち主が転々とする自転車の巡りに面白みがあると思う。

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『ナイト・スリーパーズ ダム爆破計画』(2013)

ケリー・ライヒャルト監督作品。非常に静かながら、人物の立ち振る舞い、視線などミニマムな要素から画面に不安を醸成させている。前半と後半では主人公(ジェシー・アンゼンバーグ)が目線を気にする理由も変わっているようで、環境テロリストの物語は最終的にどこにも所属できない人間の話となっており、この身勝手な孤独がとても好みだ。撮影も良い。例えば破壊工作へと向かうためボートで川を下るシーンでは画面手前の陸地に子供たちの遊んでいる姿が見えるのだけれど、これが妙に印象に残る。また雄大な自然を背景にごみの埋め立て地で黙々と作業するショベルカーやブルドーザーも忘れ難い。これら物語に直接は影響しない風景は、しかし些細ながらも確かに人の営みを主張しているようで、本作における人々の無関心な有様と結びついているように思える。

 

 

『天国はまだ遠い』(2016)

濱口竜介監督による短編作品。AVにモザイクをかける仕事をしている男と、その男にのみ見える幽霊の女、そしてドキュメンタリーによって真相に迫る女の妹という三者の物語。登場人物も舞台も非常にミニマムながら、見える/見えないことを中心にとした画面は情報量が多い。例えば喫茶店での会話で、幽霊である小川あんは、大きな瞳から決して交わることのない視線を妹へとむけており、ただその違和感のみで幽霊のいる空間を立ち上げている。さてこのような、自然に不自然を理解させる歪な場はインタビューによってより顕著となるのだけれど、このような場というは濱口竜介監督作品らしい要素であって、『ハッピーアワー』の自己紹介であるとか、『寝ても覚めても』のチェーホフ、または麦という存在そのものがそれにあたるといえよう。このインタビューは演技の空間としても、人物を捉えるカメラの空間としても、そして音の空間としても非常に見ごたえがあって大変面白い。とはいえ、個人的には幽霊の時間を過ごしてきた女と男が、最後には意外なほど素直なエモーションへと導かれることに感動した。

カメラの前で演じること

カメラの前で演じること

 

 

 

わが谷は緑なりき(1941)

泣く子も黙るジョン・フォード監督作品。炭坑町の風景がとにかく素晴らしい。炭鉱まで続く長くゆるやかな坂道と、少し離れた山道をそれぞれ歩いている姉妹が呼びかけあう冒頭の雄大さにまず見惚れる。さらに、炭鉱からは体を真っ黒にした労働者がぞろぞろと坂を下り家へと戻ってくるのだけれど、この道を埋め尽くすほどの群衆が、シーンによってその性格を変える人だかりが、非常に力強い画面を生んでいる。もちろん坂道やそこに列をなす群衆のみならず、室内シーンで長く伸びる影や差し込む光の美しさも見逃せない。さらに感動的なのが、結婚式で花嫁が角を曲がる瞬間に風で浮かび上がるベール。よくこんなの撮れたなと感動せざるを得ない一瞬の美しさだ。

わが谷は緑なりき(字幕版)

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ザ・クレイジーズ 恐怖の細菌兵器』(1973)

ジョージ・A・ロメロ監督作品。『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』と『ソンビ』の中間にある作品。銃撃などアクションシーンでの、動作を細かく積み重ねる編集がいい。アクション映画としての緊張感を醸しつつも決して熱量は高くなく、撃たれた人間はあっさりと倒れ込み、静かにその場が過ぎ去ってゆく。一方、防護服の集団が田舎町を歩く風景や、リン・ローリーが射殺されるシーンで羊の群れが画面を横切ったりというあたりには詩情を感じたりもして、ロメロらしい世界の終わりなだぁと思ったのである。それにしてもリン・ローリー、『シーバース』でお馴染みのこの女優が見れただけで正直満足。

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『ザ・ベイビー/呪われた密室の恐怖』(1973)

テッド・ポスト監督作品。赤ちゃんのまま育てられた男=ベイビーと、彼の女系家族、そしてベイビーを救おうとするカウンセラーの話。身体は健康な青年なのに赤ちゃんとして育てられているベイビーは、見た目と行動の間の違和感もさることながら、声は本物の赤ちゃんで吹き替えている(と思われる)あたりがやばいけれど、女性陣は皆輪をかけて狂気に駆られているのだから困ったものである。ベイビーを救いたいカウンセラーと手放したくない家族がポーチで会話をするシーンは、ホラーというよりももはや対決へと向かう合図であって、この2者による文明の衝突、そしてベイビーのため屋敷に忍び込む/待ち構える構図は男女が逆転した西部劇といえるかもしれない。

 

 

駿河遊侠傳 破れ鉄火』(1964)

安心安全、信頼の大映印。監督は田中徳三。本作に関しては特に宮川一夫の撮影が印象的で、重層的な設計はもちろん、急に引いたり寄ったり、または横に移動したり振ったりと、小さい動きではあるけれども、それによって些細なシーンであっても画面に動きが生まれている。これが効果的なのは勝新太郎座頭市とは全く違う動の魅力を全開にさせているからであって、その豪快な暴れっぷり、特に最後の、斬りあいというよりは喧嘩に近い、砂埃を巻き上げながら走って斬って襖をなぎ倒し叫びあっての大立ち回りは、伊福部音楽も相まって怪獣映画といわんばかりのすごい迫力。静かな一本道から急に始まる斬り合いも素晴らしい。と、動きの話ばかりになってしまったが、勝新太郎は表情の芝居も天下一品であって、田中徳三もやはりそれを逃していない。ということでファンは必見。

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以上が上半期に見た旧作のベストです。他にも『エム・バタフライ』、『黒の超特急』、『血を吸うカメラ』、『春の惑い』、『櫻の園』、『驟雨』、『草原の追跡』、『東京上空いらっしゃいませ』が良かった。

上半期は名画座に赴くということも当然できず、下半期も難しい状況が続きそうではあるけれど、今年から加入したU-NEXTのラインナップが素晴らしくなんとか乗り切れそうなのが救い。しかし改めて映画館というのは素晴らしい場所だなと、集中力のない人間としては思わされましたね。ちなみに映画だけでなく、きっと読むだろうと思って買った本に関しても未だほとんどが積読状態という有様。そろそろ新しい職場にも慣れつつあるということで、下半期は少しでもゆとりのある生活を送れればと思っております。

『ホットギミック ガールミーツボーイ』を見た。

いつか地球に生まれたら

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相原実貴による同名漫画の実写化作品。主演は乃木坂46の堀未央奈。その相手役として清水尋也板垣瑞生間宮祥太朗が出演。監督は『5つ数えれば君の夢』『溺れるナイフ』などで知られる山戸結希。

 

 

「女の子の命を弔うような21世紀 真実の映画が生まれるだろう 私たちは 21世紀の女の子」という言葉を放ち、今まさに光が、様々な形へと変化し生まれる瞬間を、ほとんど儀式的な舞と祝詞によって自由自在に祝福した短編『離ればなれの花々へ』は実に山戸結希らしい作品であり、しかもそれら画面に映る・聞こえるすべてが、物語やテーマの中に回収されるのではなく瞬間ごとに広がっていく様には異様な高揚感があった。大胆不敵な宣言に賭けてみたくなる力があった。

そんな宣言ののちに公開されたのが、『ホットギミック ガール・ミーツ・ボーイ』である。極めて山戸結希色の濃厚な、歪な作品である。

 

 

 山戸結希色、つまりこの作品の特色は冒頭数分間ですぐに理解できるだろう。カット数は異常に多く、せわしない繋ぎは不規則に角度を変え、ときには直前の画面に対し平然と嘘をつくようなことさえしてみせる。静止画の唐突な挿入に鳴りやまない音楽と止まらないポエテックなセリフ。過剰に主張する色彩。これらの要素がひと時も手を休めることなく目の前に現れる。意表を突く、というよりは混乱をきたす表現だというのが妥当だろう。長回しなど動線の設計が面白い部分はあるし、アクションの瞬間をしっかり捉えてる箇所もあるとは思うけれど、基本的に生身の存在感や緊張感は希薄である。

ここで特に注目したいのがセリフである。ただし問題は内容ではなく、セリフの間だ。これが異常に短い。まるで本来の間を切り取り間隔を詰めたかと思わせるような言葉の応酬がここではなされており、そのせいか、まったく別の人間が別々のことをしゃべっているにも関わらず、ひと続きではないかと思えるほどなのだ。その間の短さとリズムは人物の特性を表すでもなく、掛け合いや衝突によって生み出される感情でもなければ、もちろん思わず歌として表出されてしまうミュージカルでもない。それらの場合、言葉は人物・状況の後からやってくることが多いと思うけれど、本作の場合はまず言葉が先行しているように思える。ゆえにセリフはどこか実体を欠いて、もはや声というより文章に近いものとなっている。しかしまさにこの手法、話者の存在感が希薄な言葉を異常なカット数によって畳みかけることで山戸結希は異界としかいいようのない世界を画面内に創出している。しかもここでは風景も人物と並列で、非常に力のあるショットで捉えられるSFめいた建物でさえ一括りに取り込んでいる。

 

 

だがこの異界はまだ不完全である。なぜなら山戸結希は少女が自らの精神性を身体を通し表現することにこだわってきた作家だからだ。その動きを舞として、そしてセリフは祝詞として、どこか儀式のように動きと言葉とを密接に関わらせる作品を撮り続けている山戸結希作品において、言葉、特に男性のそれが先行しているだけでは、まったく不十分なのだ。

実際、終盤まで堀未央奈演じる初は主体的な行動をとっていない。単に動きということであれば駅構内での長回しは『溺れるナイフ』における円を描くような動線を思い起こさせもするものの、ここで動きを主導するのは亮輝(清水尋也)であって、初は亮輝に命令されたり、もしくは梓(板垣瑞生)に手を引かれてなど彼らの身勝手な振る舞いに対し受け身でいることが多く、また言葉を発するときもリアクションが主であって、妹である茜(桜田ひより)と比べ主張は弱い。主体性に乏しい初は、だからこそ動画や写真に収められ、モノ化されてしまうのである。梓の策略によるリベンジポルノとして、もしくは凌(間宮祥太朗)の部屋に飾られているような願望として、初は、彼女を所有しようとする誘惑に、意図せず向かっていくのだ。

だが、『溺れるナイフ』においても写真、もしくはモデルという職業は表面を掬うものとして扱われ、必ずしも肯定はされていなかったことからもわかるように、それらの目論見によって初の精神性が引き出されることはない。そもそも、梓はモデルとして自らがすでにモノ化されており、その魅力を誘い水に同じ地平まで引きずり込もうとしているわけだし、一方「そのままでいい」と語りかける凌にとっての初はいわば人形であって、つまり彼らは初がモノ化されることを望んでいるに過ぎず、「空っぽ」と自らを表現する彼女の精神性を引き出すことなどできはしないのである。そしてだからこそ、彼女を奴隷とし、「見込みあるバカ」と投げかける亮輝との関係性において、反発であれ彼女は自分の内面から湧き出す感情を捉えることができる。彼がいう「一緒に変わりたいと思った」という言葉の通り、初はついに自らの精神性を、肉体を通して表出させるのだ。

 

 

ここでついに、言葉と身体が密接に関わりあう山戸結希的異界が壮大なスペクタクルとなって現れる。次々に繰り出される言葉は決して説明的ではなく、むしろ少女から母まで次々に役割を変えながらその時その時の言葉を放っている。彼女の動きが解放感のあるものであると同時にじたばたとして未熟にも見えるのは、ここがまさに誕生の瞬間であるからともいえるだろう。こうした初の振る舞いは物語の要請に対し過剰であるといえて、『離ればなれの花々へ』同様、物語の中に回収されるというよりは、テーマや物語を踏み台として、さらにアクションを捉えつつぶつかり合うようなカットに音楽までも加えて、その瞬間ごとにさらに広がっていくようである。だから山戸結希的異界とは自らのセンスに閉じこもるようなものではなく、言葉と身体によりどこまでも拡張していこうとする儀式の場であり、それはまさしく、映画においてのみ降臨させることができる場なのだ。

だからこそ、山戸結希の作品には注目してしまう。正直、見ていてこっぱずかしい、というよりは明確にキツいと思う瞬間も多々あったのだけれど、ここにしかない異様な高揚感を味わったのは紛れもない事実だし、これからも「21世紀の女の子」を見続けていきたいと思わせてくれたこの作品を僕は擁護する。

最近見た旧作の感想その41

JUNK FILM by TOEIというチャンネルがアマゾンプライムビデオ内に開設されており、なかなかお目にかかれない東映作品が手軽に視聴できるようになっている。今回はその中から、高桑信監督、千葉真一主演の『麻薬売春Gメン』シリーズについて少し。

 

 

『麻薬売春Gメン』(1972)

麻薬撲滅のため犯罪組織へ潜入する捜査官・菊池靖男(千葉真一)の活躍を描いた作品。いかにも当時の東映らしい猥雑なオープニングクレジットに期待を膨らませるも、それ以降は正直あまり面白くない。全編なんだか教育的な内容なのである。おそらくこれは、本作に出演もしている菅原通済による三悪追放キャンペーンの影響があるのだろう。実際、本編序盤には本筋とほとんど関係のない、まるで教習所で見るビデオのような小エピソードが用意されており、ご丁寧に三悪の何が悪いのかについての解説までしてくれる。このタイトルで誰がそんなもの見たいというのだろう。しかもその間、主演である千葉ちゃんは置き去りである。

その後も結局、麻薬売春Gメンという文字の並びから想像されるようなセックス・ドラッグ・バイオレンスは薄味のままで終わってしまう。もちろん、ただ過激にすればいいわけではないのだけれど、それにしたって特徴がない。思うに、画面が整理されすぎているのではないか。例えば飲み屋のシーンなどでは背景の客がただ座っておとなしくしていたりであるとか、自宅が妙に小ぎれいであったりとか、おおよそ東映らしからぬ画面の連続で、千葉真一という役者をはじめとし、各材料が本来持っているポテンシャルを引き出せないまま終わった作品という印象が残る作品。

麻薬売春Gメン

麻薬売春Gメン

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『麻薬売春Gメン 恐怖の肉地獄』(1972)

なんというタイトル。しかしこれは前作から一転、すこぶる面白い。何より素晴らしいのはロケーションであって、返還直後の沖縄を舞台に、当時の風景を存分に生かした画面設計がなされている。例えば序盤、渡瀬恒彦千葉真一の後をつけるシーンなどはゲリラ撮影であろうか、せせこましく店が密集する雑多な街の風景を楽しむことができる。また傾斜、高低差の映える地形が多く、それを捉えるロングショットも抜群だ。

さて高低差は2回ある銃撃戦でも非常に効果的に使われており、そこでは千葉ちゃんの身体能力もおおいに堪能できる。まず城跡での攻防は、だだっ広い平原の中とにかく疾走、態勢を変えてまた疾走、その勢いのまま前転と激しい平面的動きを見せてくれるのだけれど、そこに高い位置からの狙撃という位置関係のズレがしっかりと印象付けられ、画面を豊かにしている。そしてクライマックスの見せ場となる薄明かりの入り江では、入り組んだ地形をかくれんぼ的に生かしつつ岩場を飛び降りるといった危険なアクションで、上下そして奥への動きをつくりだしている。前作の味気無さはいったい何だったのかと思わせるほど見ごたえのある画面。ヒロインを演じたテレサ野田の風貌も大変魅力的。

それにしても高桑信という監督、以前このブログにも書いた『新宿の与太者』のような大変面白い作品もあるし、『日本暴力団 組長くずれ』だってなかなか良かった。しかしその割には有名ではないように思うし、何より作品数も少ない。いったいどういうキャリアの人なのか、やはり気になる。

麻薬売春Gメン 恐怖の肉地獄

麻薬売春Gメン 恐怖の肉地獄

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最近見た旧作の感想その40~2019年下半期旧作ベスト~

あけましておめでとうございます。今年も当ブログをよろしくお願いいたします。

さて、先日の新作ベストテン記事にて予告したように、2019年下半期に見た旧作の中で特別面白いと思えた作品について、一言程度コメントを添えつつ紹介したいと思います。並びは単に見た順です。ちなみに、昨年の旧作鑑賞数は150本でした。なお、上半期ベストについては<最近見た旧作の感想その38〜2019年上半期旧作ベスト〜 - リンゴ爆弾でさようなら>をどうぞ。

 

 

『A2』(2002)

森達也監督による、オウム真理教を扱ったドキュメンタリーの第2弾。信者の生活や周辺住民、右翼団体との軋轢を描いているのだが、これらの間にある距離感を壁や柵よって表現しているところが面白い。プラカードを持ち大挙して押しかける住民は壁という境界越しに彼らへ言葉を投げかけ、しかし同じ区域で生活していくうち、次第に壁越しの交流も生まれてくる。そしてこの作品が面白いのは常にズレが生じているところで、例えばその住民たちの信者に対する認識のズレであり、信者内でのズレであり、かつて友人同士であった記者と信者のズレなどが見どころになっており、距離感がそのズレをまた強調させているのである。

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ヒッチャー(1986)

ロバート・ハーモン監督。砂漠地帯のフリーウェイで、確固たる理由も提示されぬままひたすら狂気の連続殺人鬼に付きまとわれる羽目になるお話。この殺人鬼を演じたルトガー・ハウアーの存在感が何より素晴らしい。また、いつのまにか、の描き方が最高。留置所のシーンなどに顕著だが、いつの間にか殺人鬼はそこに来ているし、いつの間にか周囲の人間は惨殺されているのである。留置所から逃げる際の入口と出口を同時に捉えたカメラとアクションも凄くいい。ヒロインがかなり非道な方法で殺され、そのあとに主人公と殺人鬼の対決があることにも驚いた。

 

 

『凱旋の英雄万歳』(1944)

プレストン・スタージェス監督。花粉症のせいで軍を除隊になり恥ずかしさから故郷に帰れずにいた青年が、偶然酒場で出会った海兵たちの計らいにより英雄として故郷へ帰還することとなるお話。駅で英雄として迎えられるシーンをはじめとし、とにかく画面への人物の出入りが激しく、しかもそのたびに事態が無茶苦茶な方向へ膨らんでいくのが楽しい。そしてそんな出鱈目の外側で勘違いしあいながら進行するロマンスも、ヒロインを演じたエラ・レインズが魅力的でとても素晴らしい。スタージェスは『バシュフル盆地のブロンド美人』も良かった。

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ルイジアナ物語』(1948)

ロバート・フラハティ監督。ルイジアナの自然に囲まれ育つ少年と石油発掘作業員のお話。まぁ見事な水面の美しさで、その色々な表情に魅せられる。また小舟と油田掘削機の大きさ対比も見事で、少年が機械を見上げるショットなんかは大変素晴らしい巨大感。こういったただひたすらな画面の美しさのほかにも、釣りなどの仕掛けと機械の動きが反復されていくというアクションの繋がりもまた見事である。ちなみにワニ映画としても優雅な動きが見られて最高。

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『バンパイアの惑星』(1965)

マリオ・バーヴァ監督。『恐怖の火星探検』と並び『エイリアン』の元ネタといわれている作品で、物語や巨大人骨に宇宙船などからはっきりとそのことがわかる。それにしてもこの美術は面白い。先行隊の船も巨人の遺跡も変な構造だし、またこれら人工物だけではなく降り立った惑星事態も赤や緑に照らされていて怪奇映画かのような雰囲気が漂っている。そりゃあ死体がよみがえっても不思議じゃあない。黒く襟の高い宇宙服デザインも良い。黄色のヘルメットをすぐ脱ぐことや、オチもこうでなくっちゃという感じでいいなー。 

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『恐怖の火あぶり』(1979)

詳しくはブログに書いた<最近見た旧作の感想その39 - リンゴ爆弾でさようなら>のでそちらを読んでいただきたいと思うのだけれど、死体主観ビンタなどなかなかな陰惨で衝撃的な作品であった。

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『ニュー・ビューティフル・ベイエリア・プロジェクト』(2013)

『東京藝大大学院映像研究科映画専攻第七期生修了作品集2013』に収録されている黒沢清監督作品。前半は柄本佑を段ボールに衝突させたりしつつ彷徨わせることで、後半は『死亡遊戯』のようにどこからともなくわいてくる警備員を三田真央がなぎ倒すアクションを見せることで、シネスコの画面の中ひたすら人物を動かせようとしている作品。ネズミの件なんかまさにそう。また、二人とも父親から受け継いだという設定が行動の起点となっており、三田真央が海をバックにクローズアップで語りかける場面には面食らったものの、神話の登場人物かのような話しぶりから、名前を取り返しに来るのも納得させられてしまう。

DVD 東京藝大大学院映像研究科映画専攻第七期生修了作品集2013

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『ブロンド少女は過激に美しく』(2009)

マノエル・ド・オリヴェイラ監督。素晴らしい窓、扉の開閉で、まずその窓から見える美女の上半身から物語は始まるけれど、それが扉や階段を通して全体像へ繋がったと思っていると、最後には脚の映画になり、片足を上げるショットなんて可愛らしくて粋で最高だなぁと思っていると、いきなりガニ股ですごい突き放しをして終わらせてくる。どのショットも異常に強いが、例えば美女をはじめて見るシーンなどどこも妙に嘘っぽい。それは勿論物語としてなどという話ではなく、画面としてどうも嘘っぽく見えるということであって、それが素晴らしいのだ。

ブロンド少女は過激に美しく [Blu-ray]

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『紐育の波止場』(1928)

ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督。 とにかく素晴らしい映像美。最初の火夫たちの仕事場からしてとても力のある画面で、闇と煙、そして光の強烈なコントラストが映える。活気ある酒場での群衆とカメラの動きには興奮し、霧に包まれた夜の波止場の美しさ、水面の揺らぎには魅了される。一つ一つ書いていくと終わりが見えないのではないかというくらい、とにかく目を見張るとはこのことかといいたくなるシーンの連続で、サイレント映像表現でも群を抜いているのではないか。ちなみに最後の朝、別れを惜しみ外へと出てきたベティ・カンプソン越しにカモメが三羽着水するのだけれど、それがなぜだか、妙に印象に残った。

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  • 出版社/メーカー: パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
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以上が2019年の下半期旧作ベストでした。個人的に昨年はあまり映画に入り込めず、かといってほかに何か打ち込むことができたというわけでもない日々を送っており精神的に参っていた年で、下半期旧作ベストといいつつも例年より低いテンションでの更新となってしまいました。年を越したところで劇的に変わることなど一つもありはしませんが、それでもどうにかやっていけるようになれたらいいなと思いますね。とりあずは面白い映画をたくさん見られたらいいなという気持ちで生きています。それではまた。

今年の映画、今年のうちに。2019年新作映画ランキング

年の瀬でございます。というわけで今年もやります、2019年に見た新作映画ベストテンです。今年鑑賞した新作85本の中から、次点も含めて11本を選びたいと思います。尚、新作の基準は今年はじめて劇場公開となった作品で、リバイバルは除外。またNetflixオリジナルなど配信作品については今年初めて日本で見られるようになったもののみ入れることとします。さて、前置きはこのくらいにして、早速ベストに移りましょう。

 

 

次点 ミスター ガラス

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シャマランらしい奇妙なスケールが冴えわたる快作。目撃する、させる、そして目撃した人をまた目撃するといったことが鏡やカメラ、人物の顔の収め方によって描かれていたと思う。病院の感じが一瞬『エクソシスト3』っぽくて前作に続いていることも好き。ベストテンに入れなかったのは上が詰まっているというより、何か別枠で記憶しておきたいという理由からである。

 

 

10位 わたしは光をにぎっている

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固定カメラでしっかり決められた構図に丁寧な美術、照明、撮影で、特にロングショットが力強い。数多く登場する水については幻想的シーンでの荒々しさからまさしく光をにぎるシーンまで様々な顔を見せている。光もまた同様であって、例えば汽車に乗る松本穂香へのものなど印象的に画面を照らしており、印象的なアクションこそ少ないものの、画面に対する意識を随所から感じ取れる良作だった。語りすぎず省略して進む語り口も滑らか。

 

 

9位 アクアマン

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さすがに説明が多すぎるとは思うけど、一つ一つのシーンがアクション、災害、ホラー、戦争、モンスター、SFとそれぞれジャンル的面白さを備えており、メリエスかといいたくなるいかにも嘘っぽい奇想がCGで目の前に広がっていてとにかく楽しい。ジェームズ・ワンの空間展開力は相変わらず冴えているし、スピルバーグに通じる悪趣味もあったりして好き。

 

 

8位 さよならくちびる

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塩田監督らしく、夜だろうと昼だろうと道がいい。道がいいというのはそれが常にアクションの現場となるからなのだが、さらにまた、3人それぞれの関係性の中でのアクションの反復も心地よく、特にキスをすること、拒否することの繰り返しはそれぞれ身の翻し方が素晴らしい。門脇麦小松菜奈という2人の女優の姿も大変魅力的で、それゆえにいくつかある好きじゃないシーンも帳消しにできる。

 

 

7位 グリーンブック

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細やかな脚本がまずいいのだけれど、それが小賢しさに陥っていないのはおそらく主演の二人による生身の味付けがあるからだ。図体から指先への意識に至るまでの振る舞いと、その差から生まれるやり取りがすこぶる魅力的。また帰属性という複雑な問題を運びつつも社会性を大げさに主張することはなく、ご立派なお題目の傍で軽やかに走行する上品さが素敵なのである。

 

 

6位 さらば愛しきアウトロー

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監督の前作は贅沢な時間の流れる作品だったが、今作は手際いい編集で進行し、俳優と彼らに当たる照明の贅沢な味わいを楽しめる心地よい作品だった。また夜の光、特に公衆電話を使うシーンは最高。常にそうであったし、これからもそうあり続けるというロバート・レッドフォードの在り方がかっこいい。

 

 

5位 殺さない彼と死なない彼女

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歩きをはじめ、被写体から少し離れた位置からの長回しのやりとりが多い。これは二人の間だけで成立してるコミュニケーションの形を外側から捉えるためだと思うのだけれど、それゆえカットを割ることが効いている。例えば撫子の一方的な告白を見続けた八千代の主観や、「リボンは似合わない」と2度口にする鹿野の目線は、決してそれらが一方通行ではなかったと我々にもわかるから感動的なのだ。桜井日奈子の走り姿も最高。「未来の話をしましょう」は細田守版『時をかける少女』のテーマにも通じるキラーフレーズ。

 

 

4位 ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールド

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アマゾンプライムにて鑑賞。WW1の記録映像に色付けをした映画で、ドラマではなく戦地での衣食住など生活様式や戦闘風景についての細部が語られている。爆撃の緊張や揺れ、凄惨な死体とまったく同列に、例えば寝床の確保であるとかネズミやシラミの被害、死体の浸かっていた水でもなんでも利用してまで紅茶を飲もうとする執着、そしてトイレ事情などが語られているのだ。その徹底したミクロの視点が素晴らしい。

 

 

3位 マリッジストーリー

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編集に特徴がある映画で、ところどころ人物のアクション、例えば立ち上がる・振り返るといったような行動を細かくつなげていくことにより、夫婦それぞれの思いが浮かび上がってくる。白眉は中盤の喧嘩シーンだと思うけれども、しかし全てのシーン照明やカメラ位置は非常に周到で、なんてことないシーンにも力が宿っている。そして個人的には怖いレイ・リオッタの登場が嬉しかったので3位。

 

 

2位 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

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タランティーノの中でも『デス・プルーフ』に次ぐ傑作。ブラッド・ピット演じるスタントマンが長い長いドライブの果てトレーラーハウスに着くあたりですっかり心掴まれてしまった。このように、基本移動によってエピソードは心地よく繋がれていくのだが、そのどれもはおおむね弛緩しており、しかしだからこその幸福が生まれている。もちろん農場の異様な緊張感と西部劇的風景にも興奮した。素晴らしい。

 

 

1位 ホットギミック ガールミーツボーイ(及び『離ればなれの花々へ』)

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『ホットギミック』については年明けに個別記事を書くのでそちらでより詳しく触れたいと思うけれど、異常に過剰で歪な作品が、そのことを一切否定せず全速力でエモーションに振り切ろうとするパワーに圧倒された。この振り切り具合はもはやベストかワーストかはよく分からないが、とにかく一番としか言いようがない。なので今年はこの作品と、『21世紀の女の子』の中の一つをベストに挙げたいと思う。

 

 

<まとめ>

以上が、2019年新作映画ベストでした。この中で最後まで外そうかどうか迷っていたのは9位『アクアマン』と8位『さよならくちびる』で、『蜘蛛の巣を払う女』『バーニング 劇場版』『トイストーリー4』『帰れない二人』『工作 黒金星と呼ばれた男』『マチネの終わりに』『主戦場』と迷っていました。10位はというと、良い作品であるのは勿論のこととして、5位、1位と合わせ、2010年代にデビューした日本映画監督の作品を配置したかったので外せなかった。ほかにも『マイル22』『運び屋』『多十郎殉愛記』『ハンターキラー 潜航せよ』『COLD WAR あの歌、ふたつのこころ』『嵐電』『アイリッシュマン』『ドクタースリープ』などが良かったですね。今年は中島貞夫監督の新作やイーストウッド主演作など、もうないだろうという作品を見ることができ、もうないだろうということでいえば、『アベンジャーズ/エンドゲーム』もその点において価値のある作品だったと思います。

さて、今年も未見の映画がたくさんある中での選出となりました。北海道ではシアターキノが大規模で後悔されない作品、例えば『ワイルドツアー』や『苦い銭』のような新作からリバイバルファスビンダーなどを上映してはいるものの、金曜日の夜に1回だけという形態での公開が多く、都合上見れないことのほうが多い。せめて土曜日にしてほしい。

さて、最後にワーストについてですが、今年は最もがっかりした作品のタイトルのみ上げようと思う。ワースト1は、『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』。僕は今はそれほどスター・ウォーズのファンではないけれど、小学校3年生の時にエピソード1が公開されたこともあり、思い出深いシリーズではある。当時はグッズもたくさん買っていた。そして社会人になった2015年に公開されたエピソード7は楽しく見られたし、8についてもこれはこれでと受け入れられたのだが、9に関しては全く受け入れられない。スター・ウォーズとしてなどという問題の以前に、語り口が下手すぎてまじめにみる気にならないのが最大の問題点だった。

旧作についてはいつも通り年明けに書こうと思います。そして『ホットギミック』についてもなるべき正月休み中に書きたいとは思っていますので、更新頻度が少なすぎる当ブログですけれども、来年もまたよろしくお願いします。それでは皆さん。良いお年を。